Monday, October 18, 2010

Era from machine to life~ as an frederick kiesler exordium

21世紀は人間が機械になる時代・・・

ルイス・サリヴァンの言うように建築形態は
機能に従うのだろうか?

本当に合理主義、機能主義だけで建築形態というものは成り立っているのだろうか?

機械と精神を統合する建築こそ本当の建築である。


(出典 谷川正己・中山章 「名句でこる近代建築史」井上書院 1984年から参照)
1.はじめに

フレデリック・キースラー (Frederick Kiesler)

フレデリック・キースラー(frederick kiesler)とは誰か?と聞かれると建築の学生に聞くと誰に聞いても同じ答えが返ってくる。「誰?」という答えである。

キースラーを簡単に説明すると「形態は機能に従う」を真っ向から否定した人物である。キースラーが言うには建築は機能から作られるのではなく、まず構造から入り、次に機能が形成されるのだという。

キースラーに知ったはまだ大学に入学してから1年がたっていた。その頃常に自分はこの世の建築の在り方に疑問を抱いていた。具体的な理由もなしに、人の真似はしないと決めて、真似をしないにはどうしたらよいかと考えたときに重要だったのが多種多様な建築を知ることにあった。いろいろな建築を知る上で近道だったのが本を読むことだった。そこから図書館に行き建築の本を読みあさるようになって、今もそれを続けているのだが、たぶん最初に読んだ本は「建築のABC」という書物だったと思うがそこから様々な建築の本を読むことになり、最初の頃に読んだ「建築家なしの建築」に乗っていた写真で、屋根はわら葺なのだが、柱は人が支えている建築を見たときはこういうのも建築というのかということを改めて思い知らされた。そして半年ぐらい読書を続けていくうちにひとつの本を見つけた。名前は「建築のアポカリプス」という本である。

人が柱となり支えている移動型建築
建築のアポカリプス(黙示録)は特徴的な建築を取り扱っていた本で、ウッドゲンシュタインのストロンボロウ邸から始まり、アドルフ・シュタイナーのゲーテアヌム、ヒトラーと建築の関係性など興味深い本であったがその中にあったのが、キースラーの終わりなき家、エンドレスハウスであった。今までのモダニズムに見られるような柱や梁でできる空間構成をほとんど排除したその建築を見て、自分の建築に対する価値観が変わったような気がした。
そこからキースラーについて調べようと思い、文献などを調べているのだが、大変なことに文献自体もごくわずかしかないということをはっきりと思い知らされた。建築のアポカリプスのキースラーの参考文献を便りに調べたのだがインターネットなどで調べても外国のサイトでしか乗っていないので、どうしたらよいのかと悩んでいて、ふと立ち寄った地元の図書館でキースラーについて調べたら一つだけ日本人が書いたキースラーの本があった。その名前は「環境芸術家キースラー」という題名で芸術家である山口勝弘が書いた本である。これだけ1ヶ月かけて探しても日本での参考文献が1冊しかないということも、今の建築の学生の誰に聞いてもフレデリック・キースラーという建築家を知らないという返答が返ってくる理由のひとつなのかもしれない。

フレデリック・キースラーのようなその時代におけるキワモノ、または異端児と呼ばれるものは建築の世界において必ず必要な存在であった。どの様式においても誰かが最初にやらなければ始まらないのであり、それを最初に行うことは並々ならぬ勇気がいる。

まだボクシングがアルティメットに近かった時代は今のように階級性がなかった。そして60キロの小男が100キロの大男と戦うなどは当たり前であった時代に60キロの身体でヘビー級の世界チャンピオンをKOするような化け物がいた。その名はジョー・ウォルコット。「バルバドス島の悪魔」と言われたこの男の身長はなんと157cmであった。今で言うと日本人の身体でマイク・タイソンに挑むくらい勇気のいることである。それと同じで社会が作り上げた様式の中でそれを否定してつらぬくということはとてつもなく勇気がいることである。その中の一人を論文として書きたいと思い、クロード・ニコラ・ルドゥーやアドルフ・ロースなどもいたが、その建築家の中でフレデリック・キースラーを選んだ。

自分はそのような建築における先駆者はあこがれであり、本当に心から尊敬に値する人物であると感じる。アバンギャルド、先駆者と言われるものに一番必要なのは勇気と覚悟である。キースラーは100年前から伊東豊雄が提示したものと同じ概念を語っていた。これらは特筆すべきものである。エンドレスハウスという建築概念は今ではテクノロジーの発達と共に可能になり、現在の建築思潮としても起こりつつあるものである。キースラーはこれをモダニズム全盛の時代に提唱した。このことからも彼がどのような勇気をもってこれらを語ったのかを想像できる。キースラーを序説としておこなったのは彼が21世紀を作る建築の先駆けとなることを100年前から行っていたということであり、彼の概念は現代にても通用するものである。そしてキースラーが完全な機能主義者であり、これらの形態はすべて機能にもとづいておこなわれているということである。彼が提唱する機能はモダニズム建築はほとんど見られない要素である為、忌み嫌われるようになったが、現代においてはこれらは再考するにあたいするものである。

2.生い立ちとウィーン

フレデリック・キースラーは1890年にオーストリアのウィーンで生まれ、そして1965年にニューヨークで死去した。ウィーンと言えば近代建築のパイオニアでもあるオットー・ワーグナーや「装飾と罪悪」で有名なアドルフ・ロースや私が心の師とするリチャード・ノイトラ等の著名な建築家を生み出した町で、そして何よりも音楽と芸術の都であった。特に音楽家で言えば神童モーツアルトが有名である。

その頃はロースやワーグナーも存命であり、ちょうど近代建築運動が花開く直前の時代にキースラーは生まれたのである。ちなみにミース・ファン・デル・ローエはキースラーとは非常に仲が良かったらしいが彼は1986年にアーヘンで生まれた。そしてル・コルビジェもまた1887年にフランスのラ・ショー・ド・フォンに生まれた。キースラーはこのウィーンで芸術の才能を磨いた。時代背景で言うとちょうどアドルフ・ロースとワーグナーの最も優れた弟子であったヨゼフ・ホフマンがライバルとして対立しあっていた。しいていうならばロースは建築において不要なものと考えていたので、建築を芸術と考えるホフマンは自分の考えを否定されているようで許せなかったようである。日本で言うと大正時代において「建築非芸術論」を提唱した野田俊彦による機能主義理論と「科学的芸術論」を提唱した建築は芸術とする中村鎮がこのロースとホフマンのような関係であると言える。キースラーは法律家である父にシェイクスピア劇を読んでもらうのが好きだった。キースラーはウィーンの工科大学に進んで建築を勉強し、次にグラフィックを学ぶために美術アカデミーに入学してそこで勉学にはげんだ。この頃はオットー・ワーグナーやアドルフ・ロースの影響が大きかったと言え、少なからずこの二人の偉大なる建築家はこのまだ若者であったキースラーに影響を及ぼしている。特にロースの機能主義の考えはキースラーにとって多大な影響を与えたと言えるだろう。キースラーは短期間であるが、アドルフ・ロースと共に働いていた。このロースの作風は装飾を全く排除するものであり、彼の論文である「装飾と罪悪」はロースに続くバウハウス系列のモダニズム運動に多大な影響を及ぼしている。特に近代建築の生みの親とも言えるル・コルビジェは雑誌エスプリ・ヌーボでも共著したこともあってか(たぶん前から尊敬したであろうと思われる)ロースを尊敬し、独学で建築を学んだル・コルビジェにとって師匠とも言える存在であった。キースラーはロースの思想に強く影響を受けた。そして装飾の無意味さをキースラーは学んだ。キースラーが主に手がけていた仕事は劇場建築である。これは当時のウィーンという町並みを強く反映した結果なのかも知れない。






背景としてのウィーン

モーツァルトやベートーヴェンで有名な、音楽の街ウィーンは、昔からドナウ河を交通の手段とした交通の要であった。すでにローマ帝国が、殖民都市をヨーロッパ各地に建設していた時から、ここは軍隊と、商人の為の拠点であり、国際都市としての性格を与えられた。そうした理由からヨーロッパの中でも比較的早くから、異質の文化の狡猾に慣れ、また自然環境に恵まれるという条件もあって、非常に開放的な都市として発展していった。ハプスブルグ家の支配した帝国の首都として、政治・経済の中心であったが、同時にこの町は、文化的な環境の場としても中心的な機能を果たしていた。ヨーロッパ近代音楽の有名な作曲家で、この「ウィーンで作品を発表しなかった人の名前を思い浮かべるのが難しいぐらいである。ウィーンの町で音楽が盛んであった理由は、王宮や貴族などの上流階級の庇護があったという理由以外に、庶民的な音楽愛好の風習から来るものであった。今日で言うポピュラーミュージックに近いものが、ウィーン市内のカフェで演奏されていた。このカフェが、ウィーン市民にとって重要な社交の場となったのは、1683年以降であり、上級階級の組織するサロンよりももっと気楽で、自由な情報交換の場として利用されていた。同じような現象は、ロンドンでは1650年以降に現れ、酒房の経営者の反対にも関わらず、ロンドン中にコーヒー・ハウスが生まれてきた。ここでも、自由な情報センターとしての機能によって利用され、イギリス市民文化の発生をうながした場といわれている。コーヒーハウス・あるいはカフェの発生は、ヨーロッパの主要都市に、都市市民階級(ブルジョワジー)という新しい階層が現れてきたことと関連し、同時にこの階級によって都市の中に、新しい文化状況が形成されてきたことを裏付けている。ロンドンのコーヒー・ハウスから、今日の新聞が生まれてきたことは、コーヒー・ハウスが、大衆社会の新しいメディアを作ったともいえるのである。この市民階級が、それ以前の文化の担い手である上流階級の保持していた劇場、美術館、音楽堂などの文化空間を占拠していく。ウィーンでもまた、モーツァルトのオペラ「魔笛」上演で有名な、劇場支配人シカネーダなどが、市民階級の趣向に合った上演企画で活躍する。ウィーンは音楽と劇を結んだ。ウィーンの劇場には、伝統的にルネッサンスの演劇の中心的な見せ場であるからくり仕掛け、スペクタクル好みがあったのである。それは主たる演劇であるコメディアの筋を追う観客をあきさせないための、余興であるインテルメッツィの方に人気が集中し、主体を食ってしまうほどになった。ウィーンの演劇好きに関して、ウィーン生まれの小説家シュテファン・ツヴァイクは、その回想記「昨日の世界」で、ウィーン市民にとって、朝の新聞で、第一に目を通す記事は、政治でも経済でもなく、演劇界に起こるニュースであると述べている。いずれにせよ、近代都市ウィーンの市民社会のコミュニケーションの場は、カフェや劇場が大きな役割をもっていたのである。       
 (山口勝弘)



かの有名なフリップ・ジョンソンは「キースラーほど建築を建てないで有名な建築家はいない」と言わせるぐらいであったオーストリア出身のフレデリック・キースラーはモダニズム全盛の時代において「建築の空間を作る際に柱や梁に左右されることなくもっと自由な形態を構築できるのではないか?」という疑問点を元にエンドレスハウスを提唱し、これに対して死ぬまでに40年もの歳月をエンドレスハウスに費やしている。この時代、ウィーンでは特に存命であったロースの作品シュタイナー邸やワーグナーの郵便貯金局が有名であった。

アンチモダニズムとしてモダニズムの近代建築運動に対して死ぬまで闘い続けることをやめなかったキースラーはどのようにして戦ったのか?その作品を通じて理解していただきたいと思う。当時で考えればものすごいことである。1900年初頭に芸術運動が各地で起こり、その中でモダニズムの近代建築運動は最も盛んな運動として世界中に知れ渡った。そのモダニズム建築最盛の時代に面と向かって叩こうとする不屈の闘志、いや根性がすごいと私は感じる。授業で言うとみんなが真面目に学校で試験を受けているのに一人だけ何もせずに弁当を食うぐらいすごいことだと言っておこう。

バウハウスに代表される建築を立方体の牢獄と呼び、あえてエンドレスハウスに生涯をかけた、キースラーとは何者なのか?劇場建築家から出発し、舞台デザイナー、商業建築家、ディスプレイデザイナー、工業デザイナー、環境彫刻家、さらに画家であり詩人であり理論家であった。(山口勝弘)

キースラーが生涯をかけて作ったエンドレスハウスとはどのようなものなのだろうか?それはこれから説明するのであせらずに聞いていただきたい。作品の説明を見る前にモダニズムにおける建築(バウハウスやファンズワース邸)と照らし合わせていただくとキースラーが何故アンチモダニズムなのかわかってもらえると思う。
バウハウス(ウォルター・グロピウス) ウィキぺディアから引用

ファンズワース邸(ミース・ファン・デル・ローエ) 
ウィキペディアから引用



3.キースラーと劇場建築

キースラーは劇場で演劇を見ることが庶民にとって最高の娯楽であったウィーンで育ったこともあってか劇場建築家として活躍した建築家であった。ここではいくつかキースラーの手がけた劇場建築について説明していきたい。キースラーとって劇場建築はいち建築家が建てるものとは明らかに劇場建築にたいしての考えが違っていた。キースラーにとって劇場建築はそれが行われる舞台だけではなく、その周りの客席においてもその劇場が一体となって構成されることを考えていた。建築家が一般に建築の空間に連続性を持たせようとするのと同じようにキースラーにとっては劇場建築そのものが自己の考えを発表する意味で重要なものであった。

劇場は単なる建物でもなければ演劇装置を入れる小屋でもない。建築から舞台へ、舞台から客席へ、客席から舞台へ、舞台から建築へ、それぞれがお互いの関係の中で生きた機能をもって関連し、その中に人間が劇を体験することが、キースラーにとってもっとも望ましい世界であった。
山口勝弘

キースラーのデザインした舞台装置の総数は、1923年以降から1965年まで、実に53の舞台がリストアップされている。

<エンドレス劇場>
キースラーの劇場建築の中でもキースラーの思想が強く出ている作品である。

キースラーはエンドレス劇場を提案した翌年にこのように論じている。
「われわれの演劇のほとんどが、君主制の時代に始まった劇場を模範としていることを念頭におくならば、舞台は、一回前方にある上等の客席のためにのみ設けられ、他の席の観客たちは、芝居が満足にできなくても高い料金を支払うことに甘んじなければならないという、あの建築構造が了解できるはずである。
われわれの時代の劇場は、舞台の上のいかなるパフォーマンスをも、場内のあらゆる客席から、間善意見ることができなければならないという、実際的な要求を満たすだけで十分というわけではないが、従来のいかなる建築も、この当然な要求さえ満たしていないのである。
典三浅敷の観客は、舞台の上半分と奥の情景を見ることができず、そのかわりに上演の間、舞台の床とプロンプター・ボックスにある上等席の観客は、舞台の前面がわからない。平土間の両側、突き出し浅敷、ボックス席の観客は、それぞれ舞台の右側ないしは左側を見ることを断念しなければならない。そして中央の客席を占める大衆は、俳優や舞台装置や小道具類を、前後に重なって平たくなったシルエットとして遠くに眺め見るのである。」
エンドレス劇場(Frederick kiesler whitney Museum・Nortonp84から引用)

立面図

これはキースラーが提唱したエンドレス劇場というものであるが、この作品はまさにエンドレスハウスに繋がるものとしてキースラーは考えていたに違いない。

建築家としてキースラーは異端児と見られていたが、当時からアンビルドアーキテクト、建築を建てない建築家としてアメリカにおいて認知される存在であった。アンビルドアーキテクトと言えばアーキグラム等がおなじみともいえよう。この建築を建てない建築家達の案は後世において現実のものとなっているものが多い。キースラーのエンドレス劇場はまた、音響と言う点においても考えられたものとなっている。円というものは音響の面で考えた時に非常に効率のよいものとなっている。

円や楕円の建築の有効性

また別にエンドレスハウスの研究で照明の点でも効率のよいものとなっている。円や楕円にすることによって光や音響が反射しやすくなり、エネルギーの効率において非常に有効なものとなっていることをキースラーは呈上している。

断面図

平面図

4.近代建築運動「デ・ステイル」

フレデリック・キースラーは近代建築運動のひとつであるデ・ステイルのメンバーであった。「デ・ステイル」とはテオ・ファンズ・ドース・ブルフとディエゴ・モンドリアンが中心となって行われた芸術運動である。この運動は1917年に始まったとされているが、この時代は建築においても、芸術においても革命期であった。建築の様式で言うとギリシアやルネサンス、ゴシックにおける建築様式を復興させるという様式が19世紀は中心であったが、これらに異議を唱えるかのようにして20世紀初頭の近代建築運動は花開いた。これが今の近代建築の礎ともなったもの、「モダニズム」と呼ばれるものである。モダニズム近代建築運動で中心になったのはル・コルビジェ、ミース・ファンデルローエ、ウォルター・グロピウスなどである。これらのメンバーは国際建築協会CIAMを結成して、更に世界に向けてこの新しい建築を広めるための土台を作り上げた。更に世界情勢で第一次世界大戦や第二次世界大戦、また世界恐慌などの背景もあり、これらを契機として合理性と機能性を追及するこのモダニズム近代建築運動は花開いた。また20世紀初頭というものは芸術運動が盛んに行われた時代でもあった。聞いたこともあるかもしれないが、アール・ヌーヴォー、アーツアンドクラフツ、シュルレアリスム、キュビズム、ダダイズム、などがある。特にアール・ヌーヴォーなどは日本建築の影響があると一般には言われている。これら芸術運動と同じようにして「デ・ステイル」は第一次世界大戦中にオランダで生まれた。1920年代はヨーロッパではこのようにして機能を追及するデザインが始まるが、私たちの日本ではまだ機能主義ではなく後藤慶二や分離派建築会の山田守、堀口捨己などによる表現主義が建築思潮としてあったので、日本でモダニズム運動を始まるのは、10年後の話になる。日本でモダニズム運動が遅かった理由は明治維新以後の西洋に追いつけ追い越せ的な思想により、日本にウォートルスやコンドルらの外国人技師や建築家をたくさん集めて、外国の建築様式をイギリス、イタリア、フランス、ドイツ等の様々な国から取り入れたため西洋建築を作れる技術は手に入れたが、1920年代はまだ日本初の建築史家である伊藤忠多が言う「移植時代」と言われる概念が根強く残っていたためと表現派の台頭、そして土建会社の封建性の為と言われている。日本ではこのような建築情勢の中、同じ頃オランダで「デ・ステイル」は起こるのである。

主催者と理念の発案者

「デ・ステイル」の発足の理由は芸術と生活の融合を唱えることによって始まったとされる。主にデス・テイルで有名なのはデオ・ファンズ・ドースブルフとディエゴ・モンドリアンであろう。そしてこの建築運動の主催者はドースブルフであり、そしてデ・ステイルにおける基本理念を提唱したのがモンドリアンであった。




「デ・ステイル」のメンバー

・ デオ・ファンズ・ドースブルフ
・ ディエゴ・モンドリアン
・ ヘリット・リートフェルト
・ J・J・P・アウト
・ フレデリック・キースラー
・ ファン・デル・レック
・ フィルモス・フサール
・ ジョージ・フォントンゲルロー
・ ヤン・ウィルス
・ コルネリス・ファン・エーステン
・ ピート・ズワルト
・ フリードリヒ・フォンデンベルゲ
・ ハンス・アルプ
・ ゾフィー・トイバー=アルプ
・ エル・リシツキー
・ フーゴー・バル
・ ジーノ・セヴェリーニ
・ コンスタンティン・ブランクーシ
・ ジョージ・アンティル
・ アントニー・コック
・ ウェルナー・グレブ

などの以上の多種多様なメンバーを連合したのが「デ・ステイル」と呼ばれる芸術運動であった。デ・ステイルの概念はわずかな要素で構成される。このメンバーには建築家も多く含まれている。ロシア構成主義派の建築家であるエル・リシツキーやモダニズムのワイゼンホフ・ジードルンクにも参加したJ・J・P・アウトなど多彩なメンバーがいた。J・J・P・アウトもデ・ステイルの特徴が見られる作品を作っているが、特にデ・ステイルの要素を特に受け継いでいるのはヘリット・リートフェルトのシュレーダー邸であろう。これはデ・ステイルの構成原理や色彩などの影響を受けている。



デ・ステイルの原理

総体的な抽象と即ち、五感に対して現れるような、文字どうりのリアリティの完全な排除、この原則から派生する、基本的最少限度、直線、直角―換言すれば、水平性と垂直性―に対し、また赤、黄、青の三原色に加えて、同様に基本的3つの無彩色、即ち黒、灰色、白に対する、創造手段の厳しい抑制である。         抽象への意思 <モンドリアンとデ・ステイル> P19から引用
キースラーとデ・ステイルの出会い 

1923年にキースラーはそもそも何故デ・ステイルにはいったのであろう?デ・ステイルの建築理念は直線と直角というイメージがある。しかしその根本は新芸術運動であって、その概念はより抽象的な構成原理の探求であった。この芸術運動の目的が、1918年の一月の宣言に現れているが、その目標は、建築と絵画とを、より明確で、要素的に、そして精神的でない方向への構成へ有機的に結合することに置かれていた。その根本の考えがテオ・ファンズ・ドース・ブルフにとってキースラーはデ・ステイルにふさわしいと感じたからこそ、キースラーをデ・ステイルに招待したのであろう。

1918年は第一次世界大戦が終結したこともあり、新たな時代への宣言として以下のような言葉がデ・ステイルは宣言した。

「いま旧い時代意識と新しい時代意識が存在している。旧いものは個人志向のものである。新しい時代意識は普遍的なものを目指すのである。個と普遍的なものとの争いは、世界大戦の中にあったのと同じく現代芸術の中にもあらわれている」

「個人的なものが全ての分野で優越するような内容をもった旧な世界は、その考えと共に戦争によって破壊されるべきである」

「新しい芸術は、新しい時代意識の持つべきものを旭かに顕かにしつつある。それは、個人的なものと普遍的なものとの間に、等しい均衡をもたらすものである」

                                     デ・ステイル「宣言」にて 1918年
(抽象への意思 モンドリアンとデ・ステイル H・L・C・ヤッフェ著 朝日出版社から引用)
 モンドリアン作・絵画「コンポジション」
(ウィキペディアから引用)

キースラーはエンドレスハウスにおけるような思想がこの頃からあったが、キースラーはまたデ・ステイルの構成原理に関係する作品を創造していた。それは空間都市シダ・テン・レスパースで明らかになっている。

(デ・ステイル 1917―1932 art and environment of neo plasticism 河出書房出版から引用)
J・J・P・アウト アウト=マテネッセの現場事務所


きっかけはデ・ステイルが世界規模で有名になったことのより始まる。キースラーの名を知ったテオ・ファンズ・ドゥースブルフがキースラーの元へ行ったことにより始まったとされている。


フレデリック・キースラー作 「空間都市」
キースラーはデ・ステイルに所属していたこともあってか、デ・ステイルの理念を受け継いだ芸術作品・都市計画の考えを提起している。空間都市といえば何が思いつくだろう?わたしは都市の計画案などでレベウス・ウッズが提唱した空母を利用した空に浮かぶ都市を連想させる。これはもちろんのこと計画案で終わったものだが新たな都市計画として提起させる意味でもこのような突飛な、また奇妙ともいえるこのような計画案は必要であると思う。特に計画案のみで終わる建築グループと言えば建築界のビートルズと言われたアーキグラムなどが有名であろう。このグループは、現在はロンドンの建築学校であるAAスクールで教鞭を取っているピーター・クックをリーダーとして、ロン・へロンら計6人のグループ組織として建築界を席巻させたグループである。特にロン・へロンが主体となって提案した「ウォーキングシティ」は建築界の人々、とくに脳が固まってしまった人々の度肝を抜いたことだろう。まさに名前の通り都市が歩くのである。また他の都市計画として「プラグ・イン・シティ」なども有名である。これらの計画案は実施されることはなかったが、その後の人々、特に日本で作られた設計グループ、メタポリズム(新陳代謝)と呼ばれる菊竹清訓や黒川紀章らを中心としたこのグループの都市計画はまさにこのアーキグラムの影響を受けてないとはいえない。特に黒川紀章らが実際に作った中銀カプセルホテルはまさにアーキグラムの「プラグ・イン・シティ」の考えを受け継いでいるものといえよう。

<city in space> 1925,paris. パリ万国博国際劇場展   <L&T>special display 1924.ウィーン
(デ・ステイル 1917―1932 art and environment of neo plasticism 河出書房出版から引用)
5.マジック・アーキテクチュア

フレデリック・キースラーが書いた建築書なるものが存在する。これは建築書というよりも建築における短編集的なものである。ここにはキースラーの思想について興味深いことが書かれている。

(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)
魔術的建築宣言 1947

19世紀は黄昏を眺めた。そして20世紀始めの25年間は、建築―絵画―彫刻の統合の解体を眺めた。ルネッサンスは、この統合の上に栄えた。人々の信仰が、翼のついた未来の幸せを運んだのである。

われわれの新しい時代は(1947年)は、社会的良心を再発見しようとしている。新しい統一への直覚的な要求が、ふたたび生まれようとしている。この統一への望みは、来世に求められるのではない、ここに、今、求められている。

造形芸術の新しい現実は我々の五感の許容力の他に、精神の必要にも答えられるような、具体的事実のコルリエーションによって明かされる。

建築における「近代機能主義」は死んだ。人間の肉体の宿る身体の王国について、名にひとつの検証なしに、「機能」が唯一の生存者である限り、それは痛手を受け、神秘衛生+審美主義の中で滅亡するであろう。(バウハウス、ル・コルビジェのシステム等)

「迷信の間」は、われわれの時代の表現方法を使いながら、連続建築―絵画―彫刻を目指した最初の貢献を示している。問題は二重であり、一つは、統一の創造であり、二つは、それにより絵画―彫刻―建築の構成要素が、お互いの中へ変更してゆくであろう。

私は、空間的構成をデザインした。私は画家のデュシャン、エルンスト、マッタ、ミロ、タンギーを、また彫刻家のヘアとマリアを招いて、私のプランを実現するように頼んだ。みんな熱心に協力した。私は、それぞれの作家にとって、形態においても内容においても、全体のすべての部分が彼らのためのものであるように計画した。そこには、一つの誤解も生じなかった。もし総体がうまく活動しなかったとしたら、それはすべて、私の失敗に帰するのである。というのは、彼らは私のコルリエーションのプランを、強く信じていたからである。

ある専門領域の芸術家たちの集まりではなく、一組の建築家、-画家―彫刻家に、テーマを司る詩人が加わって創造されたこの共同制作は、たとえ不成功に終わったとしても、我々の造形芸術の発展に、もっとも強い希望をもたらすものとなるであろう。

私は、衛生の神秘主義に反対する。それは「機能主義的建築の迷信に過ぎない
魔術的建築の現実性は、人間自体の総体性に深く根ざしている。そして、それは人間の祝福される部分や、呪われる部分に根ざしているのではない。
(Frederick Kiesler ,Magical Architectureで発表されたものである。)
         
(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)



コルリエーションとは生と死の循環を表すものである。

誕生と破壊の繰り返しのことを指す。
(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)


キースラーの建築はガウディの建築形態に似ている。

そして自然と建築の融合というものを自らのエンドレスによって表した



6.キースラーの殻体構造

キースラーは自分の今までの作品はエンドレスハウスへの過程にすぎないということを述べていた。そのエンドレスハウスの構想に至るまで、キースラーはエンドレスハウスの軌跡となるような作品をいくつか残している。ここではそれらについて述べてゆきたいと思う。

Cave of Meditation
瞑想の洞窟

キースラーの作品には、自然界にある火、水、空気、大地を万物の中心、すなわち宇宙の中心とする考えが根本である。彼の最も晩年に作られた作品「瞑想の洞窟」はインディアナ州、ニューハーモニーの中西部のコミュニティにつくられる予定だったもので、これは貝殻のような部分と、そこに横たわるイルカのオブジェから成っていて、全体が池の上におかれている。貝殻型の空間は強化コンクリートの薄い殻体構造の洞窟で、洗礼を受ける水と火が用意されていて、そこを訪れる人が深い「瞑想状態」に入ることができるように構成されていた。キースラーいわくこの瞑想の洞窟は「私は、人間における関係とは、ただ人間だけに結びついているのではなく、動物の世界にも、植物の世界にも、水にも火にも、つまり限りない全宇宙(全ての物は一つであるということ)に結びつくものであることを示したかったのである。実際のサイズはそれほど大きくは無いが、瞑想の洞窟は瞑想に入る人に、意識の集中の機会を用意し、彼の感性を拡大し、宇宙との一体感をもつことを意図したものである」。この建築は空間自体に人間の潜在的な意識を持たせることにより瞑想状態に入ることができるようになるという物であった。
            (建築のアポカリプス もうひとつの20世紀精神史 飯島洋一 青士社から引用)


この瞑想の洞窟はキースラーの考えを体現している作品であるといえるだろう。キースラーによれば建築の構造体はバウハウスなどの四角い、そして立方体の形態を体現するのではなく、真の建築の構造体は常に連続する構造体であるべきと説いた。また、キースラーは私の全ての作品はエンドレスに基づいているという様に、エンドレスハウスの考えがこの瞑想の洞窟にも現れている。なおこの瞑想の洞窟を見る際にもエンドレスハウスを見ていただくと分かりやすくなると思う。
建築というものは連続性を持つということ、建築家ハンス・ホラインが言うように「全てのものは建築である」と言う考えにキースラーの思想も類似していると考えられる。




キースラーの考え

全てのものは繋がっていなくてはならない

ハンス・ホライン

全てのものは建築である

ハンス・ホラインは自然界にあるものを全て建築として考えている。これは原子レベルで考えると一つの物質の構造体はやはり建築物と同じ安定した形態をしている。これはどんなに大きくしても安定しているものはこの原子レベルの形態に行き着く、そして、この考えは全てのものは建築であるという概念に繋がるものであると考えられる。最近の建築でも原子レベルの構造体をイメージしたような建築思潮が出ている。特に中国の国立プールの国際コンペで見られるあの水の構造体をイメージした形態はまさに原子レベルで建築を考えているといえる。

キースラーの考えはホライン流の全ては建築という考えと類似点はあるが、それより大きな全てのもの、まさしく宇宙は連続性を持っていなければということをエンドレスハウスによって言いたかったのである。
          
(建築のアポカリプス もう一つの建築精神史 飯島洋一 青士社 から引用)

エンドレスハウスは神秘的な思想や、超現実的なイメージから生まれてきたのではない。機械文明の発展とともに失われつつある、人間的な生活の基本的諸条件を前提として、生活の意味の回復を目的とした提案である。


(Frederick kiesler whitney Museum・Nortonから引用)
7.エンドレスハウス「終わりのない家」

エンドレスハウスの空間の意義
空間をより純粋に考えた建築は他にあるだろうか?あまりにたくさん作られている建築は機能や経済を考えすぎてる。より人間の潜在的な思考をも含みうる建築を作ることができたらどんなによいだろうか・・・
       
エンドレスハウス(雑誌 ENDLESS SPACE より引用)

終わりの無い家

1934年にパリで発表され、長さ1フィート、幅8、9インチ、高さ7、8インチのスケールで、楕円形の卵形のデザインであった。この模型は羊歯の葉を背景に演出され、そのため一層原初的、宇宙的なイメージがただようことになった。
1960年にニューヨーク近代美術館の企画展「創造的建築展」で、より発展した形で示された。

これは実物大の約半分の縮尺で作られたもので、前回の卵型が「砕かれ」、さらにそれが複雑に錯綜しながら組み合わされ、再生(蘇り)、メビウスの輪のような、文字通り始まりも終わりもないもの、宇宙の全一性(すべての物体は繋がっているということ)が表されているようで、キースラー自身も「それは、間の肉体のように無限である。始まりも終わりもないのだ」と言うのである。


 キースラーは、最終案では人工池の上に浮かぶ卵型としてイメージし、しかも家の内部にも大きな池をつくり、中央に暖炉(焔)を用意した。
 
キースラーは砕かれた卵のような混沌とした「終わりのない家」によって、宇宙の新しい始まりをモデル化したといえる。新しい生は混沌を通過することによって、つまり破壊を通しして生み出されるはずだからである。(ミルチャ・エリアーデ 録)


フレデリック・キースラーとエンドレスハウス(上図)http://www.classic.archined.nl/news/9611/kiesler_eng.htmlから引用
キースラーのエンドレスハウスの時間による変化

1. 宇宙の意味を持つ卵型の家をまず作る。
2. 卵を壊すことによって建築空間の永遠性を表す。
3. 壊れた卵にあらたな湖(生)を作ることによって生は混沌によって生まれるということを表している。
(瞑想の洞窟と終わりの無い家の詳細 参照著書―建築のアポカリプス)  

※ 補足するがキースラーは建築において、モダニズムや今までの建築のように人工物と自然を別のものとして考えるのではなく、元は共通の物体であるということをこの建築によって表したかったのだと言いたい。
 
エンドレスハウス 図面 山口勝弘 「環境芸術家キースラー」

終わりのない家の平面計画

1.グループ・リヴィング

2.食堂と台所

3.子供の遊び場と工房

4.書斎

5.個人のレクリエーションと寝室

特にこの平面計画で顕著にあらわれていることはこの建築家が機能についてしっかりとした考えを持っていたことにある。最初私はこのキースラーという人は芸術家であって真たる建築家ではないと考えていたが、しかしキースラーの考えの中に調べていくうちに機能を大前提とした、機能主義的な考えを持っていることが判明した。これはやはりキースラーが自分に最も影響を与えた本はアドルフ・ロースの「装飾と罪悪」と言っているように合理主義的な考えがキースラーの根本にはあると言える。そしてこの平面計画は機能主義の概念に従っている。アドルフ・ロースは機能を考えるときに、機能とは必要なものだけで十分であって、余分なものは必要がないと装飾と罪悪で論じた。この意見には筆者も賛成であるが、やはり機能は必要なものだけで十分であり、余分なものは人間の身体で言う脂肪なのである。伊東忠太も建築を人間と例えて論じているが、人間に例えてみると、この機能における余分な部分はやはりいらないものであると感じる。しかし本当に人間と建築を同じものと考えるのならば、もしも寒さや災害に見舞われたときにやはり脂肪はあったほうがよいのではないかというのが疑問に出てくる。ここで機能における必要性というものは難しいものとなってくる。またキースラーのエンドレスハウスのプラン(1950年)に見られることは、休息の場と防音の書斎、居間と食堂そして子供の遊び場と工房に洗面所やトイレなどの従来の住居に見られるプランの配置になっているが、この平面計画を見るとどうやらキースラーは空間の繋がりを意識してかドアによって壁をしきることをしていないようである。しかしそこから生まれる音洩れといった点は特に子供部屋からである音に対抗するために防音の為の書斎を用意している。


機能としての建築

ここで分かる点はキースラーが単に芸術としてこの建築物を建てたのではなく、本当に住まう住居としてこの建築、エンドレスハウスを提案したのである。最初、筆者の見識では建築と芸術、そして自然形態との融合を考えた建築であり、異様なものと見ていたが、キースラーの考えを深く知ることにより、この建築は住まう住居としても機能的な考えがなされている作品であったことを痛感した。
キースラーの建築における空間構成

キースラーは建築における定義というものは機能から建築は作られるのではなくて構造から作られ、そして順番に構造→機能→形態という道を辿るというものであった。これは「機能は形態に従う」モダニズムを否定する意味でも使われたが、キースラーが言いたかったのはそれだけではない。ただの四角い箱や、統制された建築こそが本当の建築なのだろうか?そして原始において建築とは有機的な、洞窟や洞穴であったであったということも、キースラーはエンドレスハウスを作るにいたって、考えているのかもしれない。最近の建築ではキースラーのエンドレスの空間と同じものが最近建築思潮として出てきている。最近の伊藤豊雄のベルギー市庁舎に見られる作品にはキースラーと同じような空間、一般にはクリストファー・アレクザンダー等が言う「有機」、「生態的」、「犠牲物的」などと言われる建築があるが、キースラーの求めた建築形態は50年以上の歳月を経て、近代建築の主流の建築になりつつある。

伊藤豊雄 ゲントの市庁舎計画案 (建築と都市から引用)

キースラーが及ぼした功績

建築において新たな建築を生み出す際に最も必要なことは、まず社会と戦わなければならないということ。人間は心理学においてもそうだが、通常の人間というのは集団行動において一人が違うことをしているとその人物に対して違和感を覚える。例にして言うと「芸術において四角が基本とされる」という教えの中でみんなが四角い芸術作品を生み出しているのに、ひとりだけ不規則な形態を生み出したらどう思うだろうか?「変わっている」、「おかしい」、「きちがい」、「あの人は自分とは違う」等と思うだろう。その中傷や批判の中で新たな建築を生み出すというのは並大抵な精神力ではたえられないことだろう。新古典主義におけるジャン・クロード・ルドゥーやルイス・サリヴァン、両者はゴシックやルネサンスの中世の建築に回帰すると基本的に謳われた新古典主義においてモダニズム建築の先駆けとなったようなパイオニア的存在である。今で言うモダニズム後期の時代に闘ったリベスキンドやゲーリーなどからもみて分かる様にキースラーのように「機能は形態に従う」モダニズム建築を真っ向から批判するというのはものすごいことである。そしてゲーリーのグッゲンハイム・ビルバオなどに置ける形態はキースラーの影響を受けていないといえば嘘になる。


エンドレスハウスの空間分析

エンドレスハウスの空間構成を知る為に模型作りを行った。

・ エンドレスハウス スタディ模型 1/100
・ エンドレスハウス 1/100

エンドレスハウス スタディ模型1/100

エンドレスハウスの模型を創作するにあたって、最初、この殻体構造はどのようにしたらできるのか大変興味深かった。そしてまずはスタディ模型から入ったが、やはり際立つのは形態である。このスタディを取り掛かったのがまだ論文を書き始めて最初だったこともありキースラーのエンドレスハウスに対して理解しきれていない部分があり、自分の最初の印象は正直「なんだこれは!!」というのが最初の印象であった。それは形態が他の建築と違って際立つためであろうと考えられる。スタディといっても、まだ構造体をどのように作るかといった点で悩んでいたこともあったが、大体の外観を知る上でこのスタディ模型は役に立った。やはり四角を基調とするモダニズム建築と比べるとやはり、有機体と人工物の関係、いやこのキースラーの形態も人工物であるが、どことなく自然的なものを感じさせる形態である。



エンドレスハウスの構造体(実際のキースラーの工法通りに作成)

模型作りではキースラーが行った方法をそのまま取り入れた。

キースラーはこの殻体構造を作るためにメッシュ上の鉄で構造体を形成し、そこからコンクリート
で厚さ2.5インチのコンクリートを吹き付けることによりできると言った。

この方法をもとにして模型は作製した。

一番苦労した点はこの構造材を作りそこからコンクリートを吹き付ける時であった。

やはり従来の四角で規格化された鉄筋コンクリート作りのものとは違い、型枠の中にコンクリートを流すといったことが出来なかったので、手作業だったので苦労した。

またキースラーはこの手間を、コンクリートか、鉄筋の入ったプラスチック材を、型の中に押し込んで作ることを考えていた。こうすれば量産することもできるといったのである。この場合基壇の部分は1フィートで、天辺では加重が加わるので2.5インチでよいとキースラーは言った。

キースラーはこのようにしてこのエンドレスハウスが実現できるものとして、そして技術的裏付けを持つものとして提起していたのである。
この殻体構造は普及するかどうか?

しかし、一方で実際にこの建築物を量産するとなるともちろんのこと型枠が必要になるが、従来の方枠は直角が基本となるので、やはりこの形態を普及させるとなるとなにかしらの歴史的な事件が起きるとか、モダニズムが花開く原因と考えられる、世界大戦が2度起きるとか、世界恐慌になるなど、またナポレオンが行ったパリの都市計画などの様に国家権力でもってして強制的に行わせるとかしない限りやはり難しいものとなる。また日本で言うならば1923年の関東大震災が再び起きるとかしない限り(震災前は木造であったが、これを期に火に強いレンガ造りが多くなった。)、この工法が普及するということは現実の世ではやはり難しいだろう。現実の主要な建築はやはり四角なのである。

最近の建築思潮で自然の形態をそのまま建築として利用するものがある。キースラーの求め続けたものが技術的にできるようになったからであろう。そしてまさにキースラーは現代建築の伊東豊雄が言う「新しいリアル」においての先駆者であるということを私は言いたい。



8.キースラーの建築理論

キースラーをより理解していただくために、次にキースラーが書いた論文を書きたいと思う。キースラーが書いた論文を見ることによってフレデリック・キースラーについて理解していただけたら本望である。

コルレアリスムと生技術について  (フレデリック・キースラー著)

―新たなデザイン手法の定義と試みー

この論文の目的は以下の事実を示すことにある。建築の歴史にとって耐えざる危機とは、人間を、集まった力の核として扱おうとする基本法則をもった科学が、長い間欠落していたことに原因がある。私たちにとって、この科学を、建築のデザインの分野の為に発展させ、またその中に適用されるものになるまで、建築デザインは、個々ばらばらの、過度に専門化し、不均等に配分される製品としてありつづけるだろう。そして、多分この科学だけが、建築が、芸術と技術と経済の中に、いい加減な分割物となっている状態を改めてくれるに違いない。そして、建築は人々の日常生活のなかで、社会的な面で構成力をもつものとなるだろう。

今日、私達は、無数に専門分化した科学の根底にあるそれぞれの基礎をつなぐ一般法則を形跡学上の観点ではなく、働きーエネルギーの観点から公式化する課題に直面している。また建築デザインに関する一般法則を公式化する、特定の課題も行わなければならない。しかしこの2つは、密接なつながりがあって、われわれの建築分野でも、物理学、化学、生物学など個々の科学の基礎の理解なしでは、この特別の問題の解決は不可能である。そこで、われわれは近代科学のいくつかの概念を要約し、われわれの特定の課題についての有用性を検討することが、今や避けられない必要事となっているのである。

諸科学の概念と建築のデザイナー

人間は生は遺伝的な諸傾向の進化に起因する。人間は力の核であり、その力は人間に働きかけるとともに、人間もまたその力に働きかける。力とはエネルギーである。エネルギーは、現代科学によれば、電磁気的性質を持っていると考えられている。有機物と無機物の相互関係は、統合と崩壊という2つの性質をもつエネルギーが互いに及ぼしあう衝突である。
重力作用によって、電気エネルギーは目に見える固体の中に発生する。これが統合である。一方磁力と放射とによって、電気エネルギーは希薄化した不可視物質に変わる。これが崩壊である。
 この同化エネルギーと異化エネルギーの一般原理が、存在の唯一の原理であるとするならば、世界は静止し、変化しないものとなるであろう。しかしながら、これら(生と負の)2つの力が心理化学的反応を通じて交替し、常に一方が他方に対して優越しようとする。こうして、定常的にヴァリエーションが生み出される。そして、この製造過程において、新たな核概念と新たな環境とが連続的に形成される。

現実と形式

有機体同士の生物学的相互依存とは、つきつめた分析によれば、あらゆる生物にとっての第一次的要求である。適正な餌、居住、再生産、有害な力からの防衛といったものの結果である。生命とは、これらの第一次的必要性をうるための、個体同士の、また種と種の間の協力、排除、そして闘争の表現である。
 これらの活動的な力が、眼に見える形となったものを、一般的に「物質」と呼び、普通、現実と解釈されているものを構成している。現実が、このように表層的に解釈される理由は、宇宙に働く力の関連について、人間の感覚に限界があるためである。物質とは、現実そのものではなく、「現実」の一表現でしかない。仮に、物質だけが現実であったとしたら、生命は静的なものであろう。
 われわれが「形式」と呼んでいるものは、自然なものであれ、人工のものであれ、緩慢な速度で力同士が、統合と崩壊を繰り返している可視的な場にすぎない。現実は、可視的な形態と、非可視的な形態として、絶え間なく作用しあっている力の2つのカテゴリーからできている。この相互関係による力の交換を、私は「コ・リアリティ」(co-reality)と呼ぶ。そして相互関連性の法則についての科学が、<コルレアリズム>である。<コルリアリズム>という言葉は、人間と彼らの自然環境、技術環境の間に働く、連続的な相互作用のダイナミズムを表している。

自然的、社会的および技術的遺伝

生物学では、力の二つのカテゴリーを、「遺伝」と「環境」の2つに分けた。人間は彼らの上に及ぶ、抗いがたい力の影響を取り扱うための方法を進化させなければならなかった。この目的のために、人間は技術的環境を創造し、種としての人間に与えられた、短い寿命の内だけでも、肉体的生存を維持しようとしたのである。しかし人間は、生物学的にみて、子供のために経験を伝えるのに向いていないので、このことはより一層の困難となった。子供たちは皆、自然への適合を、いつも新しくやり直さなければならなかった。簡単にいえば、一般に信じられているのに反して、両親が習得した特性や習慣は、生殖を通じて子供に与えられる身体細胞の形成として、変形させられることはないのである。「自然」は、安定した遺伝子を、胚珠細胞内に与えることによって、いかなる目的であるにせよ、その目的に根本的に干渉しようとする人間から自分を防禦してきた。この胚珠細胞に「密封された命令」には、自然の意思が収められ、人間は自分の命の範囲内でのみ影響を及ぼすが、その限度を超えて影響を及ぼすことが出来ない。したがって、技術的環境を「デザイン」する人間には、重大な責任が課せられるのである。何故なら、技術的環境が適用されるのは、人間の一代限りという制限があるために、それは人間の防禦メカニズムの部分としてより一層の要求となるのである。こうして、子供が受け継ぐことの出来る唯一の人間としての経験は、訓練と教育による慣習と習慣である。したがって「社会的遺伝」が、人間が頼れるただひとつの道具となるのである。すべての生体が、長い世代の連鎖を経て、自己の種から発生してくるように、イデオロギーとか人間の造りだした物は、古いイデオロギーとか、類似した機能を持つ物の長い系譜から発生する。現代の椅子もまた、疲れた身体を休めるために、人間が持ったほかの道具の長い世代から生み出されたものである。これが、教育を通じて伝承される技術の遺伝というものである。

技術的環境とは何か

生物学者が環境と言う場合、それは常に、地理的なそして動物的な環境を指している。この定義はおそらく、人間を除く全ての生物にとって妥当する。ただ人間だけが、第3の環境、すなわち技術的環境を発達させた。それはまさに始めから、人間にとって親切な仲間であった。この技術的環境は、(シャツから避難所にいたるまで)人間の全環境の中で、構成部分のひとつとなってしまった。かくて、環境の分類は、図1に示してあるように、2分類ではなく3分類になる。すなわち、
 
 1.自然環境
 2.人間環境
 3.技術環境

今、われわれに最も関係が深いのは、上の第3の技術環境の要因である。なぜなら、建築家が活動するのはこの領域においてであるからである。人工の、技術的な道具類は、すでに、氷河期から存在していたのである。

しかしこれまでのいかなる学問分野も、技術環境が人間に及ぼす直接的なまた間接的な、そして自発的なまた受動的な効果を調査し、分析し、図化し、測定しようと試みたことはなかった。また、いかなる学問分野も技術の発達を支配する法則を図化し公式化したものはなかった。これまでにも、技術史に関する数え切れない報告があったが、技術の成長の需要形態論の研究はなかった。
生物学の歴史を研究すれば分かるように、自然現象の観察と体系化が欠如していることに気づいて驚く。ギリシア時代の後も20世紀もの間、ラマルクとダーウィンの出現まで自然科学の新理論は現れなかった。科学的な進化論は、実際には僅か100年の産物である。

同様の状況が技術の分野においても存在する。デザイン現象についての新しい理論が生まれなかったことに驚いてはならない。中世の科学者が、馬がスズメバチを生み、ロバはスズメバチの変種を生み、チーズは鼠を生んだと思っていたのと同様に、現代人は産業が、技術環境を生み出したと思っている。現実には、技術環境は人間の要求、それも絶対的な要求と模倣的な要求とによって生まれたのである。
 ところで、この技術環境は何によって構成されているだろうか。端的にいって、それは人間が、自然をよりよく制御するために開発した道具の全体系からなっている。私は敢えて、道具と言う言葉を用いている。普通、道具と機械の相違は、それらを操作する力が、人力か人間の環境にある力、例えば自然の(水)か、合成の(電気)かのいずれかによって区別される。しかし、個々ばらばらの技術分野の相違よりも、技術的発明全体を理解する方向へ向くべきである。そこで、道具を次のように定義したい。すなわち、自然の制御を増大させるために、人間が創造した全ての手段であると。道具という言葉は、機会という言葉よりも好ましい。そのわけは、道具は、われわれを機械の始まりへと連れ戻し、より高い生産性の段階へ人間を到達させるという、究極の目的へと連れ戻してくれることにある。この意味で、人間にとって生存競争の為に必要とする全てのもの、すなわち人工の技術環境の一部、シャツから避難所まで、大砲から詩まで、電話から絵画までが、道具となるのである。いかなる道具も孤立して存在しない。すべての技術的発案は(co-real)である。それは、人間の全環境に対する関係の中から生じる闘争によって、条件付けられた存在なのである。その存在は、人間の競争のほとばしりによって、従って人間の環境全体に対するそれの関係によって条件付けられる。
 技術環境の持続性は、我々の家や、工場や、輸送用シェルターなどの製造を通して具現化されている、転換された力の、間接的ながら持続的な浸透によって示されている。自然環境に対する人工環境の比率は、人間の生活形態に従って変化する。今日、都市の人間は生活時間の88%近くを屋内で過ごす。郊外部では70%、農村部では43%の割合である。

道具の質的分類

だが、技術環境は人間の発展に影響を与え、その技術自体は自らの発展において遺伝の法則に従う、ということを心にとどめておくべきである。我々は、遺伝の原理が技術の中でも働くことを見る必要がある。従って、どんな道具でも(例えば、ナイフ、工場、家)その斬新的発達は、植物や動物の種と同じように、一直線に展開されることはない。逆に、産業時代の道具の生産は、3つの特性曲線に沿って展開してゆくと思われる。

すなわち標準タイプ(絶対的要求によって展開される)
変種タイプ(補助的目的のため、標準タイプから進化する)
模倣タイプ(前期のいずれかのタイプから直線的、または間接的に発生する。

この第3のタイプは、最大のグループであるが、材料使用効率の欠如とデザイン上、材料上のわずかなへんこうによって、標準タイプと変種タイプと異なる)

これらの3タイプはそれぞれ、発展するための土壌を持っている。標準タイプはそれぞれ、発展するための土壌を持っている。標準タイプは、科学的知識から生成する。変種タイプは、別種の条件への標準タイプの自然的適応として生じ、そこに正当性がある。模倣品は、その偶然的な生存とともに、社会環境内の無知の結果として生み出される。
 模倣タイプはもっとも広く供給され、単位間に消え、もっとも急速に入れ替わる。その結果、エネルギーの分散化が起こり、最初の標準タイプの出現の時期とか、それのより高い効率化レベルへの到達を遅らせたりするなど破壊的効果を生む。
人間の基礎的要求を調整するうえで、模倣タイプの除去と、変種タイプのコントロールが行わなければならない。工業社会の再調整は、模倣タイプを造り出している(人力及び機械力を含む)諸力が、標準タイプと変種タイプの領域に吸収され、その結果、生産性が増強されることである。

要求の進化:欠乏から効率へ

自然の意思が変化する連続性への指向として表されているのだとすれば、人間の目的もまた、生命を維持し延長することにあるように思われる。だが、人間は、そのために彼が受け継いだ肉体装置をもってしては、不可能であることを、経験によって学び取った。それゆえ、人間は、環境に働く力に合わせて彼の自然装置の力を拡張せざるをえなかったのである。人間は、自然に備わったもの(装置)に、防禦と攻撃の人工的な装置を付け加えなければならなかった、道具の製作が始まる。高生産に対する人間の先天性欲望が、その物質的表現を見出し始めるのである。
 こうして、人間は道具を構築する。やがてこの構築された道具から、われわれが技術環境と呼んでいる人間の造りだした関連性をもつ複合体が生まれてくる。しかし、技術環境がもっている多くの明らかな非整合性を訂正するために、次のような問いが必要である。
 その起源から見た本性とは何か。その要求は何か。要求はどのようにして起こるのか。その要求は自然のものか、人工のものか。その要求は静的なのか。進化しているか。要求についての定義は、今日の技術環境のデザイナーにとって最も重要なものとなった。この難関の考察は、建築の研究ではなく、人間の研究に基づいて行わなければナらない。従って、我々の任務は、要求の再定義を行い、この基礎に立脚して技術環境を再統合することであろう。技術的要求の進化を示す図4は、この問題を明確にする手助けになるだろう。
 全ての科学は、人間のいろいろな欠乏に応じて枝分かれしてきたことを忘れないようにしよう。

人間の創造性は、つねに欠乏から効率へと向かっている。この循環的な発展の主要な段階は、一つの生活基準から次の生活基準としてしめされる。社会学者は生活水準の向上と低下について語るが、われわれは、コルレアリズム上の水準についてのみ語ればいい。なぜなら、向上と低下の概念は相対的なものであるにすぎないから。要求は静的ではない。それは進化する。要求の進化における諸段階は図4に示す通り、次の順序で展開すると思われる:

1 現在の基準
2 基準が吸収される
3 吸収は無効力を生む
4 無効力は観察へと導く
5 観察は発見へ導く
6 発見は発明へ導く
7 発明は抵抗に出会う
8 抵抗は「計画的な要求」へ導く
9 計画的な要求は小規模生産へ導く
10 小規模生産は促進を生む
11 促進は量生産へ導く
12 量生産は要求を生み出す
13 絶対的要求は新しい基準となる

図4は一般に考えられているのと異なって、現在の要求は、技術的及び社会経済的変化にとっての直接的動因ではないことを示している。要求は進化する。そしてこの進化は、人間の構造と、その環境の核的性質に基づいている。

健康は人間の究極的要求である

人間を保護するための人工の道具の欠損は、肉体的抵抗の減衰を招く。人間の健康がアンバランスになる。道具の持つ力によって非活性化した人間の身体が、再び活性化しないならば、人間の健康は、疲労を経て死への途をたどる。したがって、あらゆる技術環境の有効性を計る共通分母は、人間の健康である。厳密で、しかも包括的な基準を、健康によって測定するならば、技術は、人間のエネルギーを維持するためのもっとも力強い要因となる。
 健康とは、生命活動を維持する各種の物質と過程とが、均衡的に機能する身体的状態であると思われる。
 個体の抵抗力とは、この均衡が環境からのインパクトに耐えられるか、あるいはそれを九州することができるかの限度のことである。外的要因は自然環境の緊急事態に帰する。内的要因は精神生理学的なものであり、個体に本来的に備わっている。
 健康は、もともと環境への有機的適用によって維持されてきた。これらの適応のあるものは本質的に機能的(消化、体温、血圧、等)であり、あるいは構造的(色素形成、姿勢等)である。社会経済的関係(国家形態、産業、貿易、結婚、等)に示されるように、人間環境への適応も存在する。
 健康の概念は、疲労を連続的過程の一部分として認識する。疲労は、通常、精神生理学的活動(随意的なものおよび不随意的なもの)に付随するエネルギー消費によって生み出される。この消費されたエネルギーは、普通の状況においては、物理化学的過程によって体内で置換される。消費と置換が適正均衡状態にある時、最適効率と言う。この状態が満たされないとき、非効率あるいはエネルギー消費が生じる。すなわち、非活性化である。



環境のコントロールと健康の維持

身体の効率を損なう要因は何か。言うまでもなくそれは、身体が内的、外的環境のある部分に不整合をきたしているのである。技術環境の死活問題は、この不整合を、疲労からの保護(予防)と、疲労の除去(治療)とによって解決する点にかかっている。
 不幸なことに、歴史的にみて、この技術環境は必ずしも、人間の環境に貢献したとはいえない。むしろ逆である。そこで、技術環境を、どの方向に発展させるかという、第二の要求が注目される。工業のための工業の発展は、芸術のための芸術より悪い。ここで、技術的生産の方向のコントロールが、是非とも必要になってくる。環境的なコントロールとは何か。もしコントロールの手段が、環境の一部だとしたら、環境による環境のコントロールという意味になってしまう。しかし、前にも述べたように、環境が、自然、人間、技術の三重構造であるならば、その意味はもっと明確になる。つまり、環境のコントロールとは、技術環境を通して、自然と人間の環境をコントロールすることである。だが、何に関してのコントロールなのか。コルレアリストの観点からすれば、答えは一つである。即ち、人間の健康に関してのコントロールである。従って、環境のコントロールは健康のコントロールになる。それは環境の健康のコントロールでなく、人間と社会の健康を、環境によってコントロールすることである。結局のところ、環境の技術的コントロール、もしくは技術による環境的コントロールという言葉になる。
 技術環境の維持、あるいは適正な‘管理‘は唯一の目的をもつ。つまり、技術環境における適正な健康の維持も唯一の目的をもつ。人間にとっての健康の均衡の維持である。





健康すなわち建築デザインの基準

これまで建築は4つの観点から評価されてきた。(1)美(2)耐久性(3)実用性(4)低コスト、の4つである。しかし、これら4つの要因は、単一の作品に同時に盛り込まれることはなかった。ある建築物が美しくない場合、低価格であるという理由で受容される。低価格でない場合は、耐久性であることで理由付けされる。実用性がない場合は、おそらくその建築物は美しさをもつ。かくして、この長年の矛盾を解く唯一の方法は、すべての場合に妥当する一つの基準を見つけることであると思えわれる。この基準こそ健康であると私は思う。他の基準は、本質的基準を損なわない限りに置いて、消費者と製作者との個人的特性に委ねられてもよいだろう。
 従って、将来、建築がもっぱらリズムの美、材料の並列、現代的スタイル、等々によって評価されるということはなくなるだろう。建築は、人間の心身の安らぎを維持し強化する能力によってのみ評価される。即ち、建築は人間の健康の非活性と再活性をコントロールする道具となる。

‘形式は機能に従う‘-時代遅れのデザイン公式

20世紀初め、機能的デザインについてのいい加減な議論が再び行われた。しかし、この時期に建てられた建築や、この時期に描かれた図面を検討してみると、新しい作り出された機能は全くないことがわかる。
この時期に起きたことは、旧来の装飾を批判し新たな工夫を付け加えることによって、因襲的生活様式に新たな形式がかぶせられただけである。機能とは何か、誰にも定義できなかった。更に悪いことには、環境秩序の新しい理念にふさわしい新しい建築原理は、ただの一つも考えられていなかった。 
 問題はスコラ学派風に提示された。すなわち、機能が形式に従うべきか、あるいは形式が機能に従うべきか、と。ここで建築は、鶏が先か卵が先かという昔からの謎の言い換えに他ならぬ問題を抱え込んだのである。そして、問題のまさに本質が看過された。その問題の本質とは、形式および機能の構造との相関、並びに発生的にこれら3つは思考の原形質に内包されているという事実である。
 もしわれわれがスコラ的アプローチを捨て去るならば、現代のデザイナーは鶏と卵とから貴重な教訓を学ぶことができる。1912年ロックフェラー医学研究所において、孵化過程にある卵があけられた。成長途上のひなが取り出され、その心臓の小片が切除された。そしてこの生きた組織小片は試験管内の溶液の中に移された。溶液中で、細菌、毒物、熱および寒さから保護され、絶えず酸素、砂糖およびその他の栄養物の供給を受けて、その組織小片は、生きているひなの心臓細胞よりはるかに活発に生き続けた。
 
この実験は、生命は生命体からしか発生しないが、それはまたおかれた技術環境にも依存しているという見識の確認である。物理的環境を変化させることによって、生命活動を促進したり遅らせたり、あるいは破壊したりすることができるかもしれない。
 ロックフェラー研究所での生命組織小片を使っての実験は、動物の個体を対象として行った場合には未だに成功していない。だが、計画的に用意された科学的環境は他の動物にとってと同じように、人間にとっても有益であることを実験は示している。同じように人間にとって重要なのは、適切に計画された技術環境なのである。
 ひなの心臓をめぐって考察された疑問とは、初期物質はどの限界点から、いかなる手段を経て、生命をもつに至るかということである。‘自然と人間の間を結ぶあの橋を見出すことが科学の大テーマとなった‘。同様に、人間と人間が造り上げた人工の技術環境との間の橋を見出すことが、未来の建築デザインの大テーマとならなければならない。

機能の新たな定義

 機能が何を意味してきたか、そして機能はデザイナーにかかわる場合、将来何を意味するようになるかを検討しなければならない。機能を静的なものと考えることはできない。さもなければ成長は停止するだろう。環境と人間の相互関係、およびこの相互関係の新たな可能性への展開は、環境の直接の結果ではない。それは、むしろ、生体内に生理学的に既に内在していたか何かが環境によって発達することである。
 機能は、自然環境の上だけでなく人工環境にも依存する。機能的デザインが人間の現状に依存するならば、それは決して発達することはないだろう。機能的デザインは人間の伝統的諸相にのみ留意することになるだろう。だが、人間の進化は、人間の可能性が環境の変化によって増大したり減少したりする事実を立証している。環境に働く力の複合体の一部分を占めている技術環境は、人間の内在的な可能性をより高度の秩序へ向かって抽出し、さらに発展させることに寄与するという自覚に立脚したものでなければならない。人間の内在的可能性は、それを想像し実現ずるデザイナー能力に依存している。
いかなる形態も、それ自体においては不完全である。形態はそれが見えるものであろうと、見えないものであろうと、自発性であろうと、非自発性であろうと、拡散してゆくものとして確認される。従って、新しいデザイナーは、機能を行動への特別の核として定義する。形式は機能にしたがうと想定するのはあやまりである。この概念は、(1)構造、(2)機能、(3)形式、という固有の進行として置き換えなければならない。すべての機能とすべての形式は、構造に内包される。




デザインと生技術の定義

電気の場合と同じように、分極は関連性の核を生み出す。これらの関連性は、より上位への発展のための潜在的可能性である。この点で、人間のあらゆる可能性必要は常時存在しているが、特定の必要は、特別の環境的刺激の要求によってのみ前面に押し出される。
 従って、‘形式は機能にしたがう‘という公式が不適当であるだけでなく、‘機能的デザイン‘がこの公式に立脚するということも同様に不適当であるように思われる。‘デザイン‘という言葉は定義し直さなければならない。建築デザイナーは、物ではなく力を扱うのであるから、私の定義によるデザインとは、団体をめぐって限定されるのではなく、種としての人間の目的に向けて慎重に、自然のもつ力に極性を与えることが出来る。
 このデザインの科学を、私は<生技術>と呼ぶ。それは、生命を望ましい方向へ導くために、人間が開発しなければならない固有の技能であるからである。パトリック・ゲデス卿が用いた生体工学という言葉は、自然界の建築手段を意味するに留まり、人間界の建築手段を意味するものではない。これら2つの手段の間に互換性はない。なぜなら、自然と人間は、2つの異なる原理に基づいて建築する。すなわち、自然は連続性の目的のために、細胞分裂することによって構築する。一方の人間は、連続性のない特別の構造の中に、さまざまな部分を接合することによってのみ構築することができる。にもかかわらず、人間の造りあげた接合体は、究極的に人間ではなく、自然によってコントロールされている。自然の力を受ける接合体には、出来上がった瞬間から、崩壊過程が切迫してくる。それゆえに、建築デザインは、より高い抵抗性、より高い剛性、より安易な維持、より低いコストによる接合の削減を目指さなければならない。こうした熟慮によって、わたしは<連続構造体>の開発をおこなったのである。
 人間が‘一生の間 ‘に可能な建築の限界を認識すればするほど、その構造はより妥当なものとなる。生物学者がいったように、‘百の部分に分離すると即、百の完全なエンジン化するようなエンジンを考えうるかは疑わしい。しかし、池の睡蓮に付着しているあの優美な淡水ポリプを取り出して分断してみよう。翌日には、分断された各断片が一個の完全なポリプとなっているだろう。‘
 新しいデザイナーは、自然がその目的に合わせて建築している方法を理解するようになるだろう(生技術)。しかし、彼は自然の方法を模倣するわけではない。彼は、ロンドンのクリスタルパレスを見舞った災害から必要な結論を引き出すだろう。
 生技術的アプローチは、人間の生理機能のあらゆる核に含まれている特定の活動の可能性を展開させようと試みるものである。(この事実と図2の概念との一致に着目せよ)。これらの可能性は当初は見出されないままでいる。時間の経過を待って始めてそれらは個々にもしくは集合的に展開され、ついには意識的に求められるようになる。その結果として‘人間の本性‘と考えられていた古い枠組みの内部に全く新しい機能が生じる。それは創意発明によって支えられているものだ。

目的:最小生技術基準

生技術的アプローチと機能的アプローチは、異なる源から展開し、異なる結果に至る。一方で、機能的デザインはすべての道具の伝統的な働きに起因する。一方、生技術的デザインは人間の進化の可能性に起因する。機能的デザインは、物体を発展させる。生技術的デザインは、人間を発展させる。機能的デザインは振動的である。生技術的デザインは創作的である。機能的なデザインは不活動的である。生技術的な物体は反応的である。
 生技術者は、疲労要素のコントロールと、再活性の力のコントロールを通して、より高い生活基準を求め社会を進化させてゆく場合の重要な要因として現れる。これは、人体のいかなる部分も単一機能ではないという発見に導き、各微細部分もまた複数の系機能から成る核に他ならないということである。
 そうした発展は生技術者によって促進され、彼は、生技術的最小基準を公式化し、その実現に寄与する。この生技術的最小基準はコルレアリズムに基づくものであって、低所得者層を、巨大なヴィラの委小化された複製に住まわせようとする単なる建築的派生物に基づくべきではない。生技術的最小基準とは、人間の健康の最適要求をみたすような家、職場およびそのコロラリーから成る技術環境のことである。
 必要をみたすすべての物は生きている。それは、必要を満たすことを停止した時、あるいは必要自体が消失した時はじめて死滅する。必要を満足させる自然の創造物はすべて生きている有機体である。同様に、人間の技術の創造物も、丸薬入れであろうと、家であろうと、モーターであろうと、すべてが生きている有機体である。生命の基準とは活動性にあるから、すでに活動性を失った人間は死んでいるものと推定される。その類推から、物が目に見える活動としての自己表現を停止した時、その物は死んでいると推定する。

建築:人間エネルギーの発生器そして非発生器として

 人間の歩く床、人間の座る椅子、人間の横たわるベッド、保護のための壁、風雨を防ぐ屋根、およびその他のあらゆる人工環境のユニットは、それ自身で意味を持つ。だがまた、それらは核の複合力をもつ。一般にそれらは、生命のない物と考えられている。現にそれらは物同士の間と、物と自然の間で働く力の相互関係を表している。それらは、それら自身の内での同化作用力と異化作用力との不断の交換に他ならず、人間との調整、および人間を通しての自己調整において、高ポテンシャルのエネルギーの中心を構成する。
 現代の物理学者は、地球に絶えずすりそそぐ目に見えない宇宙船、放射線および放射性元素について語る。それらは、知覚されないが、長い時間の中にあらゆる生命体に対して何らかの影響を及ぼす。このことは、家や町や都市の‘星間的な‘組織についても言える。但し、この場合の作動する力は生命物質と非生命物質のみではなく、技術的人工体によっても構成される。



活性力としての生技術

技術体(家であれ、機械であれ、その他のいかなる道具であれ)の活動の軌道、領域および機会は、未来の生技術者にとっての対象物である。未来の生技術者は、彼が築き上げた構造はどれも、その活性力に比例しただけの価値があることを知るだろう。
 健康を生み出す技術的道具に対する緊急の要求にもかかわらず、旧式の製造業は、いたずらに市場を騒がすだけである。建築デザイナーに関する限り、そうした反社会的生産を阻止するための彼の貢献は、生技術的アプローチを絶えず用いることであろう。
 生技術的アプローチは進化的デザイン手法へと導いた。この手法は、広くゆきわたっている
日常品から離反してむしろ、物理的技術の研究に従事する。これにより、生技術者は現象の単なる物語的観察に終始することを回避し、発展するプロセスの発生学的説明に依拠して、必要な施設を作り出すことが可能となる。次のページの<動く家庭用の本棚>は生技術デザインの妥当性を示す試みである。家庭用の本の貯蔵が、最初の実験室のテストの対象として選ばれた。その理由は、(1)それがすべての家庭での要求であること、そして(2)それが‘本棚‘というあまりにも標準化されすぎたため、その再デザイン化は当初無駄な企てと思われたこと、である。従って、<動く家庭用の本棚>は、次のような一般表明の傍証となる:機能主義は緊張を道具から人間へと移すが、生技術は人間から道具へと緊張を移す。デザイン・コルリエーション研究所は、1937年秋、ニューヨーク市のコロンビア大学建築学部の一部として、ディーン・レオポルド・アーノルドを長として設立された。その主要目的は、建築デザインへの新しいアプローチ手法を開発し、実際の建設行為によって、生技術の有効性をテストすることであった。その研究は‘専門デザイナー‘のみではなく、学部外の者で自分の専門知識を他の科学分野に生かしたいと望むものをも参加させることによって、促進された。‘生技術的な再居住化‘の最初のテストは、(a)毎日の生活のなじみ深い部分で、(b)確かな満足感を持って受け入られるものでなければならない、という了解の下で行われた。そして研究対象プロセスとして書蔵が選定された。
 残念ながら、この短いスペースで、1年半の研究と実験のあらゆる成果を説明し尽くすことは不可能である。この説明は、とう研究所として、近い将来に発表するつもりである。帰納的意味づけの方法を採用することにより、統合化が可能となる前に、全く新しい‘アプローチ手法‘が展開されなければならないことが明らかになったと言っておこう。なぜなら、本棚に現在用いられている全てのデザインの原理を要約すると一つの結論が出てくる。すなわち、道具にではなく、もっぱら利用者に緊張の負担が置かれている。


 西欧文化における書蔵の歴史を願みて気がついたことは、(本を読むかあるいは貯蔵している人)と、この目的のための特別の道具(この場合、いわゆる‘本棚‘)との間に見つけた唯一の一般に受け入れられていた用語はdwarf shelves という言葉である。すなわち、これは、中世図書館における本棚で、窓敷居まで達するか、もしくは約4フィート6インチの自立した方式である。我々は人間と本棚との生理学的関係を図にし、その結果を図12のような一覧表にした。
 帰納的な方法により、蔵書には4つの主要分類に分けられることが発見された:

(1)一時的所蔵 
(2)積極的所蔵
(3)消極的所蔵
(4)死蔵

これは発見であった。そして、この発見は家庭での蔵書のための新しい生技術的道具の最後の展開に大きな関連を持っていた。なぜなら、これらの4つの段階は、物理的、目的論的および経済的な廃港と密接に結びついているから。それはまた、新聞、雑誌、参考雑誌、小説、ノンフィクション、参考書といった各種の印刷物の供給にも大きな関連を持っていた。それらの要因は、家族構成員の年齢の変化によって影響された。現実の価格とサービス有効性に関する経済的局面が、最後(最小ではない)であった。これは明らかに、家庭の所得水準とその維持しうる居住設備とによって、影響を受けるだろう。
生産技術的には問題は6つの主な局面に還元された:
(1)空間技術 10インチから12インチの普通の寸法を、15インチの深さに増して、本の収容力を増加した。
(2)柔軟性 組み立て部分も、各部分ユニットも360度回転する(図13参照)。組み立てはいずれにしても容易に、ある位置から別の位置に移動することが出来る。各ユニットの取り付け、取り外しにより、収容量が増減できる。
(3)建設システム 利用可能な製造設備と、現在の価格水準が、デザインの中に認識されている。
(4)防禦コントロール 普通考えられている以上に、本は、人間と同じような外気条件のなかで最適寿命を保つ。扉を外すことにより、いつも換気が行われる。埃は、透明な遮断板によって防止される。
(5) 内容分類 この本棚のユニットは、本のサイズが違っても、内容に従った分類可能なデザインである。
(6) 疲労の軽減 人間の身体的限界を考えて、各ユニット及び組み立て部全体がデザインされているので、利用者のストレスは最小限に抑えられている。(図12参照)

我々はいくつかの基本的デザインを開発したが、これらはその1つである。それは新循環タイプと命名されており、これから社会経済の特別な要求にあった多くのヴァリエーションが開発された。<動く家庭用の本棚>は図3に示されている原理をもっている。それは、ヴァリエーション(特定の要求に合致するため)と改良(究極的に、新しい基準によって乗り越えられるため)とを受け入れる。更に重要なのは、本自身も同様の発展法則に従い、究極的にはより新しい‘コミュニケーションの道具‘すなわちマイクロフィルム、テレビジョン、光学判読、等によって置き換えられるかもしれないということが、認識されている点である。この要因は図9に詳細に示されており、そこでは移動式家庭用本棚は技術進歩と時間の中に正しく位置づけられている。



コルレアリスムとは環境における誕生と崩壊のサイクルのことを指す。


キースラーの建築論について

このキースラーの論文から分かることは何であろう?キースラーの建築論は原始の時代で生活の場として行われていた洞窟の回帰ということが考えられている。これはマジック・アーキテクトと呼ばれるキースラーが書いた建築論にも書かれているが、このキースラーのエンドレスハウスは原始への回帰というものが考えられる。

建築を考えたとき、四角、円、角、楕円というものが浮かんでくる。このエンドレスハウスを考えたとき楕円というような形だと感じる。

キースラーの建築に対する考えは間違えなくモダニズムの否定を表している。事実キースラーもモダニズムの四角い建築を非常に嫌っていた。そこからキースラーの建築論は始まると考えられる。

エンドレスハウスには円や楕円といった生物的な形態が謙虚に現れる。この生物的な形態はキースラーだけではなくガウディやアーキグラムのリビングポッドや近年ではジョン・ヨハンセンの建築の新種、伊東豊雄の展示会「新しいリアル」などでも取りだたされているし、黒川記章の新建築の建築思潮についてのコラムでも機械の建築から生物の建築へと言うコラムなど、近代の建築思潮でエンドレスハウスに見られる形態は建築のメディア等でとり立たされている。

そしてエンドレスハウスはキースラーの集大成とも言えるものである。これは2度の建設が試みられたが実際には作られることはなかった。

エンドレスの形態は建築の本質、というものが関係しているのかも知れない。ヴェルフリン著の「抽象芸術と感情」では抽象芸術というものは人間の本質的な感情を表したものであるとされている。そして建築にもこの抽象的とも言える円や楕円形態を利用するべきだということを私は推測する。だからこそキースラーしかり、またガウディしかり自然にあるような、ある意味で自然主義といっていい形態を建築に起こしたのではないかと推測する


エンドレスハウスに見られる構造、キースラーは殻体構造と呼んでいるがこの構造のメリットは

(1)照明の点で有利である。

これは四角いモダニズム建築と比較すると、殻体構造は途切れることがないため、光の反射が永遠に続くことから、照明において非常に効率がいいということを言っている。

(2)音響の点でも有利である。

これもまた照明と同じようにまんべんなくいくことから有利であるということを言っている。

(3)人工の宇宙卵である。

と言う点にあるそしてエンドレスハウスにはキースラーの建築理論が込められているのであるが、どうも科学的に不可解なことをキースラーは言っている。「この建築は人間が作り出す人工の宇宙であり、そしてこの宇宙は人間や生き物が最初に生まれ育った卵から始まる」とされている。これは科学的なものでは解明できづらいものである。そしてこの建築は洞窟をイメージして作られている。それは人間が最初に生活してきたのは洞窟といった自然形態そのままのものであり、この建築は人間の生活においてあるべき場所に帰るためにものであるとしている。そしてこの建築のリビングルームには宇宙の中心性を現すという火と水で構成された蜀台で出来ている。これは円でできている。
またこの宇宙卵という概念は宗教学的な要素で日本では忌み嫌われがちなものであるが、このキースラーの宇宙卵という概念をユング心理学をとうして後に述べてゆきたい。

(4)空間の連続性

空間の連続性というのはバウハウスを代表するようなモダニズム建築と比べて述べている。四角は空間の意味で途切れるが、エンドレスハウスの殻体構造は途切れることがない。そして全てのものは繋がっていなくてはならないというのがこの建築家の理論でもある。

(5)時間の連続性

近代建築は50年持てばいいと言われている。これはモダニズムの建築家でもあるエゴン・アイアーマンも語っている。確かにコンクリート建築は50年もてばいい方である。このキースラーの言っている時間の連続性とはまず建築が施工される。そのあとに竣工されてから生活空間として建築を利用したあと、次に建築が生活空間として利用できなくなったあとに、芸術としてモニュメントとして利用し、風化するまで利用するというものである。それにより、時間の連続性、終わりなき、永遠性がもたらされる建築になるのだとした。エンドレスには建築において3つの主要な段階があるのである。

(1)生活空間として

(2)芸術

(3)土に返る

そしてこれを繰り返す。それにより建築に永遠性が持たされるのだという。









エンドレスハウスでキースラーが最もいいたいことは、
この建築は「構造」「機能」「形態」の順に従って生まれた。
そして5つのメリットがある。

1.照明の点で有利
2.音響の点で有利
3.人工の宇宙である宇宙卵を表す
4.空間の連続性
5.時間の連続性


先にも述べたが3.人口の宇宙である宇宙卵を表すという利点についてはユング心理学のマンダラを踏まえて説明したいと思う。









建築とは何か

キースラーにとって建築とは機能を第一次とか第二次とかに考えるのではなくて(生機能)を実現することを目的としなくてはならない。人間の意識や精神世界も含めて変革を促すものであった。ヴェルフリンの言う抽象芸術に見られる人間の根本的なものを建築形態にもとめ、そして生活空間の充実を考えた結果。この殻体構造を持つ建築、「エンドレスハウス」が出来上がったのである。


キースラー語録

「キースラーほど建築を造らないで有名な建築家はいない」と、フィリップ・ジョンソンが言ったぐらいである。ちなみにフィリップ・ジョンソンの名作であるガラスの家の前にはキースラーが作った宇宙をイメージする彫刻があったが、何の因果か分からないが落雷にあい、壊れてしまった。

「世の中の建築家はみんな雄の建築を作っているが、俺だけは雌の建築を考えてきた。」

シーグラムビルのミースとは長い親友である。

キースラーは、箱型の建築を牢獄と呼んでは嫌っていた。箱は常に、端とか隅がある。建物が、天井とか壁とか床面によって分けられ、それぞれが境界をもって分割されていることが、人間の生きる空間として適切ではないといっている。

しかし、彼にとっては、女性の建築もまた比喩的に、四角い箱型の建築を「雄の建築」と呼び、<エンドレスハウス>を「雌の建築」として称していたのである。

アドルフ・ロースに強い影響を受けた。数ヶ月の間ロースの事務所で働いた経験がある。








キースラーのエンドレスハウスの概念にこの建築は人工の宇宙卵であるということを述べていたが、この概念は何処から来るものなのであろうか?おとぎ話の中で出てくるようなこの言葉は科学的に表せないだろうかと考えた。そこでユングの心理学にこのような人間の超越性や宗教学に見られる神秘性に関する論文などがあったのでそれらを踏まえて述べてゆきたい。


(2).キースラーと曼荼羅(建築形態について)

フレデリック・キースラーにおける円や楕円状の建築形態と曼荼羅の関係

1.ユング心理学と曼荼羅

2.建築における円や楕円

3.太陽と人間

4.宗教と建築

5.ユング心理学とマンダラ

6.エンドレスハウスと曼荼羅

7.参考文献




もしこの疑問点が事実であればこれはすごいことである。






1.ユング心理学と曼荼羅


このキースラーの研究をしている時に、次のような疑問が湧いて来たキースラーにおけるような楕円や湾曲した形はどうして建築形態に利用されるのだろう?・・・

またキースラーの言った、「人工の宇宙卵」とは何を表すのであろうか?

経済や合理的な機能を考えるならばモダニズム建築家達の作品でいいではないかと思わないだろうか?特に曲線や楕円と言うのは宗教建築でよく使われている。とくに抽象絵画などでは曲線や楕円が見挙に現れている。

またキースラーのエンドレスハウスにおける卵形の形態に類似するものとして、アントニオ・ガウディのカサ・ミラなどが似ていると言えないだろうか?ガウディのカサ・ミラもまたバルセロナの自然の岩石をイメージしてできた為か有機的な形態を持っていると言える。またガウディの場合もこのカサ・ミラの内部空間は恐ろしいほど非線形で平面図を見れば分かっていただけると思うが従来の直線や角を使う平面プランと違ってなんと湾曲していることか!そしてこの建築は集合住宅であるがひとつも同じ部屋の構成はないといえる。また湾曲を使うといった点では、また同じくバロックを代表する建築家であるフランチェスコ・ボッロミーニのサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ教会堂に見られる形態もまた湾曲など非線形的な形態をしている。平面図を見ても、卵の有機体の中にいるようである。またこのガウディとボッロミーニはどちらかと言うと建築を理屈ではなく、感性で、また精神性の強い建築であると言える。ガウディは「神の建築家」と晩年呼ばれていたがやはり学生時代から宗教学を熱心に勉強していたこともあり、宗教と建築が密接に関係していると考えられる。ボッロミーニもまた精神的によく考える人物であったらしく、晩年は精神病をわずらってか、自殺によりこの世を去っている。また宗教建築には建築の形態でよく湾曲等が良く使われる。これは何故こうなるのだろうと皆さん考えないだろうか?それは心理学的にも密接に関係しているらしい。世界的に有名である心理学者ユングによれば、人間は精神的にうつになるときや、宗教をやっているもの、また一般の人でも自分の心を描いてくれといわれ、実際にその場で絵画を描くと楕円や円を描くという。精神病院でこれを行った場合ほとんどの人物が楕円を描いたという。


この心理学的な要素は建築に関係しないだろうか?
いや少なからず影響を及ぼしているといえよう。


キースラーのエンドレスハウスを見ていて、何故キースラーのエンドレスハウスに見られる形態は実際にはどのような原理のもとに創造されるのだろうかと考えた。そしてこの円や楕円などの幾何学形態はやはり心理学の要素により共通した点が見られるのが判明した。ここではそれを具体的に明記して取り上げていきたいと思う。

建築とは人間を守るためのシェルターであり、住まうことであり、起源は原始の時代から始まる。心理学とは人間の行動に基づくものであり、古代の哲学者アリストテレスから始まるとされている。

そして建築の形態を作り出すのは人間でありこれもまた人間の行動に基づいているといえる。

そしてまずこの形態について調べる前に人間の行動について調べて行きたいと思う。人間の行動とは心理学と同義の意味として論じて行きたいと思う。

心理学とは、特に一般に知られていることは、人間の心を知りたいと思う心から発するものと私は感じる。人は生きていく上で人間と接するということを日常のものとして行っているものである(秘境などで修行僧のように暮らす人を除いて)。やはり人間社会を築いていく上で大切なことは人間関係であり、そして出来る限り仲良く、友好的に周りとの関係を築いていきたいと思うのは当然なことであるといえよう。私の見解ではそこから心理学の概念が発しているのだと感じる。

また建築とは人が偉大なる大自然たる自然環境から身を守るためにシェルターとして最初は洞窟を利用して、そこから石や木や土、枝などのありとあらゆるものを利用して自分を守るものを造り上げたことから始まると言われている。そこからただ建築を作るだけでなく、人間の欲というものが関わってきたことにより建築はより権力的なものや、利便性をもつもの、宗教的なもの、その他いろいろな用途を持つものとして枝分かれするかのように別れてきたされてきた。

建築形態というものは様々な要素により形成されるのであって、この論文で判明したことが、その部分だけで建築形態が形成されるとは言えないということは事実である。しかしこの建築形態に関する論文は形態の形成にまつわる要素をかなりの分量で占めている可能性を持っている。建築形態を形成する要素がわかるようになればその建築を理解する(なぜそうなるのか?という疑問点など)上で重要になってくるといえよう。建築形態の円や楕円というものに関する論文であるが、この論文が抽象的なものやあいまいなものになってしまうのが怖い点であるが、それらを物理的、客観的観点から論じるように心がけた。


キースラーのエンドレスハウスを考えたときに何故キースラーのような形態が建築として提案されるのだろうか?確かにキースラーの言うように原始の時代は洞窟から始まっているとされているが、この形態を人工で作り出すというのはどういうことなのだろう?現実の建築の諸問題を考えても、キースラーのエンドレスハウスにおける殻体構造は経済面を考えるとやはりお金のかかるものだし、機能的な設計がエンドレスハウスに施されているにしても大変不便な要素があるのではないか?事実、今の近代建築は四角というものが基調になっていて、もちろんそれは建築というものが規格化、工業化された結果だといっていい。家具はもちろん基本的には四角な訳だし、空間の統一性を住居に求めるならば、楕円と四角が入り混じるいやな空間になる可能性がある。だが何故このような建築においてキースラーだけでなく円や楕円というものが建築において使われるのだろうか?
それが科学的に論証するものとして心理学における曼荼羅というものがある。
なぜ急に曼荼羅というものが出てきたのか皆さん不思議に思うだろう。
ユングという著名な心理学者によれば、人間はある特殊な状況になったときに、宗教的な暗示なしに曼荼羅のような図形を見るものらしいという研究が、ユングが心理学の観点からそれを発表した。
こう考えてみるとどうだろうか?建築を形作るときに円や楕円などを宗教建築でおおく見られるのは、これが関係していないだろうか?
精神病患者が書いたもの
(図解・曼荼羅の全て  西上青曜 8頁 PHP研究所から引用)



ユングによれば多くの被験者が曼荼羅のような絵を描くという。


新石器時代の終わりごろ、巨石を土中に立てた遺跡があちこちに見られ、メンヒル(立石)と呼ばれている。

建築形態を考えた時に建築には宗教建築が多々あるという。旧石器時代に見られるストーンヘンジの形態もこの上の図に似ているといえる。ストーンヘンジ自体についてはまだ研究では定かになっていないが、ここで何かしらの儀式的なものが行われていた可能性が強い。人間は宗教的な状況に置かれた場合、円を描くことが多いのではないかという推測が取れる。


人間は潜在的な意識の中に円や楕円を描くのではないかというのではないか?



建築においての円や楕円が使用されるというのもこの心理学的な要素が考えられるのでは?



わたしの提起するこの諸問題は建築を人間が形作るといった点でこのユングの曼荼羅に見られる原理が建築形態にもたらされる可能性があるということである。


もしこの疑問点が事実だとするならば、建築の原理を追及する上で重要な要素となる

釈迦を祀る仏塔 BC3世

パテラ メソポタミアの聖なる円形文様(右)



明らかなのはどの時代、どの国土でも必ず円を描く文様が存在しているということ。

ユングの患者が描いた絵


日輪を取り巻く蛇(生命エネルギーのシンボル)太陽神の頭上に輝く

ユングもこの人間の曼荼羅の関係を調べるためにも自己で曼荼羅を描いている。

曼荼羅における円というのは心理療法においても良好的であるということをユングは言う。

そもそも、人間が住まうものというのは最初は洞窟や森林など直線や直角のない場所で長い歴史を歩んできたのだし、生まれたときにはいっているのは子宮の楕円形の器に入っているのだから、円や楕円において人間が心理療法で有効であるというのは当然のことなのかもしれない。


また洞窟や子宮という概念はキースラーのエンドレスハウスの形成する思考の中にもある。


サンフォード・ホハウザー 海辺の家(幻想の建築P78~79、章国社 ウルリヒ・コンラーツ、ハンス・G・シュぺルリヒ)


彫刻と建築の融合



2.建築における円や楕円

晩年というもの

建築における円や楕円を考えた時にいくつか建築家が浮かんでくる。ガウディやボッロミーニである。そしてもうひとつ疑問点が浮かんでくる。建築家でも機能主義を謳っていた建築家である偉大なるル・コルビジェも、晩年には楕円を使った。抽象的ともいえるロンシャンを晩年に設計している。また晩年になると建築家は有機的ともいえる楕円などを使う建築が多く見られる。フランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館等を見ると、直線や角を主に使っていた巨匠達が自分の死期が近い晩年にこのような円や楕円を使う建築を生み出して死んでいったのを考えると、やはり死を間近にすると、神の存在や生まれ変わりなど、現実的ではない考え、まさしく人間の根本的な精神性ともいえるものが晩年には強くなっているのではないかという疑問点が出てくる。フランク・ロイド・ライトの設計したグッゲンハイムはまさしくライトの建築家としての最後の作品とも言えるものであり、ライト自身もこの作品を作る時、自分の命が残りわずかなのを感じ取っていたはずである。ちなみにこの建築がオープンされる前に偉大なる建築家、フランク・ロイド・ライトはこの世を去った。

またロンシャンにおいてはコルビジェの晩年の作品であるが、これは近代建築の基礎を築いたコルビジェが自分の思想が世界に浸透していく中で機能や経済性だけを考えた建築を見て、自分の建築を通して伝えたかったのではないだろうかというのが考えられる。これは安藤忠雄の著書「建築に夢を見た」で同じようなことが語られている。
ロンシャン教会 
ル・コルビジェ(http://www.hasken.jp/tour01.html#から引用)
グッゲンハイム美術館 フランク・ロイド・ライト (CASABRUTUS誰にでも分かる20世紀建築3大巨匠)

また建築家で言うとガウディとボッロミー二が建築家として存在しているがこの建築家達の作品もまた円や楕円を色濃く使用している。円や楕円を使う建築家には宗教や精神的なことで追い込まれている人物が多い、これは円や楕円というものが人間の神秘的な面や潜在な部分で円や楕円を感じ取る性質がある.

キースラーのエンドレスハウスにはもちろんのこと楕円や円形とも言うべき、生体的な建築形態をしているが、このエンドレスハウスの生活の中心となるリビングスペースに、建築の中心性を現すために、蜀台(fire space)と呼ばれる円形火と水で構成される台を設置している。これはこの蜀台の意味は「水は、火と同じように、人間の源泉として、感覚の泉として、重要な役割を果たしている。そこで、洞窟の中での水の音が、人間の感覚を刺激することを望んでいる。」キースラーの思想には彫刻としての建築、そして人間の生活から出発した建築、人間が作り出した自然とつながったもの、宇宙としての建築を生み出そうと考えたのである。


このようにしてキースラーのエンドレスハウスを考えると、キースラーの殻体構造には
人間の神秘的な、超越的とも言えるようなものが混ざっているかのようである。



円や楕円を多用する建築家

サンカルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ ボッロミー二作(ボッロミー二、G・C・アルガン著P67 鹿島出版社) 

この建築作品はボッロミー二の建築の中でも特に有名な作品となっている。この写真は身廊の天井部分をとったものであるが、ボッロミー二は石工匠から建築家になった人物であるが、精神病に冒されていたといわれている。これはボッロミー二が最後に剣で切りつけて自殺して死んだ。特に自分の作品、エスキス等を人に見られないように燃やすなどしている。ボッロミー二はバロック時代の建築家だが、この時代の2大巨匠として名をなした人物でもある。ちなみに、もうひとりの巨匠はベルニーニである。ボッロミー二だけでなく宗教建築と言うものは神秘性を表すのに円や楕円を使用する傾向が多い。


サンティーボ・アッラ・サピエンツァ ランタン部分の平面図 ボッロミー二作(ボッロミー二、G・C・アルガン著P67 鹿島出版社) 

このボッロミー二の作成した平面図はまさしく、曼荼羅と類似するものといえよう。ユング心理学で人間はある特殊な状況に置いた時に円や楕円を描く性質があるというがまさにこれはボッロミー二が描いた建築においての曼荼羅でありうる。特に建築においては円状のプランは宗教建築、教会建築で見られるものである。


ガウディはキリスト教の信者であり宗教と深く関わりを持っている

アントニオ・ガウディ(1883-1955)に生まれた建築家で、一般にはアールヌーヴォの代表する建築家と言われている。バルセロナの建築家として有名なガウディであるが、特に重要なのはガウディはキリスト信者であり、特にガウディの建築というものは宗教との関わりが根強く残っている。「カサ・ミラは聖母マリアに捧げる建築である」とガウディが言っていることから、そしてまたカサ・ミラの建築の外観はバルセロナの岩山をイメージして形成している。晩年にガウディは神の建築家とバルセロナの人々に崇められていたが、宗教と深く関わったガウディは、モダニズム建築に見られる、直線や垂直をあまり使わずに、一般に生き物のような形、生態的建築というものとしてここでは語っていきたいが、やはりガウディは円や楕円はガウディの全作品に見られるものである。そしてガウディは建築がモダニズムの近代建築が国際的な建築思潮として起こりつつあることをいきどうりを感じ、自分の建築作品を世に出すことによって、建築の本質というものをガウディは伝えたかったのだと私は感じる。ガウディはまさに建築の精神性というものを建築をとうして世に広めて行こうとした建築家であると考えられる。

カーサ・バトリョー3,4,5階平面図 (改装)1904年~1906年 (ガウディ全作品 2解説と資料 P180 六潜社から引用)
カサミラ1階平面図 (ガウディ全作品 2解説と資料 P184 六潜社から引用)
上の平面図で見る限り、ガウディの建築の平面図を見ると円や楕円が中心の作品になっている。またカーサ・バトリョの建築においては右側にブラックホールのような円状のプランになっている。この形態はガウディが建築の中心性を出すために作ったと考えられるが、この神秘性、中心性を考えた時に、まさに曼荼羅の円に似ている.
カサ・ミラ (ガウディ全作品 2解説と資料 P180 六潜社から引用)、

ガウディは学生時代は落ちこぼれで知られているが、これには深いわけがある。これはガウディの家族の経済状態が悪かったせいもあり、学業と仕事を両立して行っていたことと、ちなみに学生時代に親が亡くなってから、大変な生活になったとされている。だが一方でガウディは大学の建築教育をまじめに勉強するよりも、哲学や宗教の授業に率先して出て、あとは図書館で建築の蔵書を読み漁っていたという。この頃からガウディは宗教というものに強い興味を抱いていたという。宗教は神秘的で科学では解明できない要素も多い。そしてガウディの建築自体も彼が著作などを書く建築家ではなかったので、その真意は定かではない。しかし、もし、建築の形態の形成において、人間の心理の中に誰でも円や楕円を無意識の中に抱くとするならば、ガウディの建築は人間の心をそのまま表現した作品なのかもしれない。

3.太陽と人間

ここで太陽と人間を書いたのは、人間が太陽をこの世の中心として、また象徴として考えているからである。そして太陽は円である。

太陽は人間にとっても生物にとっても書くことはできないものとなっている。それは生物のサイクルにおいてまず植物がなければ全ての動物は息絶えるだろう。何故なら酸素を吐き出すのが植物でありこれがなければ一部を除いて、動物は生きることが出来ない。そして植物は光合成というものを太陽光から受けることによってエネルギー物質を作り出し、自らの栄養としている。そう、太陽は私たちにとってなくてはならない密接なものなのである。

朝起きてというが、まず朝を確認する時点で太陽光がさすというのが大前提であり、これはまったくあたりまえなことであり、そして太陽が涼むと共に、照明なるものがない場合、古代の縄文人などは太陽がなくなると眠りに入るという生活を送っていた。太陽は時間を確認する時にも重要であり人間にとって密接な関係を持っているということにある。

ウィリアム・ブレイク(ヤコブの弟子)水彩1800年頃
フリーメイソン 儀式と象徴の旅 W・カーク・マルナルディ著

これはウィリアムヤコブの描いた水彩画であるが上部の月か、太陽をイメージした球体から神の死者が舞い降りるということを表している。

人間が自分の心を描いた絵画を描く時に曼荼羅のようなものを描くとき、関連性の強いものとして、太陽の存在をあげたかったのである。

もちろんのことだが、太陽は国籍、文化に関係なく何処にでもあるものである。これは地球が始まった時よりもずっと昔から存在している。ということは人間が猿だった頃から太陽というものをずっと見続けてきたならば、人間の遺伝子にその太陽の情報が、人間が何もしなくても、しゃべれるようになるのと同じように、ユングの言う潜在的な意識の中に太陽と言う存在、そして円としての太陽を描く性質があると推測できる。そして建築形態、絵画において神秘性を表すのに、円が使われるというのはこの太陽や月というもの、夜空に浮かぶ星が関係している可能性が高い。しかしこれは実際に人を例にして実験などをしたわけではないので、断定はできない要素である。

また(臨床的知の探求、上、山中康裕、斉藤久美子、編集、P93)で乗っている「太陽のシンボリズム」で太陽に関する人間の心理で興味深いことが書かれている。

「危機的な状況にあるとき、我々は内的な自分を空間的時間的な世界軸の中にどうにかして定位しようと試みる。」といわれるように、心的な危機的状況において、人は普段自分が生きている世界やその世界を成り立たせている様々な軸そのものを、改めて問い直さざるを得ない。 (金山由美から引用)

太陽と言うものは人類の精神史でもっとも古くからあるとされている。他の星と比べても比較できないほど重要なものであることは人類が生きることにあたっても重要なことであろう。

エリアーデ著の「太陽と天空神」の中で人間の太陽における神秘性について語られている。この本では太陽のヒエロファニー(聖の顕現)は知らず知らずの内に言語、習慣、文化といった媒体に運ばれて蓄積されてきて、太陽のシンボリズムが、無意識的動作や紋切型表現のための陳腐な手段にすぎなくなるにつれて、太陽はついには「漠然とした宗教経験」の常套句になってしまったとされている。

特に謙虚なのは従来の精神病理において、太陽がテーマとして取り上げられることは決してまれではなかった。精神治療で描画や夢、イメージを用いることが今増えている。
だとするならば建築形態にも太陽をイメージするもの(聖の顕現)として太陽の同じ形態である円を使うとするならば、宗教建築の平面プランに円が使用されることが多いことについて納得できる。



フリーメイソン 儀式と象徴の旅 W・カーク・マルナルディ著 フリーメイソン「ビーブル・モラリゼ」1250年ごろより


これは神が右手で宇宙の寸法を計り、宇宙を創造しているところである。ここでも赤い球体が太陽として宇宙の中に描かれている。


3.宗教と建築

宗教建築には円や楕円と言うものが非常に多く使われている。例えばゴシック建築に見られるバラ窓などはゴシックの寺院のシンボルとして使われている。ランスやアミアンなどの大聖堂で見られるものである。これもやはり建築において象徴的なものとして、また空間において、宗教建築であることを表すかのごとく存在している。
    
また特に際立つのは宗教建築における平面プランである。これはビサンチン建築でも有名なサン・ナビィターレ教会に見られるプランであるが、この時代の宗教背景が見られる建築であり、外部は質素なものとして簡単な構成になっており、逆に内部は鮮やかなフラスコ画などで埋め尽くされた、この時代の建築を代表する作品として現代に伝えられている。この平面は六角形の中に円を描くような構成になっている。ほかにも宗教建築において円状の平面プランを持つものは非常に大きい。

またアジアの仏教建築では特にシナ(中国の唐や宋)建築伝来の頃には屋根の高配に注意がしてほしい、仏教中心である中国の建築では屋根に直線ではなくて、楕円状の少しカーブした屋根になっている。また一方では日本独自文化となってからは日本建築では屋根が直線を作るようになる。これは建築史家である大田博太郎の日本建築史序説に記入されていたものである。

仏教において重要なことは仏像の神秘性を表すのに円が特に使用されているということである。

4.曼荼羅とユング心理学


ユングは人間の心理を様々な被験者に絵(曼荼羅)を描いてもらった。

ここでの曼荼羅とはある特殊なシンボル群のことを指す。

すると共通するものが出てくることが分かった。

(1)円ないし球、または卵の形。

(2)円の形は花(薔薇、水蓮-サンスクリット語ではパドマ)あるいは円として描かれること

(3)中心は太陽・星・十字形によって表現され、たいていは4本、8本ないし12本の光線を放っている。

(4)円、球、十字型しばしば回転しているもの卍として描かれる。

(5)円は中心を取り巻く蛇によって、円状に(ウロボロス)または渦巻状に(オルフェウスの卵)が描かれる。

(6)四角と円の組み合わせ。すなわち四角の中の円、またはその反対。

(7)四角または円形の城・町・中庭(聖域)

(8)眼(瞳孔や虹彩)

(9)四角の形姿のほかに、きわめて稀ではあるが、三角や五角の形姿が現れる。それは以下に見るように、「歪んだ」全体像と考えられる。

個性化とマンダラから引用 C・G・ユング著 p185




絵1
 (個性化とマンダラ C・G・ユング著 P150林道義訳 みすず書房 から引用)
(1~42まで同じものから引用)

曼荼羅とは何か?

曼荼羅はサンスクリット語で円を表すものであり、祭式に使われるもので、ヤントラと呼ばれる瞑想の道具である。それは中心に向かって円を描きながら、いわば心理的視野を狭めていくことによって集中を助けるのである。通常曼荼羅は3つの円を含んでいて、黒か濃い紺色で表されており、それらの円により外界と内界を分けている。外側は炎を表し、人間の欲望を表している。そして欲望の炎からは地獄の苦しみが生まれる。円の外側の淵は墓地が描かれており、すぐ内側には水蓮の葉が輪になっていて、全体でパドマ・水蓮の花・を表している。その内側ではたいてい4つの門がついており、この僧院は聖なる隔離と集中とを意味している。この僧院の内側では4つの基本原色、赤・緑・白・黄が見られ、それらは、4つの方位と、同時に4つの心的な機能とを示している。その内側にはたいてい魔法の円が描かれており、模倣の円によって仕切られたものがあり、瞑想の重要なものとして描かれている。(個性化と曼荼羅 J・ユング著P150みすず書房 を参照)


絵2

河図

中心にはすなわち天があり、そこから4つの流出が空間に広がる。

乾は自己産出的な創造的エネルギー
元は万物に浸透する力
亮は産出力
貞は不変の決定力

の周りに4元素を持った大地が広がっている。



絵3




チベットの世界観

中心には三の原理、鶏・蛇・豚がいる。
これは好色・嫉妬・無知をあらわす。

輪は死の神ヤマに抱かれている。

絵4

ユング直筆のもの


中心の薔薇はルビーを表しており、その外側の円周は輪と考えられており、また門のついた円形の城壁であるとも考えられている。

「夢み手は3人の若い旅仲間と一緒にリヴァプールにいる。夜であり、雨が降っている。あたりには煙と某が立ちこめている。彼らは山のほうから登っていく」

真っ暗な闇を、少ない街灯がわずかに照らしている。しかし池には小さな鳥が見える。そのうえ一本の木が立っている。赤い花の咲いた木蓮である。それは不思議なことに永遠の太陽の光の中に立っている。

絵5




分裂病の素因を持った中年の女性


彼女は曼荼羅を描くたびに彼女の混沌とした心の状態が秩序づけられるというので、たくさんの曼荼羅を描いた。この絵は薔薇の花を表している。

絵6


中年の女性患者

「私は裁繍の複雑な図案を解読しようとしていた。私の姉妹がどうすればよいかを知っているわ。私は、彼女が縁取りをしたハンカチを作ったことがあるかを聞いたところ、彼女は答える、いいえ、でも私どうすればできるか知っているわ。すると糸で図案されたハンカチが見える。しかし仕事はされていない。仕事とは何回もぐるぐる回り、そこからさらにいくつもの円を描いて、中心の四角に近づくことである」

渦巻きは特徴的な色、赤・緑・黄・青で塗られている。中心は四角であり、その表面は4原色を示している。内部の渦巻きは蛇を表している。

絵7







花がますます満開の状態になってきて、醜悪な顔を駆逐し始めている

絵8



この絵はずっと後の状態を示している。細かい丁寧な描写と、豊富な色や形とが、競い合っている。このことから書き手の異常な集中が分かるだけでなく、西洋的な知性主義・合理主義・道徳主義に対して東洋的なもの「花のような性質」を描いていることが分かる。それと同時に人格の新しい中心も見えてきている。

絵9



若い女性患者によるもの



4つの基点に奇妙な顔、鳥、羊、蛇、ライオンの顔が描かれている。内部はからである。
この絵は個人のマンダラと圧倒的多数と同じである。


絵10




一般の若い女性が書いたもの


蛇が4つの放射線状をもつ中心点を取り巻いているという意味では「正統派」である。蛇は外に向かっている。





絵11





ある中年の婦人

外的内的にひどく苦しんでいた時にぺネロペーの織り仕事のようにして仕上げたものである。この女性は医者であるが人生の苦難を和らげてくれるものとして、この魔法の円を何ヶ月もかけて毎日一生懸命に自分の周囲に織り上げていった。

絵12





中心から出ている4本の光が画面全体に放射されている。それによって中心はダイナミックな性格を与えられている。花の構造は4の倍数である。この絵には、ある種の芸術的資質を持っている描き手の激しい性格がよく出ている。また彼女はキリスト教神秘主義が深く感じながらこの絵を描いている。

絵13




初老の女性患者によるもの

花を上からではなく、横から描いたものである。しかし四角のなかの円の形は図案化された輪郭によって守られているので、この絵は描き方は違っているがマンダラと見なすべきである。花は女性的なもの、植物は成長ないし発達を表している。

絵14





ノイローゼの若い女性のものである

蛇が自ら中心にいて、普通蛇は内部の円の外にいるか、あるいは少なくとも中心点を取り巻いているものである。そういった点からもこの患者に異常が見られている。

絵15



中年の女性患者によるもの

四角と円の組み合わせを表している。ここでも植物は芽生えるもの、成長するものを暗示している。中心には太陽が見られる。蛇と木のモチーフが存在しているように、これは楽園のイメージである。

絵16




初老の女性患者によるもの

この絵は「内向的」である。蛇が4つの放射線をもつ中心をとりまいていて、頭を白い中心点のうえに置いている。それにより蛇が後光輪を持っているかのように見える。あたかも蛇が中心点を抱卵している、あるいは宝物を守っているかのようである。すなわち中心はしばしば「得がたい宝物」と呼ばれる。

絵17
中年の女性患者のものである。

彼女は下の網の目のような根にとらえられている。中央では彼女は本を読んでいる。 すなわち知性と知識を増やしている。このマンダラは6本の放射線状を持っている。

絵18




金の玉は金の胚芽に当たる。
玉は回転している
その周囲を回っているクンダリニー(蛇)は2匹になっている。
これは意識を表している

絵19




前の写真と同じ人物のもの

瞑想、すなわち中心への集中が彼女自身によってなされている。
彼女が魚や蛇のかわりに存在している。彼女自身の理想像が貴重な卵を取り巻いている。足は柔らかく曲がっている。

絵20



若い女性によるもの

中心には女性の姿があり、あたかもガラス球か透明な泡の中に閉じ込められているかのようである。まるでここでホムンクルスが生まれようとしているかのようである。

8つの黒い星が見られる。中心から根が囲うようにして4つの星と5つの星が形成されている。5は自然なもの(人間は一つの胴体と5本の突起物からなるから)であり、4は反省された全体性を現している。これは観念的な人間を表している。

絵21





これは前の絵を描いたのと同じ人物である

外側の円は欲望の炎を表している。マンダラの外は一般にチベットの世界観などでは、外側は欲望の炎を表している。この絵ではその炎が具体的に現れている。

絵22




ユング自身によるもの

ここでも中心が星によって象徴されている。何処にでも見られるこの表現は、これまで多くの絵で太陽が中心にあったのにあたる。太陽はまた星であり、この絵は混沌の中から自己が星として書かれているという意味において、重要である。

絵23



初老の女性患者によるもの

上は空であり、下は海である。中心は4枚の羽が回っている。そして中心は橙色で構成されている。

また中心からは4本の線が伸びている。これは一般のマンダラに見られる線の構成である。



絵24



中年の男性によるもの(ユングによるもの)

中心には一つの星がある。青い空には金色の雲が浮かんでいる。4つの基点には人間男姿が見られる。上には瞑想を取っている老人。下には寺院を手にもったロキまたはへパイストス。右と左には黒い女性と白い女性が立っている。ここでは、錬金術の両性具有体のように、「上」と「下」、また「男性的」と「女性的」が統合されている。

インドやイスタンブールの寺院建築では頭の部分などに玉のような形をしたものが使われている。トルコの大建築家であるミーマール・シナンのモスクは円や楕円を描く建築が多い。


絵25



この絵は女性によるものである。

回転する球体の中の乳児として描かれている。4枚の羽は4基本色で塗られている。この子供はヒラヒャルガルバに、また錬金術のホムンクルスに当たるものである。

仏像の神秘性を表すのに、仏像の周りに五光を描くことがよくある。この絵はそれに似ていると感じる。

絵26






回転するマンダラ。注目すべきことは放射線状の4枚の羽が、中心の心の周りを疾走している犬の三者性と対立している。犬に背を向けて走っているが、このことは中心が無意識のうちにあることを示している。

絵27





両親が離婚した11歳の少女の絵

古代のマンダラ模様に近似するもの、この形態は教会の平面プラン等でもよく見られる。

太陽の周りを眼のモチーフとウロボロスを伴った円が取り巻いている。多眼のモチーフは個人のマンダラにもよく使われる。

      絵28


     中年男性が描いたもの



  城壁と堀に囲まれた中世都市を描いたもの街路網と教会が4本の放射状に配置されてる。
  スカモッティのパルマノヴァに類似するマンダラである。このように町をイメージする     マンダラはよく見られる形式である。


絵29・その1

60歳の女性患者によるもの

火の魔神が闇の中を一つの星に向かって飛び上がっていく。その星と結びついて、混沌とした状態から秩序だった堅固な状態へ移行するためである。星は超越的な全体性を現している。



この女性患者は錬金術と言うものを何も知らなかった。

3人の人間が炎の中で同じ格好で星に向かってはしっているのが見える。

絵30・その2





魂が泳ぎながら浮かび上がってくる。

右側に星が見える。火の魔人がその星を目指して魂は動いているのだろうか?


絵31・その3






同じ女性患者が描いたものであるが、これは人間が火の中をもがき苦しんでいるかのように見える。


絵32・その4







これもまた火を表しており、その中から魂が泳ぎながら浮かび上がってくる。

絵33


若い女性患者によるもの



中心を三角としてマンダラが描かれている。

この絵画では女性のジレンマが現れている。

絵34




若い女性によるもの

ノイローゼによって乱されたマンダラ。

この絵は未婚の女性によって、大変葛藤な時期に描かれた。彼女は2人の男性の間でジレンマに陥っていた。外側の縁は4つの異なる色を示している。5個の劣頭を持った星は、すでに述べたように、単に自然的な・地上的な・無意識的な人間を表している。

絵35









これは絵画ではなくゴシック建築のパーダーボルン大聖堂のゴシック様式の窓飾りである。この場合は中心ははっきりしていない。ゴシックの薔薇窓でもそうだが、装飾においても円をシンボルとした建築はよく見られる。

絵36


分裂病の素因をもつ若い女性患者のものである。

病的な要素が、中心の「折れ線」ないし分裂病現象に現れている。折れ線を示すような鋭い形は、傷つけようとする邪悪で破壊的な衝動を暗示している。

花の形で全体的に構成されている。花というものは特に水練などがよく仏像などでも使われているが、蛇に並ぶぐらいよく使われているものである。建築においては花と言うものは装飾においてよく使用されるものである。


絵37





ナヴォア・インディアンのマンダラ。

彼らはこのようなマンダラを長い間骨を折った末、色とりどりの砂を使って治療のために作り上げる。

その仕事は、病人の為に行われるものである。
絵38





ナヴォア・インディアンの砂絵

「男たちの狩猟の歌」の儀式の一部である。4方位が角の生えた4つの顔によって表されている。それらの顔は4方位を表す色で塗られている。


絵39







この絵は中年女性のものである。


彼女はノイローゼになることなく、精神的に成長しようと努力しており、そのために「能動的想像」を応用した。その試みからこの絵が生まれた。これは無意識の海から、新しい眼(意識性)の誕生を表している。



絵40








これはモクニン(チュニス)の古代ローマ時代の床のモザイクの中にあったもの

悪しき眼差しに対する魔除けである。

眼や蛇といったものは人間にとって神秘性を表すのにどうやら重要な役割を持っているようである。

絵41



女性の描いたもの

この女性は影の問題を抱えている。絵の中の女性像は彼女の影を、暗い地価的な側面を表している。彼女は4本の矢を持った車輪の前に立っており、それと一緒になって8本の放射線を持ったマンダラを構成している。上部の4つの蛇は彼女の破壊的な考えを表している。



絵42




エジプトの天母の絵を示す。

彼女は身体を曲げて、丸い地平線をもつ「陸地」を覆う虹の女神のようである。マンダラの背後には魔人に似た空気の神が隠れている。眼のモチーフをもち礼拝する形をしたカーの腕がマンダラを支えている。マンダラは世界を表しているのであろう。


5.エンドレスハウスとマンダラ

エンドレスハウスを考えた時、不可解なものは

・ エンドレスハウスのリビングルームにあるこの建築の中心性を現すという円形の蜀台

・ 人工の宇宙卵を表す

というものである。これはユング心理学のマンダラをとうしての結果

(1)円ないし球、または卵の形。

(2)円の形は花(薔薇、水蓮-サンスクリット語ではパドマ)あるいは円として描かれること

(3)中心は太陽・星・十字形によって表現され、たいていは4本、8本ないし12本の光線を放っている。

(4)円、球、十字型しばしば回転しているもの卍として描かれる。

(5)円は中心を取り巻く蛇によって、円状に(ウロボロス)または渦巻状に(オルフェウスの卵)が描かれる。

(6)四角と円の組み合わせ。すなわち四角の中の円、またはその反対。

(7)四角または円形の城・町・中庭(聖域)

(8)眼(瞳孔や虹彩)

(9)四角の形姿のほかに、きわめて稀ではあるが、三角や五角の形姿が現れる。それは以下に見るように、「歪んだ」全体像と考えられる。

(個性化とマンダラから引用 C・G・ユング著 p185)



宇宙卵とはユング心理学でも見られるように、人間の心理的なものを表す時に円ないし、卵形の形を描く傾向があるということが出ている。これはキースラーはこの建築は人工の宇宙卵であるといった言動は人間の潜在的なもの、心を建築に表したかったということなのだろう。またキースラーの弟子である山口勝弘はキースラーはエンドレスハウスを神秘的なもの、宗教的なものとして捉えているのではなくて、機能的なもの、実際に住まうことを考えて考えているといっている点からも、宇宙卵という概念もまた、人間の心を建築に投影するといった意味で語ったのかもしれない。

次にエンドレスハウスの図面を見てみよう。


エンドレスハウスのリビングルームに建築の中心性を現す蜀台が設置されている。
これもまた、人間は中心性を((2)の3.太陽と人間)星や太陽の象徴性で語ったとうり、一概には言えないが円ないし太陽に近い形態で表す性質があるという。
キースラーが語ったとうりにこの建築は人工の宇宙であってその中心性として蜀台を置き、火を灯すというならば、この蜀台は人間の心理学における太陽の象徴性を表しているのではないだろうか。このように心理学的にこの現実社会では非機能的ともいえるキースラーの言動もまた、意味のないものとはいえないようである。







キースラーのエンドレスハウスに限らず、人間は誰でも、どんな人種でも、どんな文化でも潜在的な意識の中に、また神秘性を形作る時に、円や楕円を描く性質がある可能性が高い。

バウハウスに見られる機能主義、合理主義における建築においては円や楕円は近代建築には不経済なもの、不合理なものとして扱われていたということを私は切実に感じる。

しかし、今一度考える必要性がある。人間の中に神秘性感じ、または心理療法において円や楕円は良いものとされているのは事実である。

円や楕円状のものが人間の無意識的なものとして人間に必要なものであるならば、キースラーのエンドレスハウスの形態をキワモノとして扱うのではなく、住居形態や都市計画として具体的に取り上げるべきである。

アドルフ・ロースの言う装飾というものも人間にとって必要なものであるからこそ、存在していたわけであって、パプア人を装飾をしているからといって否定するのは少し違う。

古代の装飾ではとくに円や楕円というものを使って人間が自分を魅せる為などに利用している。この装飾においても、宗教建築においても、円や楕円は必要不可欠なものとして存在しているのである。


そして一度建築とは何かということをこの論文を通して理解していただけたら光栄である。










円や楕円の建築のメリット


1.円や楕円は照明において有利である。


2.音響においてもミュージアムなどでは有利である。


3.心理療法に適している。


4.人間は丸いものや卵型のものに愛着、または安らぎを感じる。


円や楕円の建築のデメリット


1.規格化された四角い家具や建築設備などを利用することが難しい。


2.四角や直線の建築よりも施工費がかかる。


3.円や楕円の形態を持つ部材の規格化、工業化を行うことが重要である。













(3)直線と直角の皮肉

1.はじめに
2.直線と直角の期限
3.直線なるもの























1.始めに

直線とは何か?直角と何か?そうそれは私たちの日常に当たり前にあるもの。全ての人々にとって当たり前の事物となっている。日常における考えや、効率性や合理性はこの二つのものに支えられているとも言える。しかし、今この合理性と、効率性というおきまりの言葉を再度考える為にも直線と直角の起源を探っていきたいと思う。建築家にとっても、工場主にとっても、そして人々に一般の人々にとっても必ずといっていいほど直線は使われている。そして直角も同じである。この論文では建築における直線や直角だけでなく、私たちに当たり前にある物質や事象、または歴史を用いてこれらを語っていきたい。

これはこの論文を作るに至ったことを語ろうと思うが、私が少しおかしな者なのかも知れぬがずっと社会の常識に疑問を持っていた。
何故、人は人であらねばならない?
何故、人間は生きている?
何故、人間は恋する?
何故、狭い事象の中で生きているのか?
この絶え間なく続く何故は私の事象の中で何ものにも変えられぬほどこれらの探求をほっしていた。

そして私は建築家である。そして今はまだ建築を建てぬ建築家である。そしてまだ旅をしておらぬ

この論文は本の中、狭い日本という国だけの中で研究した結果を語るが、この論文はこれで終わりではない、私が旅をして建築家として独立し、建築を手がけるようになってからこの論文を再度書こうと思っている。

そして本当に建築にとって何が必要で、何が不必要なのか?

建築とは何か?

この雲を追うようなことが少しでも梯子のような役割を持つことが出来たら光栄である。

そして本当に建築は機械でありえるのだろうか?




2.直線と直角の起源

そもそも直線や直角というものは何処から起こったのであろうか?
ルネサンスの頃からもちろんあったし、ギリシャの時代からもあったし、ミケナイやティリュンスにおける先史時代にもあったし、エジプト、メソポタミア文明からもあった。直線というものは数学手法から始まったとされる。人間が生きていく上で、移動をし狩猟していくことから始まり、そしてその土地に在住してから農耕していく中で、経済社会が出来、効率性を持つ中で直線や直角というものは必要なものとして必然的に現れた。

直線というものは建築にとって必要なものであることは確かであるが、どういうものをここでは直線というのだろうか?

直線と直角とは合理化、数学的手法により生まれたもの。

そしてモダニズム建築の原点とも言えるもの。

かのモダニズムにおける巨匠、ル・コルビジェは建築において新たな建築手法、ドミノシステムを提案し、建築において壁で支えるのではなく、柱と梁で支えることにより、この建築のあり方を追求した。そして建築を機械と唱えることにより、建築の規格化、合理化を提唱し、直線や直角はその建築においての主役として扱われるようになり、今、私たちにとって一般的、常識的なものとして扱われている。

これら2つのものを歴史的観点から述べてみようと思う。

まず数学手法、これが第一に考えられる。

近代化、合理化を考える上で数学的考えというものは非常に重要になってくる。

1+1は2なわけであって、3になることはない。

そして建築で考えると、合理的なものや経済的なものは1+1は2というような考えがふさわしいのは一般論である。またベルナール・チュミなどは機能主義を完璧に否定する考えなどを持っているし、アントニオ・ガウディなども合理主義とはかけ離れている建築家であるが建築においてはまぁ、合理性を考えた上では1+1は2的なものが好ましい。

合理性や経済性が示すものは何か?

それは四角である。四角は煉瓦を積むときでも、構造体を考える時も簡単である。柱と梁の構造は古くから私たちの周りに存在しているが、中でも橋などは木が倒れればそれは橋となり、そこが崖であれば柱と梁の構造体となる。そしてこの基本的なものは四角をもってすればさらに安全なものとなる。そして自然の有機体は人間にとって合理性を考えると不都合なものとなり、四角が規格化、合理化され、様々な様式を経て、近代建築、モダニズムへと路を遂げた。

合理性だけを考えると直線や直角というものは非常に重要なものとなるが、建築家にとって建築はなんであるか、それは人に住みよいものを提供するものであるのは間違いない。

しかし、コルビジェらが近代建築運動によって規格化、合理化された建築に建築の未来はあるのだろうか?確かにガウディの言うような、建築は神が創ったのだからそれに従わなくてはならないというのは合理化や経済性を考えるとかけ離れている。だからこそ、この新古典主義が衰え、モダニズム期が全盛になろうとしていた時代のガウディは異端児として見られ、偉大なる巨匠であるにも関わらず、さげすまれてきた感がある。もし建築様式がインターナショナルスタイルではなくて、地域主義を含む、ヴェルフリンが言うような自然主義でに近い様式であったならば、ガウディは世界中で尊敬され、コルビジェらが異端の存在になっていたかも知れぬ。

今、建築は変わろうとしている、そして、新たな時代がやってくる。

建築におけるモダニズムは終わり、ガウディのような円や楕円形態、そして直線と直角を融合させた建築となるはずである。そして前の論文で私はフレデリック・キースラーについてユング心理学をとうしてキースラーの建築論の解明を行ったところ、円や楕円形態、特に楕円では卵形の形が、人間の感情を表現しているものではないかというものを研究した。

そもそも抽象芸術などは人間の感情を表したものといわれている。

そして私自身も自分の感情を表す時に円や楕円を多用する。

抽象主義の絵画、またはデッサンを私は感情の赴くままに描く、時に建築は感情のままに描きすぎると、機能をもたなくなり、その正当な理由性がなくなるため、返答する時に良い言葉が見つからない時がある。しかし、それが人間の感情の表現として、どんな人物でも感情を表現する時に直線や直角よりむしろ円や楕円形態を描くのであれば、建築形態もまたそのような形態を利用するべきなのではないかと感じる。

建築は変容する!

個体から液体、そして気体へ変わるだろう。

自由な造形、自由な形、自由な機能、そして感情を抱くものへ!!

建築とは人間の感情を表すものでなくてはならない、

何も感じぬ機能だけの箱型の建築は終わりを告げるであろう。

そしてコルビジェは偉大だ、この箱の建築に世の中が当たり前になる内に、自らの建築理論を覆してまで、未来への建築へのテーゼとしてロンシャンを描いたのである。

コルビジェはきっと建築の未来への言葉としてこれを描いたのだと私は感じた。そしてこのロンシャン教会とキースラーのエンドレスハウスに私は建築の未来像を感じた

しかし、一方でこの私の未来への建築の推測は私の生きている間では、全ての形態が感情を司るものへと変容するには、まだ多大な壁がるのも事実であるし、建築思潮で自然主義的な考えがもてはやされているが直線や直角というものはこれらとうまく調和して、均等に使われるという時代が来るはずである。直線と直角、そして円や楕円形態の調和こそがこれからの社会に求められているのである。

建築は箱ではならない。

建築は感情を表すものでなければならない。

わたしはまだ建築を建てぬ建築家である。しかし、建築家として生きると決めた上で、事務所を構えた、といっても、今はまだ仕事も来ぬ、意味のない木馬のおもちゃのようなものである。そして執筆をもってして、自らの建築論を語っていこうと思っている。

建築はなんであるか?

解らぬ、しっかりと理解しようとしても本当に正しい答えを導きだそうとしても人間の寿命ではそれらを導き出すことは難しいのは事実である。しかし、私は自分の信念を曲げぬ建築家になりたいと考えている。強情かもしれぬが、これらの信念と忍耐と行動力こそが建築家にとって一番必要なものであると思っている。私は自分の真理が世界中の真理であるということを考えてこの論文を書いている。

直線や直角に使われる建築物はモダニズム建築と一般に言われている。これはミースのファンズワース邸やシーグラムビルなどモダニズム建築を代表するものとして挙がるが、ミースはこの直線と直角を極限なまでに結晶化し、そして美しいデザインとして利用した偉大な建築家である。

モダニズムといえばバウハウスという建築学校が出てくるがこれは近代建築の最先端的なものを世界中に広めた場所として素晴らしいところである。

様々な建築家はここで学びまたは教え、それらのバウハウスの思想が世界中に広まっていった。そうそれはインターナショナルスタイルと呼ばれ、世界中に普及していった。

また、これらの普及は社会情勢が関係していると考えられる。

アメリカの経済恐慌、第一次世界大戦、第二次世界大戦、らが重要なまでにこれらの建築思想、建築思潮に関係している。

建築家はこれらの社会を読んだ上でバウハウスを開いたのであった。いやバウハウスがないとしてもモダニズムは花開いたであろうと考えられる。

しかし、時代は変わったのだ。大戦はない平和な時代へとなった。

そして日本にいる私は名に不自由のない生活をしている。これは私だけではなく日本人全体が経済格差はあるとしても一般にいう、パンを食うには困らないのである。

日本だけではなく世界が平和な時代へとなりつつある、しかし一方ではまた資本主義との格差により、内戦や紛争が絶え間なく続いているのは理解できるが、一方で大国同士が戦争を起こすようなことはなくなったのである。

平和な社会となり、機能主義、経済主義を考えるだけでは、建築はあるべき姿ではなくなってきた。建築は変容するのではなく、変わるべくして変わるのである。幼虫からさなぎへ変わり、蝶へ変わるようにして建築もまた社会に反映して変わらなくてはならない!!





私はフレデリック・キースラーを研究することによって彼の大いなる考えを理解した。人間の潜在的な意識をも含みうる建築を彼は求め続け生涯戦い続けた。この偉大なる建築家は社会的に見れば、モダニズムに勝てずに終わってしまったかもしれないがその建築理論は神秘的というよりも、機能主義的な考えがある。

人間の潜在的な意識とは感情のことである。例えば、建築に入った時に、理屈では表せないような感動をもたらすことがある。これが感情の一部である。真たる建築はこれらを十分に持ち合わせていないといけないのである。

これから書くのは私の建築思想でもあり、これから建築家として戦い続けるものとしてよりよい社会を目指すことを誓う。

人間が心安らげる建築を目指して私は生涯闘い続けようと思う。








3.直線というもの


交差点と連なる町並みで使われる直線

交通路でも、連なる町並みでも直線は使用される。

しかしどうだろう?

人間が作り出すもの意外にこれらは使用されるであろうか?

水平線でも直線のように見えて丸みを少し帯びているし、木や植物などはこれら直線は使っているだろうか?人間の視覚から見れば使われていないことに気がつくはずだ。



しかし、原子レベルで見るとこれらはまた違ってくる。

例えば水はHが2個とOが一個で成り立っている。





(A)、(B)の構造式を見れば、原始のレベルでは直線が使われている。これは間違いない事実である。

建築家にとって、人にとっては建築は視覚のレベルで考えた時にはこの原始レベルの直線と言うものは決して見ることができないものである。

建築は人間の為のものであるならば、視覚で見ることの出来ない直線、自然界に見ることがでいない直線は人間が合理化、経済性を考えて生み出したものであり、原始の法則に従って必然的に生み出されたものであると考えられる。

しかしわたしは直線と直角というものに疑問を持っているのは事実である。直線や四角に人間の心安らぐ建築はできるのであろうかと私はいいたい。

しかし、人間が心安らぐ建築に直線や直角は関与しているのだろうか?

本当に幸せといえる、心にとって落ち着きを与える空間を生み出すにはどうしたらよいのか?

ある建築家は言う。「直線に神は宿らない」と。

またバルセロナの建築家は「自然は神が作ったのだから建築はそれに従わなくてはならない」
と言った。

ここでは2人とも神を述べている。直線や楕円を求めない建築家は神の存在を信じている人物が多い。

直線は合理性と経済性がもたらした人間の為の機械である。
しかしまた人間の為の機械は人間にとって非常に重要である。
合理性を考えた時に楕円形態というものは建設業者からしたら意味嫌われるものである。しかし一方でこれらの不合理性を解決できればどうだろうか?

もしこの自然界で使われる形態が規格化、合理化できるものだとしたら建築の世界は変わるのではないだろうか?

今日私たちの町並みは直線と直角、または鋭角なものが支配している世の中である。しかし、万が一人間の心を表すものが円や楕円形態として形成されるろいうならば、建築の形態もまた箱ではなくて、円や楕円形態の自然界に見られる形態へ変容するべきである。

しかしここで経済性という問題が発生する。これらの自然形態は非常にコストがかかる。これらの問題は建築様式の形成に多大な影響をもたらす。
































(4)人間の本能、そして建築

1.本能なるもの
2.光
3.経済
4.宗教なるもの
5.富なるもの、貧めるもの
6.本能の建築

















1.本能なるもの

建築の世界は人間の視覚から見出されるもの、都市も風景も山も海も丘も全ては全ては人間の目線から放たれている世界である。

建築を創造するということは社会を創造することである。

人間の内なる感情、そう精神世界なるものは夢の世界や人間の無意識といった潜在的なものへと変換するものである。

建築は社会を映し出すと同時に人間の心を表すものでなくてはならない。

そして美しさとは何か?それは人間の視覚が映し出すものである。人間が五感によって感じる世界こそが建築の世界なるものであり、他なる生物とってはまた違う世界となるのである。

建築は人のために創造するのであって他なるもののことを考えて創造するというのもまた、人間の本能ともいうものが働いているのである。それは慈愛の本能でもある。

全て行き着く先は人間による人間の為の建築こそが建築にとってもっともふさわしい姿なのである。

かの有名な近代建築は確かに人間にとって利益をもたらすものであった。

特に経済性という点を考えればそれらはすばらしいものを生み出したのである。

そして規律や厳格さを考えれば、パルテノンがごとくきらびやかさを与えた。

それは1900年代初頭の話である・・・・・

建築にとって社会を描くことは頭の中で考えることはあっても行動するということは実は簡単なようで難しいことなのである。

有名な言葉がある。

「建築は社会を写し出す鏡である。」  ミース・ファン・デル・ローエ 建築家
そう建築は社会性や歴史などから逸脱するものではけっしてありえないということをいっておきたい。どんなに創造性豊かであって誰も考えないようなことを行ったとしてもその人物の独創は夢の構造であるかのごとく、諸所たる現実の産物のパーツを集まって形成されるものである。であるからして、現実の自然の摂理、または社会の構図などを考えていないものは全くもってないと言える。どんな創造も現実の世界で起こるものである。ニュートンもアインシュタインも、現実世界のパーツから新たな創造を生み出したのである。従って社会性や歴史性を完璧に無視するということは完全にありえない世界なのである。

ミースのいったこの言葉は建築というものを切実に表現しているものと言える。

そして社会に選ばれるべき形で、近代建築、モダニズムなるものは世界中に普及していった。

そして直角の詩のごとく、軽やかなメロディのように近代建築の螺旋は広まっていった。

建築は社会性を生み出すものであるというのと同時に、人間の本能に忠実でいなくては建築を創造するということは自然の摂理に歯向かうということをなしているのである。

人間の本能は3大欲求、睡眠欲、食欲、性欲で基本構成をされている。そして支配欲、社会欲、や慈愛に対する欲求などで人間は構成されているのである。ちなみに私は睡眠欲と社会欲や慈愛に対する欲求が強いといえる。24時間ある一日の中で人と言うものはこれらの欲求のもとに生活しているのである。

建築は日本で言う、衣、食、住の中で住と呼ばれるものであるが、このことからも建築というものは人にとって重要な位置を占めているのである。これらのことを考えた上でも建築家は自らを厳しい眼で見る客観的な思考が必要である。

住はどこにでもあるものであると言える。基本、人間は住がない限り生活するということはありえない、衣服を着ないということもありえないし、ましてや食べるということをしない限り、生きてはいけないのである。そして睡眠をするのも住居が必要でもあり、愛を確かめ合うのも住居なくしてはありえないのである。


使いやすさ、そして経済性といったものは建築からとってはきっては離せないものである。

建築家はこれらを考えて創造しなければならない。
本能のままに生きるということは現代社会の人間にとってありえない。

理性なくして人間形成、社会形成は成り立たないのである。

そして理性とは人間にとっての工業をつかさどるもの、

知識、または抑制、そして法のもとにある権力などによる、人間の本能の抑制!!

そして直線や視覚は人間の理性とも言える産物である。

近代建築にとって直線や直角といったものは空間を構成するものとして普遍なるものとなっている。そして直線や直角は工業化、規格化を生み、社会において経済性、合理性という産物を生んだのである。これはすばらしい建築革命であるとえよう。

しかし、人間は動物であるということもまた事実なのである。

そしてこの欲というものによって人間が縛られている限り、(またこれらがないものはすぐに死に絶えているのだが・・・)

そして理性とともにある本能を司ることが人間にとって最も必要な建築なのである。

理性の建築革命から本能の建築革命へ!!

理性とまさに感情を統合する建築こそが建築の新たな姿なのである。

そして本能をあらわすものとは何か?

それは抽象芸術にその姿のヒントが隠されているといえよう。そして仏教に見られる曼荼羅といった形態にもこれらの潜在的なものが隠されている。

建築には隠されたものが未だに発見されるまま残っている。そして従来の近代建築のルートからはこれらは見つかりはしなかった。
私はずっと建築を独学で模索してきた。そして自らの強き意志とブルファイターのごとく闘いを挑むことによって建築の新たな道を切り開きはじめたのである。そして新たな道を開拓していこうと思っている。
私は理性を近代建築に例えてこの著述を行って生きたいが、感情を表すものとは何か?

それは先にも述べたように曼荼羅や抽象芸術にそれらが隠されている。

抽象芸術は人間の心を表現するものといわれている。これはヴォリンゲル著の抽象と感情で語られている。

抽象芸術は根本的な人間の生、人間の感情を表すものであるといわれている。

そして曼荼羅、これはサンスクリット語であり、インド語の中のひとつであるが

曼荼羅は仏教にとって重要な位置を占めるものである。

仏像の後光を指すもの、仏像の後ろにある円形のものやまたは天井に壁画として描かれる場合やまたは都市計画として使われるものなど、様々な場所で曼荼羅は使用されている。

そして曼荼羅は医学療法でも使用されているが、この曼荼羅の性質もまた抽象芸術と同じように建築に使用されているものなのである。


曼荼羅 インド



曼荼羅 チベット

また、これらは人間の潜在的な意識を表している。そして建築にとっても特に円というものは美しいものとして見られているのも事実である。また、曼荼羅というものはアジアだけのものではない。欧州ではアミアン大聖堂に見られるバラ窓も曼荼羅と一部として考えられる。かの有名なユングは曼荼羅に見られる形態を人間の心を表すものなのではないかということを示している。

人間の感情を曼荼羅というものが表しているならば、この円というものは建築にとっても重要なメソッドであるということを示している。上部のチベットの曼荼羅は円の中に人間の欲望と、また、外側に地獄の業火を表現しているものである。これらからは人間の欲望渦巻く社会が描写されているといえよう。

ほかにも曼荼羅というものは様々な形で発見されている。

そしてユングが曼荼羅について調べたところ、以下のような結果が出ている。
ユング心理学のマンダラをとうしての結果

(1)円ないし球、または卵の形。

(2)円の形は花(薔薇、水蓮-サンスクリット語ではパドマ)あるいは円として描かれること

(3)中心は太陽・星・十字形によって表現され、たいていは4本、8本ないし12本の光線を放っている。

(4)円、球、十字型しばしば回転しているもの卍として描かれる。

(5)円は中心を取り巻く蛇によって、円状に(ウロボロス)または渦巻状に(オルフェウスの卵)が描かれる。

(6)四角と円の組み合わせ。すなわち四角の中の円、またはその反対。

(7)四角または円形の城・町・中庭(聖域)

(8)眼(瞳孔や虹彩)

(9)四角の形姿のほかに、きわめて稀ではあるが、三角や五角の形姿が現れる。それは以下に見るように、「歪んだ」全体像と考えられる。

(個性化とマンダラから引用 C・G・ユング著 p185)
このようにして建築に見られる曼荼羅もまたこれらの条件からなっているものといえる。

また、これらの結果はユングが50人の被験者に自分の心の絵画を表現することによって発覚したものである。

まさに曼荼羅は人間の心を表現しているのである。

ユングやヴォリンゲルの言うようにこれら二つの事象は人間の心、本能とも言えるものを視覚の中にあらわしたものなのである。

わたしは一つの実験方住居を提案する。

経済性、合理性も確保しつつ、人間の精神と理性をも含みうる建築、新たなる建築を・・・・

パルテノン神殿に広がる青い空に私は建築の新たな姿を見たのである。

自由な空、そして無限に広がる雲・・・

風のように軽やかに動く建築、

そして規律と均等の調和がなされた建築の新たな定義を

建築の軽やかな流れはパルテノンだけではなく、私たち、世界中の人間を包み込む、

時に激しく、時にやさしく、そして夕焼けの美しさを教えてくれる空に建築の新たな世界が待っているのである。

建築は今、機械時代からそれらを超越しようとする時代にいる。

機械時代、そして生命の時代への変容期、ルネサンスからバロックへと変わる時代に似たまさにマニエリスム的な時代から新しい時代への変容期にいるのである。

しかしまた、この第二次建築革命期は数代に渡って続くことであろう。生時代へ変換するのはまだ近代建築以前に技術的な問題が多々あるのである。

わたしもこの技術的な問題を取り組んで行こうと思うが、この問題解決は非常に困難であるということを行っておこう。

しかし人間は創造するものであれば現実に成すことができるのであるから信念を持ち闘い続けていれば必ず成し遂げられると信じている・・・

本能をつかさどり、そして眼前たる人間の理性を含みたる建築をここに記していきたい。

次のものはひとつの実験的なものである。
以下のものは可変可能な部材からなされる無限の機能の提案である。

これら建築システムをインフィニティと呼ぶ、これはミースのユニバーサルスペースとはまったく違う観点から構築されている。ドミノシステムにより柱と梁の構成が形成され、近代建築に多大な影響をもたらした。そして自由な間取りを形成することを可能にした。しかし、一方で一度決定された間取りを変化させることは非常に難しいし、可能ではあるが資金がいるのが現実である。

そしてユニバーサルスペースはこれらの間取りといったものをまったくといっていいほど排除することによって年代が変わっても使えるという、普遍なる空間をユニバーサルスペースはもたらしたのである。その中でless is more という名言をもたらした。少ないものはより良いことである。

インフィニティは機能的なもの移動が不可能であると一般に言われているものである。水周り、配線等にも従来の固定されるというものを排除するものとなっている。固定されるのではなく、オープンシステムを採用することによってスラブの下に配線や水周りを全て収納し、いつでも好きなときに好きな場所に水周りを指定できるということ考えて使用されている。

機能は固定されるのではなく、いつ何どきも自由に変化する、そして建築は液体のようになる。

機能革命。そして自由な空間の形成がなされるのである。

自由な機能、自由な空間、自由な光をもつ建築こそが新たな近代建築の姿である。
そして人間の本能をも含みうる建築、これが新たな建築の姿になる。

そして本能を考えたもの、人間が動物の頃にあった洞窟、自然への回帰、これは現在の建築家である伊東豊雄などがこれらを行っている。しかし、固定された自然形態というものは、建築にとって不自然さを生み出すのである。それは経済や合理といったものが関係してきてしまう。

ある非線形で、鋭角な建築(国際フォーラム)は芸術として考えればすばらしいものといえるのかもしれない。しかし、一方で機能の不便さを訴えられるのである。機能および、不便さによって住民から督促状がくるであろう。

自然形態を考えたとき、不合理や機能性を考えなくてはならない。それがなければ普遍なる建築としては左右されなくなるであろう。精神と合理性を融合させるということは、経済、コストの上昇を抑えることなくしては成り立たないのである。

しかし建築は本能だけでは成り立たぬ。建築は総合芸術なのである。

本能のままに従う建築は住宅としてはむいてはいない。だが美術館やある特定のものとしては役に立つであろう。A・ポルトマンの言うように7000人のコミュニティに1つそのようなシンボル的なものがあったほうがよいのである。

周辺環境に準じないものは確かに畏敬の念を人々に与えるかもしれない。しかしまた際立って周辺環境と異なるものは人に興味をもたらすものとなるのである。興味を持たすことは人を集める効果をもたらす。まさに例に出すとゲーリーのグッゲンハイム美術館などはまさにこれの成功例であるが、人間は少なからず何かしらのストレスがないと生きていけないのも事実である。

ある人物は言う。東京は混乱した町並みであり、ヨーロッパにおける調和がある町並みがふさわしい。奇抜なものはいらぬ。・・・そこにいたる不思議。

ある人は言う。こんな混沌とかした町並み、ラビリンス的な都市はすばらしい。

個々にいたる諸意見。ありがとうございます。

しかし、刺激あるだけがふさわしいわけではなく、また刺激ないだけではまた不可なのである。

必要最低限、都市に必要な要素を伴うものこそ都市は輝きを増すのである。

人間の価値観は経済、機能性、合理性などに特に開発者、デベロッパーは重きをおくものである。建築を創造するということはそれらも含むのは当然であるが、人間の本能的なものを含まなくてはならない。都市を作るというのは人間を創造することと同義ともいっていい。

本能という人間の生の為の欲求を満たす都市のあり方を模索することこそが建築家にとって必要なことであり、次代の社会に適応すべき建築なのである。

現在は多様な時代、情報化社会である。情報を辿っていけば上には上がいるということを思い知らされる。しかも、自邸の床の上で少しウェブを見るだけでそれを理解してしまうのであるからすえ恐ろしく感じる。

しかしまたこの多様な情報化社会であっても人間の普遍なる意思、変わらぬものというものは絶対的にあるのも事実である。

建築は社会を映し出す鏡であり、そして本能を満たさなくてはならない。

















2.光

建築創造において芸術と建築を別のものとして考えるのではなく、今一度ひとつのものとして考えるべきである。コルビュジェの死後建てられたフェルミニの教会というものは特に重要視すべきなのが光がもたらす空間である。天井からくる2つの光は円と四角の2光である。これは男と女性をあらわしているように推測できる。これはコルビュジェの墓でも表現されていることからこの可能性は高い。コルビュジェが四角、妻のイヴォンヌが円の墓に眠っている。

光を創造するべき才能は天から与えられた天撫の才である。
凄然たる光を操る建築家は人間の潜在的な本能を満たす崇高なる建築家であるといっていい。

これをもっている人間は世に言う大建築家たる素質を持っている人間である。
ルイス・カーンの創造的光に支配された建築は、建築の崇高な理念を再現したものである。
光の織り成す崇芸たる建築。

光とは人間が視覚より認識するものである。可視光は電磁波であり、人間の見える電磁波は380~780mの範囲のものである。他は紫外線や赤外線と呼ばれるものである。

光がないと人間は実社会の物体や現象を認識することができなくなる。

視覚から情報を得るというのは7割がこれを占めるという。

光なくして美しき夕日も、美しき女性の裸体もながめることなどはできはしないのである。

建築家は光を創造する非常に崇高たる職能である。が・・・

実際には光を操れている建築家はごく一部しかいない。

この光の才能なくして建築を創造したとしても落胆する建築ができるばかりである。

これは非常に由々しきことであると感じる。

特に日本において設計の資格を持っているものは非常に多い。

この嘆かわしい自体は改正されるべきである。
建築創造において大事なことは美しい、人間にとってすばらしいと言える普遍なる要素を持っていなくてはならない。

建築社会における諸意見の数々、人間の価値観は近代において違うのだから光の美しさについても違ってくる・・・

確かにそうであるが、近代科学においても自然の世界は絶対に変えられない規律があるのと同時に、人間の美についても絶対に変えられないものがあるのである。都市計画家のケヴィン・リンチは都市のイメージとして社会を一般の人から見た、諸所の意見をもとにして研究したところ、人間の認識するものにおいて共通する項目がいくつか出てきたという。例えば、マンハッタンの都市計画を見れば碁盤の目のように区画されていることが分かるが、これは自動車の効率的な移動などをもたらすことができるが、しかし一方であまりにも均一化しすぎることによって一般の住人から見たら、地元民であれば迷うことはないが、新参者などは都市にシンボルとなるようなもの、道の目印となるようなものがない為に道を迷うというケースがあるという。

均質化したもの、まさに均質化した光というものは普遍なるものを生み出すと同時に合理化、材料の経済効率といったものを生み出す。

しかし一方でまたある程度刺激をもたらすようなものがなくてはいけないのも事実である。

美においても美しいと呼ばれるものは普遍的なものと同時に、そこに住まう人々や、その諸地域の価値観などを知ったうえで模索しなくてはならない。

光において参考にしたいのがシトー修道会が作った建築、ル・トロネである。このヨーロッパで作られた修道院はル・コルビジュエ、ルイス・カーンなど様々な巨匠が言語においても建築においても多様しているものである。

ル・トロネの生み出す、光の空間はまさに建築造形において、機能以外のことを考えるならば、もっとも美しい建築であるといえる。また、ル・コルビュジェ設計のロンシャン教会などはル・トロネを参考にしていると考えられる。

ビサンチン時代のキリスト教の閉鎖的な流れがこのような暗闇の中に漏れ出す、美しい建築を作り出すことができたのであろう。

特に20世紀初頭の近代建築家にとってこの建築は質素な外観をとってしてもモダニズム、近代建築の崇高たる流れをもたらすのであろう。

ル・トロネ シトー修道会



光のおりなす建築は崇高なる建築である。また色彩の実験等によっても普遍なる光のバランスなどが発見されているのも確かである。調和を生み出す青と白、対比を生み出す白と黒、または赤と青などは実験等により証明されているものである。建築はこの限られた色彩の中で形成されるものであるが、色の使い方によって様々に変化する。赤と白と青などはホラー映画のゾンビなどのい多々使われる。これは人間にとって死者のイメージが青みを帯びて血反吐を吐いているという普遍なるイメージがあるからである。このように原始の頃から記憶はないにしても遺伝子の記憶は確実にあるわけであって、青と白がバランスが良いとされるのは、人間がホモサピエンスの頃からある大空が関係しているといえよう。また象徴性として円が美しい形として使われるのも、人間にとって太陽や星空といった古代からある神秘的なものは全て円で構成されているからであるということは人類にとって普遍なる価値を生み出す要因とも言える。

また建築だけでなく、美においても人間の美について出せば分かりやすいと思う。

人間は男と女に分かれる。これは動物が種を残すための自然の摂理でもある。

男にとって重要なことは男は女の価値観を視覚という点で見出すことが多い。

半分が視覚、そしてまた半分が匂いである。なぜ匂いになるかというと、人間の遺伝子形態が匂いにより把握するという事実があるからである。また視覚が半分であるというのは男は女に良い子孫を残せるかというのを判断するために視覚から入るのである。

そしてまた女は男に匂いと権力や地位をもとめる。これは男の強さが社会的な地位に反映されるからである。また経済力があるということはよりよい子孫が安全に残せるといった点で有利であるからである。こういった点からも人間の本能的な意味で普遍なる価値観はあるのである。

そして光の美しさにおいても普遍なる価値をもつもの、本能がおりなす共通の美しさというものは存在するのである。

建築は社会を映し出す鏡であると同時にその鏡はまた、夕焼けのように美しいものでなくてはならない。

イクティノスによるパルテノンの美しき均等と調和、ファンズワースに見られる規律、ル・トロネに見られる光のフォルム、キンベルに見られる厳格さ、そして美しき建築は光において祝福を受けているものである。

私は本能の赴くまま、建築を独学で勉強している。

大学というものに所属していながらも、ほぼ大学では勉強せずに、コルビュジェやガウディや安藤忠雄の生き方に憧れて、独学で建築を学んできた。

独学のつらいのは正しいのかが分からないことと、何よりも一人である。孤独であるということ、人のやったことのないことなのだから、普通の人が考えないようなことを生み出せる。

結果的に独創性というものを生み出すのだが、一方で、闘い続けなければいけないというのが必然的に生まれてくることである。

私は建築を独学で勉強しているが、建築を学び始める人に独学は薦めない。

こんなにきついものであるとは考えもしなかったからである。

もう遅いのでルビコン川を渡るごとく闘い続けるしかない。

闘わなくして自らの意思も、そして社会との対話も続けるというはありえないということをいいたいのである。

自らの未来を切り開いていくのはやはり自分なのである。

誰かに何かを言われてあきらめているような軟い意思では社会の荒波に打ち勝つことはできない。

















3.経済

経済・・・富と貧を象徴するものであるし、社会において人間になくてはならないものである。

経済は建築家だけではなく、全ての人類に共通して重要な事項であるということは免れない、そして経済を持つもの、富をもつものは人間の世界において様々なものを手にすることができる。

経済大国日本において経済を考えるということは近代的な日本人の文化であったといってもいい。

「欧米に追いつけ、追い越せ」とスローガンを掲げた明治以降の日本の社会は世界大戦や戦後の高度成長期をもとにして経済の発展を重視して建築が建造された結果、東京という町並み、そして日本という町並みは江戸の町並みとは打って変わり、コンクリートや鉄やガラス、工業化、規格化された町並みへ変化した。

しかし、都市計画の調和など、バランスを考えるよりも経済成長を考えすぎた結果、都市の町並みはラビリンス的な都市へと変容してしまったのである。

それだけ人間をとりこにする経済、金という人間が物渉の為に生み出したものは人間の欲望なるものの最上位を位置することを表している。

建築家は個性なくしては成り立たないと私は思うが、個性が強すぎると、だいたいの作品が経済性を完璧に無視した作品になる。

その独創的な建築自体が実験的なものであればいいかもしれない、また人の集客を最大の目的にするものであれば、多少の建設費用がかかったとしても建築として成り立つであろうが、住宅においてそれをやりすぎると、まさに個人規模のラビリンスを生み出すこととなる。

私においては個人的にラビリンス的な東京が好きである。と、このように人によっても価値観はまばらである。


建築は社会を生み出すものの生き写しであるから、美しさだけではなくて、調和だけではなくて、経済性を考えていかなくては、人々の為になるものとは言いがたいだろう。

経済を重要視するということは結果的に個々の人の財政的な心の富を生み出すのである。

特に社会において不動産の価値、日本においての価値はやはりシンプルモダンなるものが高い価値を生み出している。そして軽くて滑らかなファッション的な建築を言えるものが近年の建築で流行あいているものであろう。

これらの流れの建築をそつなく作るこができれば市場の建築の価値はその建築を価値の高いものとして評価されることであろう。

経済の運用の効率の高いものとして例えば間取りにおいて玄関をすぐに出て、広がりを持つ住宅の方が売買契約において行い易いという事実もある。

また奇抜性、を持つ空間というのは大抵が建築の施工において困難が予想されることや、また伊東豊雄に見られるもの、ガウディに見られる建築形態は非常に建築においてのコストを生み出す。直線よりも自然形態的なもの、スプロールされる形態の方が人間にとっては行い易いが、機械において大量生産する、合理化を求めることを考えると非常に扱いづらいという事実がある。

また有機的な形態、特にHPシェルなどで構成される建築は従来のコンクリート建築と比べて、施工費が高いのもこれらが普遍なるものとして普及されることへの妨げへとなっている。

事実ガウディは思想や建築に対する考えは建築で合理的なものがあるが、経済性を考えた上では非常に扱いづらいものであるといえる。

自然は神が創ったのだからそれらに従わなくてはならない

という思想は共感を持てるが、視覚だけを考えるだけでは建築にとって果たして合理的なものと言えるかは疑問になってくるところがある。

建築家は様々な要因を考慮して建築創造を行わなくてはならない。
しかし、ガウディの果たした功績は非常にすばらしいものであるといえる。

わたしは尊敬する建築家にガウディを必ず挙げるし、コルビュジェと同じように尊敬すべき存在である。

自然形態の一番の問題は施工費に関するものである。これらを解決することができれば建築の世界は変容するようになるとわたしは思っている。

経済発展の中で犠牲となるもの、それは人間の感情なるもの、抽象芸術に見られるものである。

人間を機械なしに考えてみると人間は自然界を同じスプロール的な面を持つ生き物である。

経済偏重によってもたらすものは工業化、規格化された部材による均質な空間、直線と直角の支配する世界である。

規格化された工業寸法からは規格化された建築、建築空間をもたらすであるだろう。

しかしまた人間は様々な個があるように、均質された空間もまた必要であるが、また様々に対応するものでなくてはならぬ。

建築創造において一方で個を偏重しすぎると経済は反するものとしてあなたに帰ってくるであろう。

しかしまたスプロール的空間、人間は直線には動かないで紆余曲折して動く傾向がある。これは心理学でも証明されている事実である。

この経済と人間の本能的な問題はインフィニティをもってして解決することであろう。

自由な機能こそ建築おいて重要な要素である。メタポリズムのように建築を次から次へと壊し、創造していくのではなくて、建築を残しながらも変容を重ねる建築、それが私の言う建築である。

であるからしてこのインフィニティの研究を更なるものをもってして進めていきたいと思う。

ミースのように均質な空間でもなく、ガウディのように有機的で使いづらい空間でもない・・・・

それがインフィニティ、無限なる空間である。

私は独学で建築を学んでいるが、この確信は今後、更なる進展をもってして人々に寄与していくこととなるであろう。

自由な機能、自由な光、自由な空間をもたらすものこそ近代建築に必要なものであるということを私は言いたいのである。

まだこの研究は発展途上であるからして、様々な実験をしていかなくてはならぬ。























4.富なるもの、貧めるもの

建築創造において経済を必ず考えて建築を創造しなければならないのは当然のことであるが、
必ず出てくる現象がこの富裕層と中流層、そして下流層である。

建築創造においてこの経済格差から生まれるものの影響は非常に大きい割合を占める。

貧困、中流、そして富裕層!

現在の日本社会において中流の占める割合は非常に多い。そして中流という欺瞞に満ちた言葉に犯されている日本人は自分が中の上であるという基本的な勘違いを一部の特権階級に支配された人々により洗脳されているのであるがそれに気づかない・・・

日本において建築というものは日本独特の調和、そして中流層が富裕層により支配されている基本概念により日本は支配されている・・・支配されきっているのだ・・・

建築創造においてこの格差がもたらすものは何であるか?

そして貧困者は何を建築に求めるのか?

生まれながらにして貧困となるものは何をすべきであるのか?

そして社会を生み出すもの、富裕層達は何をしなくてはならないのか?

確たる腐敗、確たる権力者たちによる建築支配。

貧困者達から出る一部の成功者たちの成功秘話。

しかしそれは現実を紡ぎだしていないのである。

能力の高いものは能力の高いものと繋がる。そして権力をもつものは権力をその子供に残す。

それらから生み出される。無限なるスパイラル・・・

建築社会によってもこれらは変えようのないものとなっている。しかし変えようとするものがなくては絶対に変えることができないであろう。
貧困者の建築はスラム街などに見られるバラックなどであることが多い。これはまた日本ではホームレスのビニールなどのダンボールハウスなどであろうか?建築は資金がかかるものである為、貧困者にとって建築を作り出すというのは至難の技に等しいものである。

資金力を持つ人々は資金にものを言わせ著名な建築家に家を頼んだり、また豪華な材料を使用して、建築設計において資金たるものは欠いてはいけないものであるが、貧困者はこれら考えることなく、決められた、そして限られた建築を創造するかもしくは創造することもできないのである。

日本において飢餓などは起こることなどほぼありえないが、貧困と建築の関係は飢餓と死者の関係に似ている。飢餓が激しければそれに比例して死者数が多くなるように、貧困もまた建築に比例するようにして減っていく、もしくは劣化していくものとなる。

現実には飢餓を解決することは困難であるが、事実飢餓を解決できるほどの食料はあるにもかかわらずそれらがなされていないように、建築もまた住宅供給がなされていないのである。

建築を持たないもの、また住居がないものは全世界で11億人にも及ぶ、そしてこれが何を表しているのか?

そして建築家は何を考えなくてはいけないのか?今一度考える必要がある。

日本において飢餓や貧困といったものが深刻ではない国にとってこのような現状を知るということは難しいのかも知れない。

しかし、人間の創造は社会を変える力となるのは事実である。実際に様々な不可能といわれたものは人間の創造によって現実の物となったのである。

建築創造において、そして社会の新たな創造によって社会がよりよくなるというのならば、私はこの不可能と一般に言われることに賭けてみたいのである。だからこそ建築家という職業を選らんだのかもしれない。

日本において格差社会と現在はもてはやされているが、2007年5月31日の現在の所得の平均は530万円程度である。これは少し減少しているが、これはまた一方で社会の格差を生み出す象徴となっている。

事実、日本において景気自体は上向きになっているのである。このことからも格差が広がっているのは事実である。





























4.宗教なるもの

「ああ、神よ、私をこの世から救いたまえ」

神を信じるものは救われる・・・

宗教社会の現実、しかし日本において神を敬うということはほとんどないといってもいい。

むしろ宗教に何かしら所属していると変人の目で見られる。

しかし、昔から何故人は神を信じるのか?何故何も助けてはくれない神という人間が作った産物を崇めるのか?そして宗教建築に見られるものとは?

精神と建築を考えたときに宗教建築というのは密接に関係している。

仏教に見られる類似した形態。そしてキリスト教に見られるバシリカ建築、そしてヒンドゥー教に見られるモスクなどである。

しかしまた日本において宗教なるものは現在では忌み嫌われるものとして扱われているそれは何故か?宗教を信じる文化は特に日本においては皆無に等しいといっていい。

人間は大昔において豊作を願うために神を敬い、貢物を納めてきた。

そして災害や地震などによる天災も、神によるものとし、生贄などによりそれらを沈めようとした。

特にマヤ文明において生贄は古代の頃は人間が捧げられる場合などもあった。
それほど人間にとって神というものは非常に強い影響を与えてきた。

心理学において神を信じるものは何かしら強いものがあるという、これは支えとなるものがあるからそれを信じることによって人間の能力が向上するためだろうか?

建築においては宗教建築というもの、または権力建築なるものはシンメトリーを基調として形成されたきた。これは中心における象徴性を現すためと考えられる。


また日本においての建築は特に仏教伝来などによって広まっていったが、法隆寺などは構成がアシンメトリーとなっている。

また平安時代に建造された平等院鳳凰堂などはシンメトリーの建築である。

住居形態に見られるものは寝殿造りにおいて初期はシンメトリーが見られたが、アシンメトリーの構成として形成されるようになり、今の住居形態というものはシンメトリーというものが全くといって良いほどないと言える。

むしろシンメトリーを表すものといえばビサンチンを代表とするサン・ナ・ビィターレ教会堂やフィッシャー・オン・エルラッハのウィーンのザンクトカール教会堂などであろうか。

宗教と建築・・・これらが紡ぎだすものは何か?

キリスト教の信者であったガウディの自然形態的建築、カタロニアヴォールトと呼ばれた工法や逆さ吊りの工法による建築はまさに宗教建築の代表的な作品を作り出した建築家であるといえる。

そしてガウディは「自然は神が創ったのだからそれに従わなくてはならない」と・・・

ヒルベルザイマーはこう言う、「直線に神は宿らない」と・・・

宗教において密接に関係する直線や直角にないもの、そして自然形態、スプロールなるもの!!

特に抽象芸術が人間のありのままの造形を生み出しているといえるが、精神性に関係しているものはまさに直線や直角ではなく円や楕円形態なのである。

直線と直角を否定する建築というものは人間の精神を写し出すものなのかもしれない。



5.本能の建築

本能の建築とは何か?

そして新世界の建築とは?

人間の合理性と精神が緊密に結びついたもの・・・

それが新たな21世紀の建築である。

合理的で、快適で、そして人間の潜在的な意識をも含みうる建築こそが建築の新たな定義であり、それにしたがわなくてはならない。

建築社会を創造するということは人間にとって最もふさわしい形、そして建築でなくてはならないのに、近代建築は合理だけを考える建築となってしまった。

人間の個性があるように、その人、その人に対応する無限の可能性を持った建築こそが建築なのである。

機能主義者、経済崇拝主義者達は今一度建築について再考すべきである。

そして人間が創造することを可能にできる能力があるというのであれば、

私は闘い続けたい。

全ての人間が快適な家に住める建築を目指して。

精神性と合理主義を含む新しい時代の国際様式を研究していきたいと思っている。

建築家は人の為にあるものであり、自己満足の為に建築を創造してはならない。

命ある限りここに人々の未来を信じて闘い続けようとここに誓う。

建築は人の為にあるべきである。


感情を赴くままに建築を創造するということは、抽象芸術をそのまま建築に表現しようということであり、経済や合理を考えた上で、非常に醜悪なものができてしまうのは疑いの余地がない。

7000人のシンボルとしてはいいかもしれぬが、やはりシンボルもまた、機能を考えなくては建築とはいえぬ。

グッゲンハイム・ビルバオもまた形態だけではなく、機能もしっかりと考えられているものである。

「形態は機能に従う」というモダニズムの伝説的言葉はかの有名なフランク・ロイド・ライトの師匠であるルイス・サリヴァンが提唱したものであるが、これは近代建築において合理性、経済性なども考慮したうえで間違いとは言えない。

そして「住宅は住むための機能である」という言葉も近代において正解であったからこれを発言した巨匠は偉大なる建築家になったのである。

住宅は住むための機械という言葉はこの巨匠の言いたかったこととは少し曲がって伝わってしまった。機械という言葉は合理性や機能性、そして経済性だけを考えた建築ととらわれ易い言葉であった為に、少し冷たく伝わってしまった。

住宅供給において建築というものは合理的、大量生産的であればあるほど有利である。だがもし自然形態、ガウディなどの造形、抽象芸術に見られるものに人間の精神が関係しているというならば、これらを含みえて大量生産でき合理的な建築こそが建築の新たな定義であり、建築家、建設家、またはゼネコンなどはこれらをもとにして建築創造を行わなければ、都市は冷たい建築となっていくだろう。

これらの解決はまだ何十年先となるだろう。

そして合理性+精神性こそが今の都市に求められているものである。

都市を創造することは正直容易ではないが、誰かがやらなければこれらは変えることはできないであろう。

そして何度も言うが、建築は経済の為にあるのではなく、人の為にあるのである。

インフィニティなる建築システムはこれらを解決できればと考えたもの、合理性を保ちつつ機能が機能でなくなる建築を考えた。

機能の固定ほど建築を制限するものはない。

そして時が経つにつれて変化するのが建築であるといっていい。

家族が出き、そして子供が生まれ、その子供が独立していくように機能もまた変化しなくてはならない。

建築においてこれらは増築によって解決されるが、それらでもまた規制、建築として縛られてしまう。特に、土地のない空間ではこれら増築によっての解決は非常に難しい。

それを解決するのがインフィニティという建築システムである。

まだこれらは研究の余地があるが、これらができるようになれば建築はより自由なものとなるであろう。

建築家という職能はまず第一に言えることは、厳しいということであるといってもいい。

建築家を志す学生は、第一にあのデザイン誌に載っているあの建築写真を見て建築家を志すが、そして現実に建築を始めて3年目ぐらいに知り、あきらめていく。

しかしそこであきらめるようなら建築家には向いてはいないといえる。

建築家の資質としてあげたいのは何よりも打たれ強さであると言える。

そして何よりも若い頃は多年島の航海をするべきである。

これは穏やかな海を行くよりも、嵐の中を行った方が人間として非常に成長できるのはいうまでもない。人間は苦難が多いほど成長する生き物である。

成功者は建築の分野でなくても、たいていが死を賭した努力をしているものである。
私も21の頃からこれらを遂行しているがこれほどきついことであるとは思いもしなかった。
建築を学ぶものはこれだけは覚悟がいる、特に建築家として生きていこうとするものは建築というものが人の為にあるということ、そして何よりも建築の世界において未来を切り開いていく素晴らしい職能であるということをいいたいのである。

建築家は建築、建設、デザイン、不動産の世界の最上位であるということは間違いがないが、これらの世界にはみんなが望むわけであり、競争も熾烈であるが、まず一つ言えることは建築の空間、三次元化する能力がないものは建築家には向いていないといえる。

もしこれら天蕪の才を持たないものには建築家はお勧めしない。

これほど建築家という職能が厳しい職業であるとは思いもしなかったからである。

そして何よりも建築史を勉強するべきである。

過去を否定するという運動もあるが、まず過去を知らない限りそれらを否定することもできないのではないかと私はいいたい。

私は建築において建築史を学ぶことに3年を費やした。
崇高な建築家達は全て建築史についても長けていることは疑いの余地はない。

そして建築家も建築の中で生きるだけではなくて様々な社会を知るべきである。

私は建築家は経営者でもあるのだから、もっと経営学について学ぶべきであると思うし、経済学についても学ぶべきである。

日本において建築家があまり欧米においての高い位置を示していないのはまず建築士が多いのと、経営においてのスキルが非常に低いことが一番の問題でないのかと思う。

建築は一番高価であり、経済効果をもたらす効果が非常に大きいのに、それらを創造する建築家のなんたる無知さであろうか?

これはなげかわしい事態である。

建築家として建設家としてこれら諸問題に対して取り組んでいこうと考えている。
6.人間の本能について

食がなくして建築はありえないものである。

そして家がなくては自分を守れないし、睡眠を行うこともできない。

そして愛をはぐくむこともできないのである。これができなくては人類は滅んでしまう。

そして何よりもこれら全てに関係しているのが建築であるといえる。

キッチンも建築であるし、ベッドを作る空間も建築である、そして風呂場も建築であるということは疑いようがない。

私は実験の要素としてある敷地に人間の本能のみで構成される図書館を考えた。

この建築の中で表されるのは本のみが理性であるということである。

そして機能は深く考えるのではなく、人間の感性を持ってして作り出したものである。

感性のままに描くということは、建築が抽象芸術のように形を形成されることとなることが判明した。

そして感情のままに建築を創造するとやはり、使い勝手が悪いという点も判明した。

そして抽象芸術がそのまま建築になることによって、周りの空間とは逸脱した空間構成となり、人を集める効果がある。

しかしまた、構造において、施工費において非常に困難であることが予想される。

この建築を設計したことによってこのようなことが判明したが、やはりこのような建築は7000人のコミュニティに1つぐらいあればよくて、この感情のままに作る建築が普及するのは大変困難であることが予想される。

やはり多くの場合、近代建築が普及する過程の中で経済というものが深く関係していくのであろう。

構造体はクロード・ニコラ・ルドゥーやル・ヴォーの計画案に見られる球状の建築である。球というものは非常に安定している構造体でもあり、非常に丈夫である。
耕作の番人の為のシェルター

そして円というものは人間にとって最も美しいとされている。これらは心理学でも人間が生まれる前から太陽など、円体なるものは存在していて、人間の潜在的な意識の中に円や球状のものが象徴的なものとして写し出されるという。

絵画や造形においても球や円というものは人間が心を表すときに用いるものである。
         
円が象徴として描かれる絵画
そしてアール・ヌーヴォに見られる建築も注目すべき点がある。

これらは20世紀初頭において、欧州で起こった芸術活動であるが、これらは(またユーゲント・シュティールとも呼ばれる)人間の本質的なものが非常に密接に関係している。そしてギリシャ寝殿でも見られるようにカリマコスが発案したコリント式のカリマコスの葉もまた植物を模した装飾がなされているが、これらは人間が行動するときに直線に動くのではなくスプロールして動くように、人間が美しいと思うのも、フラクタル幾何学と呼ばれる楕円形の形態、そして黒川記章が設計した新国立美術館もまたそのような樹木のあの形態、スプロールされた形態に沿って構成されている。

そしてこれらは人間が基本的に美しいと感じる形態でもある。

やはり、あらかじめある形態、昔からあるものに人間は落ち着きを求めるのであろう。

その点を主張してモダニズム期に異端児としてエンドレスハウスを提唱したのがフレデリック・キースラーである。現在においては伊東豊雄が建築造形においてこれらの形態を設計している。そして少しではあるが建築に対する理念もキースラーに似ている所がある。

エンドレスハウス・終わりなき家 フレデリック・キースラー作
魔術的建築宣言 1947

19世紀は黄昏を眺めた。そして20世紀始めの25年間は、建築―絵画―彫刻の統合の解体を眺めた。ルネッサンスは、この統合の上に栄えた。人々の信仰が、翼のついた未来の幸せを運んだのである。

われわれの新しい時代は(1947年)は、社会的良心を再発見しようとしている。新しい統一への直覚的な要求が、ふたたび生まれようとしている。この統一への望みは、来世に求められるのではない、ここに、今、求められている。

造形芸術の新しい現実は我々の五感の許容力の他に、精神の必要にも答えられるような、具体的事実のコルリエーションによって明かされる。

建築における「近代機能主義」は死んだ。人間の肉体の宿る身体の王国について、名にひとつの検証なしに、「機能」が唯一の生存者である限り、それは痛手を受け、神秘衛生+審美主義の中で滅亡するであろう。(バウハウス、ル・コルビジェのシステム等)

「迷信の間」は、われわれの時代の表現方法を使いながら、連続建築―絵画―彫刻を目指した最初の貢献を示している。問題は二重であり、一つは、統一の創造であり、二つは、それにより絵画―彫刻―建築の構成要素が、お互いの中へ変更してゆくであろう。

私は、空間的構成をデザインした。私は画家のデュシャン、エルンスト、マッタ、ミロ、タンギーを、また彫刻家のヘアとマリアを招いて、私のプランを実現するように頼んだ。みんな熱心に協力した。私は、それぞれの作家にとって、形態においても内容においても、全体のすべての部分が彼らのためのものであるように計画した。そこには、一つの誤解も生じなかった。もし総体がうまく活動しなかったとしたら、それはすべて、私の失敗に帰するのである。というのは、彼らは私のコルリエーションのプランを、強く信じていたからである。

ある専門領域の芸術家たちの集まりではなく、一組の建築家、-画家―彫刻家に、テーマを司る詩人が加わって創造されたこの共同制作は、たとえ不成功に終わったとしても、我々の造形芸術の発展に、もっとも強い希望をもたらすものとなるであろう。

私は、衛生の神秘主義に反対する。それは「機能主義的建築の迷信に過ぎない
魔術的建築の現実性は、人間自体の総体性に深く根ざしている。そして、それは人間の祝福される部分や、呪われる部分に根ざしているのではない。
(Frederick Kiesler ,Magical Architectureで発表されたものである。)
マジック・アーキテクトと呼ばれたキースラーの言葉である。

キースラーの考えには人間の潜在的なものを含みうる建築というのがエンドレスハウスに込められている。そう、彫刻と建築を一つにするという概念がここに出てくるのである。しかし、彫刻と建築を一つにすると、合理性や経済性ということを考えると非常に不利な点が出てくる。だからこそモダニズム期には直角と四角で構成された立方体が建築の基盤となったのであろう。また原始においても合理的なのは四角い形態であるのは疑いの余地がない。ロージェの原始の小屋でも柱と梁の合理的な建築として描かれている。

魔術的なこの発言はキースラーを魔法の建築家と言わせた由縁なのかもしれない。
1945年に日本での第2次世界大戦終結によって戦争はほぼなくなり、現在はテロの時代である。そしてキースラーが提唱した建築は社会に反映し始めているのも事実である。






















(5)機械から生なる時代へ(結論)

フレデリック・キースラーの建築理論をもとにしてこの最後の章に行きたいと思う。

機械から生なる時代へ

20世紀初頭のモダニズムが機械の時代だとするならば、これからの建築はどうなるだろうか?現在の建築思潮で見られるのは幾何学的というよりは生物的といったものの方がもの珍しさかも知れないが取り立たされている。モダニズム・ポストモダンという順番が建築様式として成り立っているが、ポストモダンといっても様々な呼び名がある。非地域主義だとかダーティ・リアリズムだとかネオ・モダン、スーパーフラット、スーパーサーフェスとか様々な呼び名が使われるようになってきている。

もし、万が一の場合、人間が幾何学的形態(直線や直角)を使う前の時代に、円(星)や楕円(自然)しかなかった時に、そして人間が心を描く時に円や楕円というものを多用するならば、

建築においても同様に円や楕円を使用するべきではないだろうか?
しかしここで問題となってくるのは経済性と効率性の問題である。

そもそも何故直線や垂直が使われるようになったのかというのはエジプトの数学的要素やまた効率よく建築物を建造するために、四角が最適であったからだと推測している。

建築とは人間が住むためでもあり、シェルターでもあり、財産ともなりうるべきものであり、そして経済性や効率性は生きる上で人間にとってなくてはならないものである。

しかしもし円や楕円というものが規格化・工業化できるとするならばどうであろうか?
今の工業技術からすればできない話ではない。肝心なのは誰がそれをやるかである。
そして建築は人間の心を映し出すものでなくてはならない。機能や経済性に直線や直角が根本にあるとするならば、円や楕円には人間の本質が隠されている。それらの形態を均等に利用することこそが建築にとってあるべき姿なのではないだろうか?
最後に宣言しておこう。




(6)感情の建築

最後にこれらの理論を元にして人間の感情のみで構成された図書館を設計した。
これは機能性や構造的な問題を一切考えずに設計したものであるから、計画案といっても過言ではない。これはある種のル・コルビュジェへの挑戦状である。

建築が合理化、経済性を重視した建築を産業革命時代からすることによって
人間そのものが機械になってしまったのである。

何を言うでもなく社会の流れに乗って生きていく人間達、工場の生産ルートに乗っている人生。狭く、限られた常識の中でしか生きることのない人間達、それらを見ることによって自分はその生き方が嫌で常に常識外のことをあえてしてきたつもりである。

それがこんなにもつらいこととは思わなかったが、世界中の人間がまさに機械化している現実をふまえて、それらを解決する方法をずっとかんがえてきた。

人間が本当に快適に住める建築とは、大量生産された機械的な建築に住まうことではなくて、人間の理性と人間の精神的なものを併せ持つことが真たる建築のあり方だと考えているからである。

現在の産業社会のあり方は合理性や経済性を考えたものがベースとなっているがそれによって人間もまた大量生産化された機械となっていることを認識しなくてはならない。

だからこそこれらの研究をする必要があると思ったのである。

新しい時代の建築は人間の理性と感情を併せ持つ時代のものであると信じたいのである。

都会の人間は田舎の人間と違ってまた輝きもなく、また希望もなくしてしまっている。

この実験的な建築は現実のものとして作られることはないだろうが、私の最初の設計であり、これから死ぬまで建築家として闘うしょぶんである。

















建築は社会を写し出す鏡であり、建築はまた機械ではない。

そして人間の心を映し出す建築、機械と精神を統合する

生時代が到来することを信じている。

そしてル・コルビジェもそう最後にそういいたかったからこそ最後にロンシャンを描いたのだと私は信じている。














終わりに

芸術家・山口勝弘先生へ

この論文を書くにあたって非常に参考にさせていただいたのが山口勝弘先生の環境芸術家キースラーです。この本は1978年2月20日に発行したものであり、もうかれこれ30年が経とうとしていることもあってか、本の数時代が少なく、この本の存在を知ったときもないのではないかと思っていましたが、偶然にも図書館で検索したところ見つかったので幸運でした。この本がなければキースラーについての論文は書けなかったといっても過言ではないです。もしくは勘違いしたままこの建築家について語っていただろうと思います。フレデリック・キースラーという建築家について知っていますかと建築の学生に聞くと知っている人は全くいないというぐらい皆知らないのが現状であり、現在の日本ではキースラーという建築家は全くの無名な存在であったのは確かです。自分はこの論文を書いた理由はこのキースラーを少しでも認知してほしいという願いもこの論文を作成する理由のひとつであります。そしてキースラーのエンドレスハウスのように何故人間は建築形態を作り出す時に円や楕円を使用するのか?というのが自分の中で常に疑問にありました。

そして簡単に山口勝弘先生を説明しますと1928年に東京に生まれて、1951年に日本大学法学部卒業し、同年に「実験工房」に参加して、絵画・彫刻・舞台装置・実験映画などを手がけた芸術家であり、後にキースラーのアトリエで働き、キースラーの元で芸術を学ぶ。キースラーを最も知っている日本人であると言えよう。環境芸術家キースラーは全585ページに及ぶものであり、キースラーの数々の作品がこの本に収められている。

またこの論文では最初のキースラーの説明では日本を代表する建築家である前川國男の東京帝国大学卒業論文「近代建築ル・コルビジェ論」を参考にしました。この論文を見る際にお世話になった大学図書館の司書の方々にお礼を申し上げます。またコルビジェ、ロース、伊東忠太の書き方を参考にしてこの論文を仕上げました。









参考文献
建築をめざして ル・コルビジェ著  鹿島出版社
ユルバ二スム ル・コルビジェ著 鹿島出版社
輝く都市 ル・コルビジェ著 鹿島出版社
モデュロール1 ル・コルビジェ著 鹿島出版社
モデュロール2 ル・コルビジェ著 鹿島出版社
装飾と犯罪 アドルフ・ロース 中央公論美
東京帝国大学卒業論文 「建築哲学」 伊東忠太著
東京帝国大学卒業論文 近代建築「ル・コルビジェ」論 前川國男著
環境芸術家キースラー 山口勝弘 美術出版社
個性化とマンダラ C・G・ユング 林道義著 みすず書房
建築のアポカリプス もうひとつの20世紀精神史 飯島洋一 青士社
抽象への意思 モンドリアンとデ・ステイル H・L・C・ヤッフェ著 朝日出版社
デ・ステイル 1917―1932 art and environment of neo plasticism  河出書房出版
臨床知的の探求 上 山中康裕 斉藤久美子 編 創元社
曼荼羅の神々 仏教イコノロジー 立川武藤 ありな書房
(図解)マンダラの全て 西上青曜 PHP研究所
イメージの博物館  フリーメイソン 儀式と象徴の旅 W・カーク・マクナルティ著吉村正和訳 平凡社
イメージの博物館 死者の書 スタニスラフ・グロフ著 川村邦光訳 平凡社
きらめく東方 サン・ヴィターレ聖堂 六曜社
抽象と感情移入 東洋芸術と西洋芸術 ヴォリンゲル著 岩波書店
日本建築史序説 大田博太郎著 
3人の革命的建築家 エミール・カウフマン
環境としての建築 建築デザインと環境技術 レイナー・バンハム
建築心理学序説 ヴェルフリン 中央公論美術出版社
都市と建築 a+u 417 2005
Frederick kiesler endless house 1947-1961
Frederick kiesler whitney Museum・Norton
ガウディ全作品 2解説と資料 P180 六潜社
ボッロミー二、G・C・アルガン著P67 鹿島出版社


筆者
香月真大
2006年10月27日~2007年11月15日

アドルフ・ロース(1870~1933年)
ウィーンの建築家、新古典主義の時代に装飾を一切なくした外観により、モダニズム近代建築運動におけるパイオニア的存在。著書「装飾と罪悪」は数々の後の巨匠たちに影響を与えた。

モダニズム(20世紀初頭)
20世紀初頭における近代建築運動のことを指す。一般には装飾を排し、直角と垂直の幾何学形態が目立つ。

ル・コルビジェ(1887-1965)
巨匠の中の巨匠。現在の近代建築の基礎を築いた人とも言われる。近代建築の5原則や都市計画ではヴォアザン計画などが有名。

フランク・ロイド・ライト(1867-1959)
近代建築における3大巨匠と言われるうちの一人。師匠であるルイス・サリヴァンの思想を受け継ぎながらも、独自の有機的建築と呼ばれる建築を数多く生み出した。

伊東豊雄
日本の世界的な建築家。東京大学建築学科を経て、菊竹清訓に師事したあとに、事務所を設立。
数多くの若手建築家を輩出する。作品ではアルミニウムハウス、シルバーハットの家や仙台メディアテーク、などが有名。

アーキグラム
1960年代の建築界を賑わせた建築グループ。またの名を建築界のビートルズ。アンビルドアーキテクトとして作品を雑誌などをとうして広め続けた。ピーター・クックやロン・へロンを中心としたメンバーである。

ジョン・ヨハンセン
建築家。建築の新種として建築と自然形態の融合を試みた案をARCAという雑誌をとうして提出。

クロード・ニコラ・ルドゥー(1736-1806)
新古典主義における建築家。教職建築家であるブロンデルを師にもつ。新古典主義にありながら、モダニズムの系譜ともいえるものを晩年に残して死去した建築家。名言では「新たな宗教を作ることほど大変なことはない」



アントニオ・ガウディ(1852-1926)
バルセロナ生まれの建築家。異端の建築家ともいえる建築の造形はまさに天才的とも言える。
バルセロナを生涯拠点とし、カサ・ミラやサクラダ・ファミリア等を建造した。

ボッロミー二(1599-1667)
バロックにおける建築家。バロック時代の建築家であるベルニーニのライバルとも知られている。
建築は曲線や楕円といったものを多く使用する。サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ教会堂は非常に有名である。

ミース・ファンデル・ローエ(1886-1969)
モダニズム近代建築3大巨匠の一人。バウハウスの3代目総長であり、鉄とガラスで作る建築は後の近代建築に影響をもたらした。シーグラムビルやファンズワース邸等が有名である。

CIAM 
近代建築国際会議。エレーヌ・ドマンドが設立した。ルコルビジェやグロピウス、など様々な建築家がここで近代建築の旗揚げを行った。

ウォルター・グロピウス
バウハウスの設立者。初代校長でもある。インターナショナルスタイル(国際様式)を提唱し、後の近代建築に多大な影響をもたらした。バウハウスの設計者でもある。

バウハウス
近代建築運動が思想になっている芸術学校、ここでは様々な芸術家がまねかれ、教育を行われた。やはりモダニズム運動の色濃い学校であった。

プラグインシティ
アークグラムの計画案。都市をユニットでつなぎ合わせるという提案をしたもの。

ウォーキングシティ
アークグラムの計画案。都市が歩くというもの。これにはその時代の建築家達は衝撃を受けたに違いない。

メタポリズム 
アーキグラムよりあとの日本の建築家集団。菊竹清訓、黒川記章、川添登などを中心としたもの。
メタポリズムは新陳代謝を表す。都市もまた新陳代謝するように変容するべきだと唱えた。

オットー・ワーグナー
ウィーンの建築家。近代建築を提唱したパイオニア的存在。ウィーンの郵便貯金局などが有名。

ウィトゲンシュタイン(1889―1951)
オーストリア・ウィーンの哲学者である。言語哲学、分析哲学の創始者であり、またストロンボロウ邸を作るなど建築家としての一面もあった。

ルドルフ・シュタイナー(1861―1925) 
ハンガリー生まれの思想家。霊学の創始者で建築ではゲーテアヌムが有名である。神秘思想家、建築家、教育学者であり、ゲーテの研究の第一人者となった。

ハインリッヒ・ヴェルフリン(1896-1945)
スイス生まれの美術史家。美術史の基礎概念を作った人物。

ルイス・サリヴァン(1856-1924)
シカゴの建築家。フランク・ロイド・ライトの師匠でもある。

C・G・ユング(1875-1961)
心理学者。本名はカール・グスタフ・ユング。世界的に有名な心理学者である。ゴシックに見られる薔薇窓をユングはマンダラの一部ではないかと推測した。

マンダラ
サンスクリット語で円を表す言葉。これは仏教などでよく見られるものであるが、世界中でこれと類似する形態をもつものは多数存在している。

ヨゼフ・ホフマン(1870-1956)
アドルフ・ロースのライバルでもあり、オットー・ワーグナーの弟子でもある。ウィーン分離派を作った。

ハプスブルグ家
欧州において強い勢力を持っていた貴族。

フィリップ・ジョンソン(1906-2005)
アメリカの建築家。キュレーターから一新して建築家を志す。ミースの共作であるシーグラムビルやまたガラスの家などが有名。

アール・ヌーヴォ
スペインで20世紀初頭に起こった芸術運動。曲線や楕円を使用する傾向にある。

アーツ・アンド・クラフツ

キュビズム
パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどの代表される芸術運動。

ダダイズム
戦争による皮肉的なものを芸術運動としてとりだたされる運動が起こった。

ウォートルス
明治のお抱え建築技術士

ジョサイア・コンドル
日本に西洋建築を取り入れたきっかけとなった第一人者。弟子には金野辰吾、片山東熊、曽根達蔵などがいる。

シュルレアリスム
超現実をさす芸術運動。画家ではサルバドール・ダリなどが有名。

ハンス・ホライン(1930-)
オーストリアを代表する建築家。ハースハウスなどが有名。

Era from machine to life~ as an frederick kiesler exordium

(1).論文構成(フレデリック・キースラー・生い立ち・作品)

1.初めに
P6                                              
2.生い立ちとウィーン
P8                                          
3.キースラーと劇場建築                                      
P12
4.近代芸術運動「デ・ステイル」
P16
5.マジック・アーキテクチュア
P21
6.キースラーの殻体構造
P25
7.エンドレスハウス「終わりなき家」
P28
8.キースラーの建築理論
P38


ENDLESS HOUSE(Frederick kiesler endless space より引用)

(2).キースラーと曼荼羅(建築形態について)

エンドレスハウスにおける円や楕円状の建築形態と曼荼羅の関係

1.ユング心理学と曼荼羅について
P55
2.建築における円や楕円
P63
3.太陽と人間
P72
4.宗教と建築
P73
5.エンドレスハウスと曼荼羅
P116

(五如来と門衛のいる曼荼羅)死者の書 スタニスラフ・グロフ p72から引用


(3)直線と直角の皮肉

1.はじめに                                               
P122
2.直線と直角の起源                                         
P123
3.直線というもの 

(4)人間の本能そして建築                                      
P131
1.本能なるもの                                            
P132
2.光                                                   
P142
3.経済                                                
P147
4.宗教なるもの                                            
P151
5.富なるもの、貧めるもの                                    
P156
6.本能の建築















(5)機械から生命の時代へ

1.機械から生なる時代へ
P165
2.機械時代の結論
P166
3.終わりに
P167
4.参考文献・用語説明
P168


21世紀は人間が機械になる時代・・・

ルイス・サリヴァンの言うように建築形態は
機能に従うのだろうか?

本当に合理主義、機能主義だけで建築形態というものは成り立っているのだろうか?

機械と精神を統合する建築こそ本当の建築である。


(出典 谷川正己・中山章 「名句でこる近代建築史」井上書院 1984年から参照)
1.はじめに

フレデリック・キースラー (Frederick Kiesler)

フレデリック・キースラー(frederick kiesler)とは誰か?と聞かれると建築の学生に聞くと誰に聞いても同じ答えが返ってくる。「誰?」という答えである。

キースラーを簡単に説明すると「形態は機能に従う」を真っ向から否定した人物である。キースラーが言うには建築は機能から作られるのではなく、まず構造から入り、次に機能が形成されるのだという。

キースラーに知ったはまだ大学に入学してから1年がたっていた。その頃常に自分はこの世の建築の在り方に疑問を抱いていた。具体的な理由もなしに、人の真似はしないと決めて、真似をしないにはどうしたらよいかと考えたときに重要だったのが多種多様な建築を知ることにあった。いろいろな建築を知る上で近道だったのが本を読むことだった。そこから図書館に行き建築の本を読みあさるようになって、今もそれを続けているのだが、たぶん最初に読んだ本は「建築のABC」という書物だったと思うがそこから様々な建築の本を読むことになり、最初の頃に読んだ「建築家なしの建築」に乗っていた写真で、屋根はわら葺なのだが、柱は人が支えている建築を見たときはこういうのも建築というのかということを改めて思い知らされた。そして半年ぐらい読書を続けていくうちにひとつの本を見つけた。名前は「建築のアポカリプス」という本である。

人が柱となり支えている移動型建築
建築のアポカリプス(黙示録)は特徴的な建築を取り扱っていた本で、ウッドゲンシュタインのストロンボロウ邸から始まり、アドルフ・シュタイナーのゲーテアヌム、ヒトラーと建築の関係性など興味深い本であったがその中にあったのが、キースラーの終わりなき家、エンドレスハウスであった。今までのモダニズムに見られるような柱や梁でできる空間構成をほとんど排除したその建築を見て、自分の建築に対する価値観が変わったような気がした。
そこからキースラーについて調べようと思い、文献などを調べているのだが、大変なことに文献自体もごくわずかしかないということをはっきりと思い知らされた。建築のアポカリプスのキースラーの参考文献を便りに調べたのだがインターネットなどで調べても外国のサイトでしか乗っていないので、どうしたらよいのかと悩んでいて、ふと立ち寄った地元の図書館でキースラーについて調べたら一つだけ日本人が書いたキースラーの本があった。その名前は「環境芸術家キースラー」という題名で芸術家である山口勝弘が書いた本である。これだけ1ヶ月かけて探しても日本での参考文献が1冊しかないということも、今の建築の学生の誰に聞いてもフレデリック・キースラーという建築家を知らないという返答が返ってくる理由のひとつなのかもしれない。

フレデリック・キースラーのようなその時代におけるキワモノ、または異端児と呼ばれるものは建築の世界において必ず必要な存在であった。どの様式においても誰かが最初にやらなければ始まらないのであり、それを最初に行うことは並々ならぬ勇気がいる。

まだボクシングがアルティメットに近かった時代は今のように階級性がなかった。そして60キロの小男が100キロの大男と戦うなどは当たり前であった時代に60キロの身体でヘビー級の世界チャンピオンをKOするような化け物がいた。その名はジョー・ウォルコット。「バルバドス島の悪魔」と言われたこの男の身長はなんと157cmであった。今で言うと日本人の身体でマイク・タイソンに挑むくらい勇気のいることである。それと同じで社会が作り上げた様式の中でそれを否定してつらぬくということはとてつもなく勇気がいることである。その中の一人を論文として書きたいと思い、クロード・ニコラ・ルドゥーやアドルフ・ロースなどもいたが、その建築家の中でフレデリック・キースラーを選んだ。

自分はそのような建築における先駆者はあこがれであり、本当に心から尊敬に値する人物であると感じる。アバンギャルド、先駆者と言われるものに一番必要なのは勇気と覚悟である。キースラーは100年前から伊東豊雄が提示したものと同じ概念を語っていた。これらは特筆すべきものである。エンドレスハウスという建築概念は今ではテクノロジーの発達と共に可能になり、現在の建築思潮としても起こりつつあるものである。キースラーはこれをモダニズム全盛の時代に提唱した。このことからも彼がどのような勇気をもってこれらを語ったのかを想像できる。キースラーを序説としておこなったのは彼が21世紀を作る建築の先駆けとなることを100年前から行っていたということであり、彼の概念は現代にても通用するものである。そしてキースラーが完全な機能主義者であり、これらの形態はすべて機能にもとづいておこなわれているということである。彼が提唱する機能はモダニズム建築はほとんど見られない要素である為、忌み嫌われるようになったが、現代においてはこれらは再考するにあたいするものである。

2.生い立ちとウィーン

フレデリック・キースラーは1890年にオーストリアのウィーンで生まれ、そして1965年にニューヨークで死去した。ウィーンと言えば近代建築のパイオニアでもあるオットー・ワーグナーや「装飾と罪悪」で有名なアドルフ・ロースや私が心の師とするリチャード・ノイトラ等の著名な建築家を生み出した町で、そして何よりも音楽と芸術の都であった。特に音楽家で言えば神童モーツアルトが有名である。

その頃はロースやワーグナーも存命であり、ちょうど近代建築運動が花開く直前の時代にキースラーは生まれたのである。ちなみにミース・ファン・デル・ローエはキースラーとは非常に仲が良かったらしいが彼は1986年にアーヘンで生まれた。そしてル・コルビジェもまた1887年にフランスのラ・ショー・ド・フォンに生まれた。キースラーはこのウィーンで芸術の才能を磨いた。時代背景で言うとちょうどアドルフ・ロースとワーグナーの最も優れた弟子であったヨゼフ・ホフマンがライバルとして対立しあっていた。しいていうならばロースは建築において不要なものと考えていたので、建築を芸術と考えるホフマンは自分の考えを否定されているようで許せなかったようである。日本で言うと大正時代において「建築非芸術論」を提唱した野田俊彦による機能主義理論と「科学的芸術論」を提唱した建築は芸術とする中村鎮がこのロースとホフマンのような関係であると言える。キースラーは法律家である父にシェイクスピア劇を読んでもらうのが好きだった。キースラーはウィーンの工科大学に進んで建築を勉強し、次にグラフィックを学ぶために美術アカデミーに入学してそこで勉学にはげんだ。この頃はオットー・ワーグナーやアドルフ・ロースの影響が大きかったと言え、少なからずこの二人の偉大なる建築家はこのまだ若者であったキースラーに影響を及ぼしている。特にロースの機能主義の考えはキースラーにとって多大な影響を与えたと言えるだろう。キースラーは短期間であるが、アドルフ・ロースと共に働いていた。このロースの作風は装飾を全く排除するものであり、彼の論文である「装飾と罪悪」はロースに続くバウハウス系列のモダニズム運動に多大な影響を及ぼしている。特に近代建築の生みの親とも言えるル・コルビジェは雑誌エスプリ・ヌーボでも共著したこともあってか(たぶん前から尊敬したであろうと思われる)ロースを尊敬し、独学で建築を学んだル・コルビジェにとって師匠とも言える存在であった。キースラーはロースの思想に強く影響を受けた。そして装飾の無意味さをキースラーは学んだ。キースラーが主に手がけていた仕事は劇場建築である。これは当時のウィーンという町並みを強く反映した結果なのかも知れない。






背景としてのウィーン

モーツァルトやベートーヴェンで有名な、音楽の街ウィーンは、昔からドナウ河を交通の手段とした交通の要であった。すでにローマ帝国が、殖民都市をヨーロッパ各地に建設していた時から、ここは軍隊と、商人の為の拠点であり、国際都市としての性格を与えられた。そうした理由からヨーロッパの中でも比較的早くから、異質の文化の狡猾に慣れ、また自然環境に恵まれるという条件もあって、非常に開放的な都市として発展していった。ハプスブルグ家の支配した帝国の首都として、政治・経済の中心であったが、同時にこの町は、文化的な環境の場としても中心的な機能を果たしていた。ヨーロッパ近代音楽の有名な作曲家で、この「ウィーンで作品を発表しなかった人の名前を思い浮かべるのが難しいぐらいである。ウィーンの町で音楽が盛んであった理由は、王宮や貴族などの上流階級の庇護があったという理由以外に、庶民的な音楽愛好の風習から来るものであった。今日で言うポピュラーミュージックに近いものが、ウィーン市内のカフェで演奏されていた。このカフェが、ウィーン市民にとって重要な社交の場となったのは、1683年以降であり、上級階級の組織するサロンよりももっと気楽で、自由な情報交換の場として利用されていた。同じような現象は、ロンドンでは1650年以降に現れ、酒房の経営者の反対にも関わらず、ロンドン中にコーヒー・ハウスが生まれてきた。ここでも、自由な情報センターとしての機能によって利用され、イギリス市民文化の発生をうながした場といわれている。コーヒーハウス・あるいはカフェの発生は、ヨーロッパの主要都市に、都市市民階級(ブルジョワジー)という新しい階層が現れてきたことと関連し、同時にこの階級によって都市の中に、新しい文化状況が形成されてきたことを裏付けている。ロンドンのコーヒー・ハウスから、今日の新聞が生まれてきたことは、コーヒー・ハウスが、大衆社会の新しいメディアを作ったともいえるのである。この市民階級が、それ以前の文化の担い手である上流階級の保持していた劇場、美術館、音楽堂などの文化空間を占拠していく。ウィーンでもまた、モーツァルトのオペラ「魔笛」上演で有名な、劇場支配人シカネーダなどが、市民階級の趣向に合った上演企画で活躍する。ウィーンは音楽と劇を結んだ。ウィーンの劇場には、伝統的にルネッサンスの演劇の中心的な見せ場であるからくり仕掛け、スペクタクル好みがあったのである。それは主たる演劇であるコメディアの筋を追う観客をあきさせないための、余興であるインテルメッツィの方に人気が集中し、主体を食ってしまうほどになった。ウィーンの演劇好きに関して、ウィーン生まれの小説家シュテファン・ツヴァイクは、その回想記「昨日の世界」で、ウィーン市民にとって、朝の新聞で、第一に目を通す記事は、政治でも経済でもなく、演劇界に起こるニュースであると述べている。いずれにせよ、近代都市ウィーンの市民社会のコミュニケーションの場は、カフェや劇場が大きな役割をもっていたのである。       
 (山口勝弘)



かの有名なフリップ・ジョンソンは「キースラーほど建築を建てないで有名な建築家はいない」と言わせるぐらいであったオーストリア出身のフレデリック・キースラーはモダニズム全盛の時代において「建築の空間を作る際に柱や梁に左右されることなくもっと自由な形態を構築できるのではないか?」という疑問点を元にエンドレスハウスを提唱し、これに対して死ぬまでに40年もの歳月をエンドレスハウスに費やしている。この時代、ウィーンでは特に存命であったロースの作品シュタイナー邸やワーグナーの郵便貯金局が有名であった。

アンチモダニズムとしてモダニズムの近代建築運動に対して死ぬまで闘い続けることをやめなかったキースラーはどのようにして戦ったのか?その作品を通じて理解していただきたいと思う。当時で考えればものすごいことである。1900年初頭に芸術運動が各地で起こり、その中でモダニズムの近代建築運動は最も盛んな運動として世界中に知れ渡った。そのモダニズム建築最盛の時代に面と向かって叩こうとする不屈の闘志、いや根性がすごいと私は感じる。授業で言うとみんなが真面目に学校で試験を受けているのに一人だけ何もせずに弁当を食うぐらいすごいことだと言っておこう。

バウハウスに代表される建築を立方体の牢獄と呼び、あえてエンドレスハウスに生涯をかけた、キースラーとは何者なのか?劇場建築家から出発し、舞台デザイナー、商業建築家、ディスプレイデザイナー、工業デザイナー、環境彫刻家、さらに画家であり詩人であり理論家であった。(山口勝弘)

キースラーが生涯をかけて作ったエンドレスハウスとはどのようなものなのだろうか?それはこれから説明するのであせらずに聞いていただきたい。作品の説明を見る前にモダニズムにおける建築(バウハウスやファンズワース邸)と照らし合わせていただくとキースラーが何故アンチモダニズムなのかわかってもらえると思う。
バウハウス(ウォルター・グロピウス) ウィキぺディアから引用

ファンズワース邸(ミース・ファン・デル・ローエ) 
ウィキペディアから引用



3.キースラーと劇場建築

キースラーは劇場で演劇を見ることが庶民にとって最高の娯楽であったウィーンで育ったこともあってか劇場建築家として活躍した建築家であった。ここではいくつかキースラーの手がけた劇場建築について説明していきたい。キースラーとって劇場建築はいち建築家が建てるものとは明らかに劇場建築にたいしての考えが違っていた。キースラーにとって劇場建築はそれが行われる舞台だけではなく、その周りの客席においてもその劇場が一体となって構成されることを考えていた。建築家が一般に建築の空間に連続性を持たせようとするのと同じようにキースラーにとっては劇場建築そのものが自己の考えを発表する意味で重要なものであった。

劇場は単なる建物でもなければ演劇装置を入れる小屋でもない。建築から舞台へ、舞台から客席へ、客席から舞台へ、舞台から建築へ、それぞれがお互いの関係の中で生きた機能をもって関連し、その中に人間が劇を体験することが、キースラーにとってもっとも望ましい世界であった。
山口勝弘

キースラーのデザインした舞台装置の総数は、1923年以降から1965年まで、実に53の舞台がリストアップされている。

<エンドレス劇場>
キースラーの劇場建築の中でもキースラーの思想が強く出ている作品である。

キースラーはエンドレス劇場を提案した翌年にこのように論じている。
「われわれの演劇のほとんどが、君主制の時代に始まった劇場を模範としていることを念頭におくならば、舞台は、一回前方にある上等の客席のためにのみ設けられ、他の席の観客たちは、芝居が満足にできなくても高い料金を支払うことに甘んじなければならないという、あの建築構造が了解できるはずである。
われわれの時代の劇場は、舞台の上のいかなるパフォーマンスをも、場内のあらゆる客席から、間善意見ることができなければならないという、実際的な要求を満たすだけで十分というわけではないが、従来のいかなる建築も、この当然な要求さえ満たしていないのである。
典三浅敷の観客は、舞台の上半分と奥の情景を見ることができず、そのかわりに上演の間、舞台の床とプロンプター・ボックスにある上等席の観客は、舞台の前面がわからない。平土間の両側、突き出し浅敷、ボックス席の観客は、それぞれ舞台の右側ないしは左側を見ることを断念しなければならない。そして中央の客席を占める大衆は、俳優や舞台装置や小道具類を、前後に重なって平たくなったシルエットとして遠くに眺め見るのである。」
エンドレス劇場(Frederick kiesler whitney Museum・Nortonp84から引用)

立面図

これはキースラーが提唱したエンドレス劇場というものであるが、この作品はまさにエンドレスハウスに繋がるものとしてキースラーは考えていたに違いない。

建築家としてキースラーは異端児と見られていたが、当時からアンビルドアーキテクト、建築を建てない建築家としてアメリカにおいて認知される存在であった。アンビルドアーキテクトと言えばアーキグラム等がおなじみともいえよう。この建築を建てない建築家達の案は後世において現実のものとなっているものが多い。キースラーのエンドレス劇場はまた、音響と言う点においても考えられたものとなっている。円というものは音響の面で考えた時に非常に効率のよいものとなっている。

円や楕円の建築の有効性

また別にエンドレスハウスの研究で照明の点でも効率のよいものとなっている。円や楕円にすることによって光や音響が反射しやすくなり、エネルギーの効率において非常に有効なものとなっていることをキースラーは呈上している。

断面図

平面図

4.近代建築運動「デ・ステイル」

フレデリック・キースラーは近代建築運動のひとつであるデ・ステイルのメンバーであった。「デ・ステイル」とはテオ・ファンズ・ドース・ブルフとディエゴ・モンドリアンが中心となって行われた芸術運動である。この運動は1917年に始まったとされているが、この時代は建築においても、芸術においても革命期であった。建築の様式で言うとギリシアやルネサンス、ゴシックにおける建築様式を復興させるという様式が19世紀は中心であったが、これらに異議を唱えるかのようにして20世紀初頭の近代建築運動は花開いた。これが今の近代建築の礎ともなったもの、「モダニズム」と呼ばれるものである。モダニズム近代建築運動で中心になったのはル・コルビジェ、ミース・ファンデルローエ、ウォルター・グロピウスなどである。これらのメンバーは国際建築協会CIAMを結成して、更に世界に向けてこの新しい建築を広めるための土台を作り上げた。更に世界情勢で第一次世界大戦や第二次世界大戦、また世界恐慌などの背景もあり、これらを契機として合理性と機能性を追及するこのモダニズム近代建築運動は花開いた。また20世紀初頭というものは芸術運動が盛んに行われた時代でもあった。聞いたこともあるかもしれないが、アール・ヌーヴォー、アーツアンドクラフツ、シュルレアリスム、キュビズム、ダダイズム、などがある。特にアール・ヌーヴォーなどは日本建築の影響があると一般には言われている。これら芸術運動と同じようにして「デ・ステイル」は第一次世界大戦中にオランダで生まれた。1920年代はヨーロッパではこのようにして機能を追及するデザインが始まるが、私たちの日本ではまだ機能主義ではなく後藤慶二や分離派建築会の山田守、堀口捨己などによる表現主義が建築思潮としてあったので、日本でモダニズム運動を始まるのは、10年後の話になる。日本でモダニズム運動が遅かった理由は明治維新以後の西洋に追いつけ追い越せ的な思想により、日本にウォートルスやコンドルらの外国人技師や建築家をたくさん集めて、外国の建築様式をイギリス、イタリア、フランス、ドイツ等の様々な国から取り入れたため西洋建築を作れる技術は手に入れたが、1920年代はまだ日本初の建築史家である伊藤忠多が言う「移植時代」と言われる概念が根強く残っていたためと表現派の台頭、そして土建会社の封建性の為と言われている。日本ではこのような建築情勢の中、同じ頃オランダで「デ・ステイル」は起こるのである。

主催者と理念の発案者

「デ・ステイル」の発足の理由は芸術と生活の融合を唱えることによって始まったとされる。主にデス・テイルで有名なのはデオ・ファンズ・ドースブルフとディエゴ・モンドリアンであろう。そしてこの建築運動の主催者はドースブルフであり、そしてデ・ステイルにおける基本理念を提唱したのがモンドリアンであった。




「デ・ステイル」のメンバー

・ デオ・ファンズ・ドースブルフ
・ ディエゴ・モンドリアン
・ ヘリット・リートフェルト
・ J・J・P・アウト
・ フレデリック・キースラー
・ ファン・デル・レック
・ フィルモス・フサール
・ ジョージ・フォントンゲルロー
・ ヤン・ウィルス
・ コルネリス・ファン・エーステン
・ ピート・ズワルト
・ フリードリヒ・フォンデンベルゲ
・ ハンス・アルプ
・ ゾフィー・トイバー=アルプ
・ エル・リシツキー
・ フーゴー・バル
・ ジーノ・セヴェリーニ
・ コンスタンティン・ブランクーシ
・ ジョージ・アンティル
・ アントニー・コック
・ ウェルナー・グレブ

などの以上の多種多様なメンバーを連合したのが「デ・ステイル」と呼ばれる芸術運動であった。デ・ステイルの概念はわずかな要素で構成される。このメンバーには建築家も多く含まれている。ロシア構成主義派の建築家であるエル・リシツキーやモダニズムのワイゼンホフ・ジードルンクにも参加したJ・J・P・アウトなど多彩なメンバーがいた。J・J・P・アウトもデ・ステイルの特徴が見られる作品を作っているが、特にデ・ステイルの要素を特に受け継いでいるのはヘリット・リートフェルトのシュレーダー邸であろう。これはデ・ステイルの構成原理や色彩などの影響を受けている。



デ・ステイルの原理

総体的な抽象と即ち、五感に対して現れるような、文字どうりのリアリティの完全な排除、この原則から派生する、基本的最少限度、直線、直角―換言すれば、水平性と垂直性―に対し、また赤、黄、青の三原色に加えて、同様に基本的3つの無彩色、即ち黒、灰色、白に対する、創造手段の厳しい抑制である。         抽象への意思 <モンドリアンとデ・ステイル> P19から引用
キースラーとデ・ステイルの出会い 

1923年にキースラーはそもそも何故デ・ステイルにはいったのであろう?デ・ステイルの建築理念は直線と直角というイメージがある。しかしその根本は新芸術運動であって、その概念はより抽象的な構成原理の探求であった。この芸術運動の目的が、1918年の一月の宣言に現れているが、その目標は、建築と絵画とを、より明確で、要素的に、そして精神的でない方向への構成へ有機的に結合することに置かれていた。その根本の考えがテオ・ファンズ・ドース・ブルフにとってキースラーはデ・ステイルにふさわしいと感じたからこそ、キースラーをデ・ステイルに招待したのであろう。

1918年は第一次世界大戦が終結したこともあり、新たな時代への宣言として以下のような言葉がデ・ステイルは宣言した。

「いま旧い時代意識と新しい時代意識が存在している。旧いものは個人志向のものである。新しい時代意識は普遍的なものを目指すのである。個と普遍的なものとの争いは、世界大戦の中にあったのと同じく現代芸術の中にもあらわれている」

「個人的なものが全ての分野で優越するような内容をもった旧な世界は、その考えと共に戦争によって破壊されるべきである」

「新しい芸術は、新しい時代意識の持つべきものを旭かに顕かにしつつある。それは、個人的なものと普遍的なものとの間に、等しい均衡をもたらすものである」

                                     デ・ステイル「宣言」にて 1918年
(抽象への意思 モンドリアンとデ・ステイル H・L・C・ヤッフェ著 朝日出版社から引用)
 モンドリアン作・絵画「コンポジション」
(ウィキペディアから引用)

キースラーはエンドレスハウスにおけるような思想がこの頃からあったが、キースラーはまたデ・ステイルの構成原理に関係する作品を創造していた。それは空間都市シダ・テン・レスパースで明らかになっている。

(デ・ステイル 1917―1932 art and environment of neo plasticism 河出書房出版から引用)
J・J・P・アウト アウト=マテネッセの現場事務所


きっかけはデ・ステイルが世界規模で有名になったことのより始まる。キースラーの名を知ったテオ・ファンズ・ドゥースブルフがキースラーの元へ行ったことにより始まったとされている。


フレデリック・キースラー作 「空間都市」
キースラーはデ・ステイルに所属していたこともあってか、デ・ステイルの理念を受け継いだ芸術作品・都市計画の考えを提起している。空間都市といえば何が思いつくだろう?わたしは都市の計画案などでレベウス・ウッズが提唱した空母を利用した空に浮かぶ都市を連想させる。これはもちろんのこと計画案で終わったものだが新たな都市計画として提起させる意味でもこのような突飛な、また奇妙ともいえるこのような計画案は必要であると思う。特に計画案のみで終わる建築グループと言えば建築界のビートルズと言われたアーキグラムなどが有名であろう。このグループは、現在はロンドンの建築学校であるAAスクールで教鞭を取っているピーター・クックをリーダーとして、ロン・へロンら計6人のグループ組織として建築界を席巻させたグループである。特にロン・へロンが主体となって提案した「ウォーキングシティ」は建築界の人々、とくに脳が固まってしまった人々の度肝を抜いたことだろう。まさに名前の通り都市が歩くのである。また他の都市計画として「プラグ・イン・シティ」なども有名である。これらの計画案は実施されることはなかったが、その後の人々、特に日本で作られた設計グループ、メタポリズム(新陳代謝)と呼ばれる菊竹清訓や黒川紀章らを中心としたこのグループの都市計画はまさにこのアーキグラムの影響を受けてないとはいえない。特に黒川紀章らが実際に作った中銀カプセルホテルはまさにアーキグラムの「プラグ・イン・シティ」の考えを受け継いでいるものといえよう。

<city in space> 1925,paris. パリ万国博国際劇場展   <L&T>special display 1924.ウィーン
(デ・ステイル 1917―1932 art and environment of neo plasticism 河出書房出版から引用)
5.マジック・アーキテクチュア

フレデリック・キースラーが書いた建築書なるものが存在する。これは建築書というよりも建築における短編集的なものである。ここにはキースラーの思想について興味深いことが書かれている。

(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)
魔術的建築宣言 1947

19世紀は黄昏を眺めた。そして20世紀始めの25年間は、建築―絵画―彫刻の統合の解体を眺めた。ルネッサンスは、この統合の上に栄えた。人々の信仰が、翼のついた未来の幸せを運んだのである。

われわれの新しい時代は(1947年)は、社会的良心を再発見しようとしている。新しい統一への直覚的な要求が、ふたたび生まれようとしている。この統一への望みは、来世に求められるのではない、ここに、今、求められている。

造形芸術の新しい現実は我々の五感の許容力の他に、精神の必要にも答えられるような、具体的事実のコルリエーションによって明かされる。

建築における「近代機能主義」は死んだ。人間の肉体の宿る身体の王国について、名にひとつの検証なしに、「機能」が唯一の生存者である限り、それは痛手を受け、神秘衛生+審美主義の中で滅亡するであろう。(バウハウス、ル・コルビジェのシステム等)

「迷信の間」は、われわれの時代の表現方法を使いながら、連続建築―絵画―彫刻を目指した最初の貢献を示している。問題は二重であり、一つは、統一の創造であり、二つは、それにより絵画―彫刻―建築の構成要素が、お互いの中へ変更してゆくであろう。

私は、空間的構成をデザインした。私は画家のデュシャン、エルンスト、マッタ、ミロ、タンギーを、また彫刻家のヘアとマリアを招いて、私のプランを実現するように頼んだ。みんな熱心に協力した。私は、それぞれの作家にとって、形態においても内容においても、全体のすべての部分が彼らのためのものであるように計画した。そこには、一つの誤解も生じなかった。もし総体がうまく活動しなかったとしたら、それはすべて、私の失敗に帰するのである。というのは、彼らは私のコルリエーションのプランを、強く信じていたからである。

ある専門領域の芸術家たちの集まりではなく、一組の建築家、-画家―彫刻家に、テーマを司る詩人が加わって創造されたこの共同制作は、たとえ不成功に終わったとしても、我々の造形芸術の発展に、もっとも強い希望をもたらすものとなるであろう。

私は、衛生の神秘主義に反対する。それは「機能主義的建築の迷信に過ぎない
魔術的建築の現実性は、人間自体の総体性に深く根ざしている。そして、それは人間の祝福される部分や、呪われる部分に根ざしているのではない。
(Frederick Kiesler ,Magical Architectureで発表されたものである。)
         
(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)



コルリエーションとは生と死の循環を表すものである。

誕生と破壊の繰り返しのことを指す。
(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)


キースラーの建築はガウディの建築形態に似ている。

そして自然と建築の融合というものを自らのエンドレスによって表した



6.キースラーの殻体構造

キースラーは自分の今までの作品はエンドレスハウスへの過程にすぎないということを述べていた。そのエンドレスハウスの構想に至るまで、キースラーはエンドレスハウスの軌跡となるような作品をいくつか残している。ここではそれらについて述べてゆきたいと思う。

Cave of Meditation
瞑想の洞窟

キースラーの作品には、自然界にある火、水、空気、大地を万物の中心、すなわち宇宙の中心とする考えが根本である。彼の最も晩年に作られた作品「瞑想の洞窟」はインディアナ州、ニューハーモニーの中西部のコミュニティにつくられる予定だったもので、これは貝殻のような部分と、そこに横たわるイルカのオブジェから成っていて、全体が池の上におかれている。貝殻型の空間は強化コンクリートの薄い殻体構造の洞窟で、洗礼を受ける水と火が用意されていて、そこを訪れる人が深い「瞑想状態」に入ることができるように構成されていた。キースラーいわくこの瞑想の洞窟は「私は、人間における関係とは、ただ人間だけに結びついているのではなく、動物の世界にも、植物の世界にも、水にも火にも、つまり限りない全宇宙(全ての物は一つであるということ)に結びつくものであることを示したかったのである。実際のサイズはそれほど大きくは無いが、瞑想の洞窟は瞑想に入る人に、意識の集中の機会を用意し、彼の感性を拡大し、宇宙との一体感をもつことを意図したものである」。この建築は空間自体に人間の潜在的な意識を持たせることにより瞑想状態に入ることができるようになるという物であった。
            (建築のアポカリプス もうひとつの20世紀精神史 飯島洋一 青士社から引用)


この瞑想の洞窟はキースラーの考えを体現している作品であるといえるだろう。キースラーによれば建築の構造体はバウハウスなどの四角い、そして立方体の形態を体現するのではなく、真の建築の構造体は常に連続する構造体であるべきと説いた。また、キースラーは私の全ての作品はエンドレスに基づいているという様に、エンドレスハウスの考えがこの瞑想の洞窟にも現れている。なおこの瞑想の洞窟を見る際にもエンドレスハウスを見ていただくと分かりやすくなると思う。
建築というものは連続性を持つということ、建築家ハンス・ホラインが言うように「全てのものは建築である」と言う考えにキースラーの思想も類似していると考えられる。




キースラーの考え

全てのものは繋がっていなくてはならない

ハンス・ホライン

全てのものは建築である

ハンス・ホラインは自然界にあるものを全て建築として考えている。これは原子レベルで考えると一つの物質の構造体はやはり建築物と同じ安定した形態をしている。これはどんなに大きくしても安定しているものはこの原子レベルの形態に行き着く、そして、この考えは全てのものは建築であるという概念に繋がるものであると考えられる。最近の建築でも原子レベルの構造体をイメージしたような建築思潮が出ている。特に中国の国立プールの国際コンペで見られるあの水の構造体をイメージした形態はまさに原子レベルで建築を考えているといえる。

キースラーの考えはホライン流の全ては建築という考えと類似点はあるが、それより大きな全てのもの、まさしく宇宙は連続性を持っていなければということをエンドレスハウスによって言いたかったのである。
          
(建築のアポカリプス もう一つの建築精神史 飯島洋一 青士社 から引用)

エンドレスハウスは神秘的な思想や、超現実的なイメージから生まれてきたのではない。機械文明の発展とともに失われつつある、人間的な生活の基本的諸条件を前提として、生活の意味の回復を目的とした提案である。


(Frederick kiesler whitney Museum・Nortonから引用)
7.エンドレスハウス「終わりのない家」

エンドレスハウスの空間の意義
空間をより純粋に考えた建築は他にあるだろうか?あまりにたくさん作られている建築は機能や経済を考えすぎてる。より人間の潜在的な思考をも含みうる建築を作ることができたらどんなによいだろうか・・・
       
エンドレスハウス(雑誌 ENDLESS SPACE より引用)

終わりの無い家

1934年にパリで発表され、長さ1フィート、幅8、9インチ、高さ7、8インチのスケールで、楕円形の卵形のデザインであった。この模型は羊歯の葉を背景に演出され、そのため一層原初的、宇宙的なイメージがただようことになった。
1960年にニューヨーク近代美術館の企画展「創造的建築展」で、より発展した形で示された。

これは実物大の約半分の縮尺で作られたもので、前回の卵型が「砕かれ」、さらにそれが複雑に錯綜しながら組み合わされ、再生(蘇り)、メビウスの輪のような、文字通り始まりも終わりもないもの、宇宙の全一性(すべての物体は繋がっているということ)が表されているようで、キースラー自身も「それは、間の肉体のように無限である。始まりも終わりもないのだ」と言うのである。


 キースラーは、最終案では人工池の上に浮かぶ卵型としてイメージし、しかも家の内部にも大きな池をつくり、中央に暖炉(焔)を用意した。
 
キースラーは砕かれた卵のような混沌とした「終わりのない家」によって、宇宙の新しい始まりをモデル化したといえる。新しい生は混沌を通過することによって、つまり破壊を通しして生み出されるはずだからである。(ミルチャ・エリアーデ 録)


フレデリック・キースラーとエンドレスハウス(上図)http://www.classic.archined.nl/news/9611/kiesler_eng.htmlから引用
キースラーのエンドレスハウスの時間による変化

1. 宇宙の意味を持つ卵型の家をまず作る。
2. 卵を壊すことによって建築空間の永遠性を表す。
3. 壊れた卵にあらたな湖(生)を作ることによって生は混沌によって生まれるということを表している。
(瞑想の洞窟と終わりの無い家の詳細 参照著書―建築のアポカリプス)  

※ 補足するがキースラーは建築において、モダニズムや今までの建築のように人工物と自然を別のものとして考えるのではなく、元は共通の物体であるということをこの建築によって表したかったのだと言いたい。
 
エンドレスハウス 図面 山口勝弘 「環境芸術家キースラー」

終わりのない家の平面計画

1.グループ・リヴィング

2.食堂と台所

3.子供の遊び場と工房

4.書斎

5.個人のレクリエーションと寝室

特にこの平面計画で顕著にあらわれていることはこの建築家が機能についてしっかりとした考えを持っていたことにある。最初私はこのキースラーという人は芸術家であって真たる建築家ではないと考えていたが、しかしキースラーの考えの中に調べていくうちに機能を大前提とした、機能主義的な考えを持っていることが判明した。これはやはりキースラーが自分に最も影響を与えた本はアドルフ・ロースの「装飾と罪悪」と言っているように合理主義的な考えがキースラーの根本にはあると言える。そしてこの平面計画は機能主義の概念に従っている。アドルフ・ロースは機能を考えるときに、機能とは必要なものだけで十分であって、余分なものは必要がないと装飾と罪悪で論じた。この意見には筆者も賛成であるが、やはり機能は必要なものだけで十分であり、余分なものは人間の身体で言う脂肪なのである。伊東忠太も建築を人間と例えて論じているが、人間に例えてみると、この機能における余分な部分はやはりいらないものであると感じる。しかし本当に人間と建築を同じものと考えるのならば、もしも寒さや災害に見舞われたときにやはり脂肪はあったほうがよいのではないかというのが疑問に出てくる。ここで機能における必要性というものは難しいものとなってくる。またキースラーのエンドレスハウスのプラン(1950年)に見られることは、休息の場と防音の書斎、居間と食堂そして子供の遊び場と工房に洗面所やトイレなどの従来の住居に見られるプランの配置になっているが、この平面計画を見るとどうやらキースラーは空間の繋がりを意識してかドアによって壁をしきることをしていないようである。しかしそこから生まれる音洩れといった点は特に子供部屋からである音に対抗するために防音の為の書斎を用意している。


機能としての建築

ここで分かる点はキースラーが単に芸術としてこの建築物を建てたのではなく、本当に住まう住居としてこの建築、エンドレスハウスを提案したのである。最初、筆者の見識では建築と芸術、そして自然形態との融合を考えた建築であり、異様なものと見ていたが、キースラーの考えを深く知ることにより、この建築は住まう住居としても機能的な考えがなされている作品であったことを痛感した。
キースラーの建築における空間構成

キースラーは建築における定義というものは機能から建築は作られるのではなくて構造から作られ、そして順番に構造→機能→形態という道を辿るというものであった。これは「機能は形態に従う」モダニズムを否定する意味でも使われたが、キースラーが言いたかったのはそれだけではない。ただの四角い箱や、統制された建築こそが本当の建築なのだろうか?そして原始において建築とは有機的な、洞窟や洞穴であったであったということも、キースラーはエンドレスハウスを作るにいたって、考えているのかもしれない。最近の建築ではキースラーのエンドレスの空間と同じものが最近建築思潮として出てきている。最近の伊藤豊雄のベルギー市庁舎に見られる作品にはキースラーと同じような空間、一般にはクリストファー・アレクザンダー等が言う「有機」、「生態的」、「犠牲物的」などと言われる建築があるが、キースラーの求めた建築形態は50年以上の歳月を経て、近代建築の主流の建築になりつつある。

伊藤豊雄 ゲントの市庁舎計画案 (建築と都市から引用)

キースラーが及ぼした功績

建築において新たな建築を生み出す際に最も必要なことは、まず社会と戦わなければならないということ。人間は心理学においてもそうだが、通常の人間というのは集団行動において一人が違うことをしているとその人物に対して違和感を覚える。例にして言うと「芸術において四角が基本とされる」という教えの中でみんなが四角い芸術作品を生み出しているのに、ひとりだけ不規則な形態を生み出したらどう思うだろうか?「変わっている」、「おかしい」、「きちがい」、「あの人は自分とは違う」等と思うだろう。その中傷や批判の中で新たな建築を生み出すというのは並大抵な精神力ではたえられないことだろう。新古典主義におけるジャン・クロード・ルドゥーやルイス・サリヴァン、両者はゴシックやルネサンスの中世の建築に回帰すると基本的に謳われた新古典主義においてモダニズム建築の先駆けとなったようなパイオニア的存在である。今で言うモダニズム後期の時代に闘ったリベスキンドやゲーリーなどからもみて分かる様にキースラーのように「機能は形態に従う」モダニズム建築を真っ向から批判するというのはものすごいことである。そしてゲーリーのグッゲンハイム・ビルバオなどに置ける形態はキースラーの影響を受けていないといえば嘘になる。


エンドレスハウスの空間分析

エンドレスハウスの空間構成を知る為に模型作りを行った。

・ エンドレスハウス スタディ模型 1/100
・ エンドレスハウス 1/100

エンドレスハウス スタディ模型1/100

エンドレスハウスの模型を創作するにあたって、最初、この殻体構造はどのようにしたらできるのか大変興味深かった。そしてまずはスタディ模型から入ったが、やはり際立つのは形態である。このスタディを取り掛かったのがまだ論文を書き始めて最初だったこともありキースラーのエンドレスハウスに対して理解しきれていない部分があり、自分の最初の印象は正直「なんだこれは!!」というのが最初の印象であった。それは形態が他の建築と違って際立つためであろうと考えられる。スタディといっても、まだ構造体をどのように作るかといった点で悩んでいたこともあったが、大体の外観を知る上でこのスタディ模型は役に立った。やはり四角を基調とするモダニズム建築と比べるとやはり、有機体と人工物の関係、いやこのキースラーの形態も人工物であるが、どことなく自然的なものを感じさせる形態である。



エンドレスハウスの構造体(実際のキースラーの工法通りに作成)

模型作りではキースラーが行った方法をそのまま取り入れた。

キースラーはこの殻体構造を作るためにメッシュ上の鉄で構造体を形成し、そこからコンクリート
で厚さ2.5インチのコンクリートを吹き付けることによりできると言った。

この方法をもとにして模型は作製した。

一番苦労した点はこの構造材を作りそこからコンクリートを吹き付ける時であった。

やはり従来の四角で規格化された鉄筋コンクリート作りのものとは違い、型枠の中にコンクリートを流すといったことが出来なかったので、手作業だったので苦労した。

またキースラーはこの手間を、コンクリートか、鉄筋の入ったプラスチック材を、型の中に押し込んで作ることを考えていた。こうすれば量産することもできるといったのである。この場合基壇の部分は1フィートで、天辺では加重が加わるので2.5インチでよいとキースラーは言った。

キースラーはこのようにしてこのエンドレスハウスが実現できるものとして、そして技術的裏付けを持つものとして提起していたのである。
この殻体構造は普及するかどうか?

しかし、一方で実際にこの建築物を量産するとなるともちろんのこと型枠が必要になるが、従来の方枠は直角が基本となるので、やはりこの形態を普及させるとなるとなにかしらの歴史的な事件が起きるとか、モダニズムが花開く原因と考えられる、世界大戦が2度起きるとか、世界恐慌になるなど、またナポレオンが行ったパリの都市計画などの様に国家権力でもってして強制的に行わせるとかしない限りやはり難しいものとなる。また日本で言うならば1923年の関東大震災が再び起きるとかしない限り(震災前は木造であったが、これを期に火に強いレンガ造りが多くなった。)、この工法が普及するということは現実の世ではやはり難しいだろう。現実の主要な建築はやはり四角なのである。

最近の建築思潮で自然の形態をそのまま建築として利用するものがある。キースラーの求め続けたものが技術的にできるようになったからであろう。そしてまさにキースラーは現代建築の伊東豊雄が言う「新しいリアル」においての先駆者であるということを私は言いたい。



8.キースラーの建築理論

キースラーをより理解していただくために、次にキースラーが書いた論文を書きたいと思う。キースラーが書いた論文を見ることによってフレデリック・キースラーについて理解していただけたら本望である。

コルレアリスムと生技術について  (フレデリック・キースラー著)

―新たなデザイン手法の定義と試みー

この論文の目的は以下の事実を示すことにある。建築の歴史にとって耐えざる危機とは、人間を、集まった力の核として扱おうとする基本法則をもった科学が、長い間欠落していたことに原因がある。私たちにとって、この科学を、建築のデザインの分野の為に発展させ、またその中に適用されるものになるまで、建築デザインは、個々ばらばらの、過度に専門化し、不均等に配分される製品としてありつづけるだろう。そして、多分この科学だけが、建築が、芸術と技術と経済の中に、いい加減な分割物となっている状態を改めてくれるに違いない。そして、建築は人々の日常生活のなかで、社会的な面で構成力をもつものとなるだろう。

今日、私達は、無数に専門分化した科学の根底にあるそれぞれの基礎をつなぐ一般法則を形跡学上の観点ではなく、働きーエネルギーの観点から公式化する課題に直面している。また建築デザインに関する一般法則を公式化する、特定の課題も行わなければならない。しかしこの2つは、密接なつながりがあって、われわれの建築分野でも、物理学、化学、生物学など個々の科学の基礎の理解なしでは、この特別の問題の解決は不可能である。そこで、われわれは近代科学のいくつかの概念を要約し、われわれの特定の課題についての有用性を検討することが、今や避けられない必要事となっているのである。

諸科学の概念と建築のデザイナー

人間は生は遺伝的な諸傾向の進化に起因する。人間は力の核であり、その力は人間に働きかけるとともに、人間もまたその力に働きかける。力とはエネルギーである。エネルギーは、現代科学によれば、電磁気的性質を持っていると考えられている。有機物と無機物の相互関係は、統合と崩壊という2つの性質をもつエネルギーが互いに及ぼしあう衝突である。
重力作用によって、電気エネルギーは目に見える固体の中に発生する。これが統合である。一方磁力と放射とによって、電気エネルギーは希薄化した不可視物質に変わる。これが崩壊である。
 この同化エネルギーと異化エネルギーの一般原理が、存在の唯一の原理であるとするならば、世界は静止し、変化しないものとなるであろう。しかしながら、これら(生と負の)2つの力が心理化学的反応を通じて交替し、常に一方が他方に対して優越しようとする。こうして、定常的にヴァリエーションが生み出される。そして、この製造過程において、新たな核概念と新たな環境とが連続的に形成される。

現実と形式

有機体同士の生物学的相互依存とは、つきつめた分析によれば、あらゆる生物にとっての第一次的要求である。適正な餌、居住、再生産、有害な力からの防衛といったものの結果である。生命とは、これらの第一次的必要性をうるための、個体同士の、また種と種の間の協力、排除、そして闘争の表現である。
 これらの活動的な力が、眼に見える形となったものを、一般的に「物質」と呼び、普通、現実と解釈されているものを構成している。現実が、このように表層的に解釈される理由は、宇宙に働く力の関連について、人間の感覚に限界があるためである。物質とは、現実そのものではなく、「現実」の一表現でしかない。仮に、物質だけが現実であったとしたら、生命は静的なものであろう。
 われわれが「形式」と呼んでいるものは、自然なものであれ、人工のものであれ、緩慢な速度で力同士が、統合と崩壊を繰り返している可視的な場にすぎない。現実は、可視的な形態と、非可視的な形態として、絶え間なく作用しあっている力の2つのカテゴリーからできている。この相互関係による力の交換を、私は「コ・リアリティ」(co-reality)と呼ぶ。そして相互関連性の法則についての科学が、<コルレアリズム>である。<コルリアリズム>という言葉は、人間と彼らの自然環境、技術環境の間に働く、連続的な相互作用のダイナミズムを表している。

自然的、社会的および技術的遺伝

生物学では、力の二つのカテゴリーを、「遺伝」と「環境」の2つに分けた。人間は彼らの上に及ぶ、抗いがたい力の影響を取り扱うための方法を進化させなければならなかった。この目的のために、人間は技術的環境を創造し、種としての人間に与えられた、短い寿命の内だけでも、肉体的生存を維持しようとしたのである。しかし人間は、生物学的にみて、子供のために経験を伝えるのに向いていないので、このことはより一層の困難となった。子供たちは皆、自然への適合を、いつも新しくやり直さなければならなかった。簡単にいえば、一般に信じられているのに反して、両親が習得した特性や習慣は、生殖を通じて子供に与えられる身体細胞の形成として、変形させられることはないのである。「自然」は、安定した遺伝子を、胚珠細胞内に与えることによって、いかなる目的であるにせよ、その目的に根本的に干渉しようとする人間から自分を防禦してきた。この胚珠細胞に「密封された命令」には、自然の意思が収められ、人間は自分の命の範囲内でのみ影響を及ぼすが、その限度を超えて影響を及ぼすことが出来ない。したがって、技術的環境を「デザイン」する人間には、重大な責任が課せられるのである。何故なら、技術的環境が適用されるのは、人間の一代限りという制限があるために、それは人間の防禦メカニズムの部分としてより一層の要求となるのである。こうして、子供が受け継ぐことの出来る唯一の人間としての経験は、訓練と教育による慣習と習慣である。したがって「社会的遺伝」が、人間が頼れるただひとつの道具となるのである。すべての生体が、長い世代の連鎖を経て、自己の種から発生してくるように、イデオロギーとか人間の造りだした物は、古いイデオロギーとか、類似した機能を持つ物の長い系譜から発生する。現代の椅子もまた、疲れた身体を休めるために、人間が持ったほかの道具の長い世代から生み出されたものである。これが、教育を通じて伝承される技術の遺伝というものである。

技術的環境とは何か

生物学者が環境と言う場合、それは常に、地理的なそして動物的な環境を指している。この定義はおそらく、人間を除く全ての生物にとって妥当する。ただ人間だけが、第3の環境、すなわち技術的環境を発達させた。それはまさに始めから、人間にとって親切な仲間であった。この技術的環境は、(シャツから避難所にいたるまで)人間の全環境の中で、構成部分のひとつとなってしまった。かくて、環境の分類は、図1に示してあるように、2分類ではなく3分類になる。すなわち、
 
 1.自然環境
 2.人間環境
 3.技術環境

今、われわれに最も関係が深いのは、上の第3の技術環境の要因である。なぜなら、建築家が活動するのはこの領域においてであるからである。人工の、技術的な道具類は、すでに、氷河期から存在していたのである。

しかしこれまでのいかなる学問分野も、技術環境が人間に及ぼす直接的なまた間接的な、そして自発的なまた受動的な効果を調査し、分析し、図化し、測定しようと試みたことはなかった。また、いかなる学問分野も技術の発達を支配する法則を図化し公式化したものはなかった。これまでにも、技術史に関する数え切れない報告があったが、技術の成長の需要形態論の研究はなかった。
生物学の歴史を研究すれば分かるように、自然現象の観察と体系化が欠如していることに気づいて驚く。ギリシア時代の後も20世紀もの間、ラマルクとダーウィンの出現まで自然科学の新理論は現れなかった。科学的な進化論は、実際には僅か100年の産物である。

同様の状況が技術の分野においても存在する。デザイン現象についての新しい理論が生まれなかったことに驚いてはならない。中世の科学者が、馬がスズメバチを生み、ロバはスズメバチの変種を生み、チーズは鼠を生んだと思っていたのと同様に、現代人は産業が、技術環境を生み出したと思っている。現実には、技術環境は人間の要求、それも絶対的な要求と模倣的な要求とによって生まれたのである。
 ところで、この技術環境は何によって構成されているだろうか。端的にいって、それは人間が、自然をよりよく制御するために開発した道具の全体系からなっている。私は敢えて、道具と言う言葉を用いている。普通、道具と機械の相違は、それらを操作する力が、人力か人間の環境にある力、例えば自然の(水)か、合成の(電気)かのいずれかによって区別される。しかし、個々ばらばらの技術分野の相違よりも、技術的発明全体を理解する方向へ向くべきである。そこで、道具を次のように定義したい。すなわち、自然の制御を増大させるために、人間が創造した全ての手段であると。道具という言葉は、機会という言葉よりも好ましい。そのわけは、道具は、われわれを機械の始まりへと連れ戻し、より高い生産性の段階へ人間を到達させるという、究極の目的へと連れ戻してくれることにある。この意味で、人間にとって生存競争の為に必要とする全てのもの、すなわち人工の技術環境の一部、シャツから避難所まで、大砲から詩まで、電話から絵画までが、道具となるのである。いかなる道具も孤立して存在しない。すべての技術的発案は(co-real)である。それは、人間の全環境に対する関係の中から生じる闘争によって、条件付けられた存在なのである。その存在は、人間の競争のほとばしりによって、従って人間の環境全体に対するそれの関係によって条件付けられる。
 技術環境の持続性は、我々の家や、工場や、輸送用シェルターなどの製造を通して具現化されている、転換された力の、間接的ながら持続的な浸透によって示されている。自然環境に対する人工環境の比率は、人間の生活形態に従って変化する。今日、都市の人間は生活時間の88%近くを屋内で過ごす。郊外部では70%、農村部では43%の割合である。

道具の質的分類

だが、技術環境は人間の発展に影響を与え、その技術自体は自らの発展において遺伝の法則に従う、ということを心にとどめておくべきである。我々は、遺伝の原理が技術の中でも働くことを見る必要がある。従って、どんな道具でも(例えば、ナイフ、工場、家)その斬新的発達は、植物や動物の種と同じように、一直線に展開されることはない。逆に、産業時代の道具の生産は、3つの特性曲線に沿って展開してゆくと思われる。

すなわち標準タイプ(絶対的要求によって展開される)
変種タイプ(補助的目的のため、標準タイプから進化する)
模倣タイプ(前期のいずれかのタイプから直線的、または間接的に発生する。

この第3のタイプは、最大のグループであるが、材料使用効率の欠如とデザイン上、材料上のわずかなへんこうによって、標準タイプと変種タイプと異なる)

これらの3タイプはそれぞれ、発展するための土壌を持っている。標準タイプはそれぞれ、発展するための土壌を持っている。標準タイプは、科学的知識から生成する。変種タイプは、別種の条件への標準タイプの自然的適応として生じ、そこに正当性がある。模倣品は、その偶然的な生存とともに、社会環境内の無知の結果として生み出される。
 模倣タイプはもっとも広く供給され、単位間に消え、もっとも急速に入れ替わる。その結果、エネルギーの分散化が起こり、最初の標準タイプの出現の時期とか、それのより高い効率化レベルへの到達を遅らせたりするなど破壊的効果を生む。
人間の基礎的要求を調整するうえで、模倣タイプの除去と、変種タイプのコントロールが行わなければならない。工業社会の再調整は、模倣タイプを造り出している(人力及び機械力を含む)諸力が、標準タイプと変種タイプの領域に吸収され、その結果、生産性が増強されることである。

要求の進化:欠乏から効率へ

自然の意思が変化する連続性への指向として表されているのだとすれば、人間の目的もまた、生命を維持し延長することにあるように思われる。だが、人間は、そのために彼が受け継いだ肉体装置をもってしては、不可能であることを、経験によって学び取った。それゆえ、人間は、環境に働く力に合わせて彼の自然装置の力を拡張せざるをえなかったのである。人間は、自然に備わったもの(装置)に、防禦と攻撃の人工的な装置を付け加えなければならなかった、道具の製作が始まる。高生産に対する人間の先天性欲望が、その物質的表現を見出し始めるのである。
 こうして、人間は道具を構築する。やがてこの構築された道具から、われわれが技術環境と呼んでいる人間の造りだした関連性をもつ複合体が生まれてくる。しかし、技術環境がもっている多くの明らかな非整合性を訂正するために、次のような問いが必要である。
 その起源から見た本性とは何か。その要求は何か。要求はどのようにして起こるのか。その要求は自然のものか、人工のものか。その要求は静的なのか。進化しているか。要求についての定義は、今日の技術環境のデザイナーにとって最も重要なものとなった。この難関の考察は、建築の研究ではなく、人間の研究に基づいて行わなければナらない。従って、我々の任務は、要求の再定義を行い、この基礎に立脚して技術環境を再統合することであろう。技術的要求の進化を示す図4は、この問題を明確にする手助けになるだろう。
 全ての科学は、人間のいろいろな欠乏に応じて枝分かれしてきたことを忘れないようにしよう。

人間の創造性は、つねに欠乏から効率へと向かっている。この循環的な発展の主要な段階は、一つの生活基準から次の生活基準としてしめされる。社会学者は生活水準の向上と低下について語るが、われわれは、コルレアリズム上の水準についてのみ語ればいい。なぜなら、向上と低下の概念は相対的なものであるにすぎないから。要求は静的ではない。それは進化する。要求の進化における諸段階は図4に示す通り、次の順序で展開すると思われる:

1 現在の基準
2 基準が吸収される
3 吸収は無効力を生む
4 無効力は観察へと導く
5 観察は発見へ導く
6 発見は発明へ導く
7 発明は抵抗に出会う
8 抵抗は「計画的な要求」へ導く
9 計画的な要求は小規模生産へ導く
10 小規模生産は促進を生む
11 促進は量生産へ導く
12 量生産は要求を生み出す
13 絶対的要求は新しい基準となる

図4は一般に考えられているのと異なって、現在の要求は、技術的及び社会経済的変化にとっての直接的動因ではないことを示している。要求は進化する。そしてこの進化は、人間の構造と、その環境の核的性質に基づいている。

健康は人間の究極的要求である

人間を保護するための人工の道具の欠損は、肉体的抵抗の減衰を招く。人間の健康がアンバランスになる。道具の持つ力によって非活性化した人間の身体が、再び活性化しないならば、人間の健康は、疲労を経て死への途をたどる。したがって、あらゆる技術環境の有効性を計る共通分母は、人間の健康である。厳密で、しかも包括的な基準を、健康によって測定するならば、技術は、人間のエネルギーを維持するためのもっとも力強い要因となる。
 健康とは、生命活動を維持する各種の物質と過程とが、均衡的に機能する身体的状態であると思われる。
 個体の抵抗力とは、この均衡が環境からのインパクトに耐えられるか、あるいはそれを九州することができるかの限度のことである。外的要因は自然環境の緊急事態に帰する。内的要因は精神生理学的なものであり、個体に本来的に備わっている。
 健康は、もともと環境への有機的適用によって維持されてきた。これらの適応のあるものは本質的に機能的(消化、体温、血圧、等)であり、あるいは構造的(色素形成、姿勢等)である。社会経済的関係(国家形態、産業、貿易、結婚、等)に示されるように、人間環境への適応も存在する。
 健康の概念は、疲労を連続的過程の一部分として認識する。疲労は、通常、精神生理学的活動(随意的なものおよび不随意的なもの)に付随するエネルギー消費によって生み出される。この消費されたエネルギーは、普通の状況においては、物理化学的過程によって体内で置換される。消費と置換が適正均衡状態にある時、最適効率と言う。この状態が満たされないとき、非効率あるいはエネルギー消費が生じる。すなわち、非活性化である。



環境のコントロールと健康の維持

身体の効率を損なう要因は何か。言うまでもなくそれは、身体が内的、外的環境のある部分に不整合をきたしているのである。技術環境の死活問題は、この不整合を、疲労からの保護(予防)と、疲労の除去(治療)とによって解決する点にかかっている。
 不幸なことに、歴史的にみて、この技術環境は必ずしも、人間の環境に貢献したとはいえない。むしろ逆である。そこで、技術環境を、どの方向に発展させるかという、第二の要求が注目される。工業のための工業の発展は、芸術のための芸術より悪い。ここで、技術的生産の方向のコントロールが、是非とも必要になってくる。環境的なコントロールとは何か。もしコントロールの手段が、環境の一部だとしたら、環境による環境のコントロールという意味になってしまう。しかし、前にも述べたように、環境が、自然、人間、技術の三重構造であるならば、その意味はもっと明確になる。つまり、環境のコントロールとは、技術環境を通して、自然と人間の環境をコントロールすることである。だが、何に関してのコントロールなのか。コルレアリストの観点からすれば、答えは一つである。即ち、人間の健康に関してのコントロールである。従って、環境のコントロールは健康のコントロールになる。それは環境の健康のコントロールでなく、人間と社会の健康を、環境によってコントロールすることである。結局のところ、環境の技術的コントロール、もしくは技術による環境的コントロールという言葉になる。
 技術環境の維持、あるいは適正な‘管理‘は唯一の目的をもつ。つまり、技術環境における適正な健康の維持も唯一の目的をもつ。人間にとっての健康の均衡の維持である。





健康すなわち建築デザインの基準

これまで建築は4つの観点から評価されてきた。(1)美(2)耐久性(3)実用性(4)低コスト、の4つである。しかし、これら4つの要因は、単一の作品に同時に盛り込まれることはなかった。ある建築物が美しくない場合、低価格であるという理由で受容される。低価格でない場合は、耐久性であることで理由付けされる。実用性がない場合は、おそらくその建築物は美しさをもつ。かくして、この長年の矛盾を解く唯一の方法は、すべての場合に妥当する一つの基準を見つけることであると思えわれる。この基準こそ健康であると私は思う。他の基準は、本質的基準を損なわない限りに置いて、消費者と製作者との個人的特性に委ねられてもよいだろう。
 従って、将来、建築がもっぱらリズムの美、材料の並列、現代的スタイル、等々によって評価されるということはなくなるだろう。建築は、人間の心身の安らぎを維持し強化する能力によってのみ評価される。即ち、建築は人間の健康の非活性と再活性をコントロールする道具となる。

‘形式は機能に従う‘-時代遅れのデザイン公式

20世紀初め、機能的デザインについてのいい加減な議論が再び行われた。しかし、この時期に建てられた建築や、この時期に描かれた図面を検討してみると、新しい作り出された機能は全くないことがわかる。
この時期に起きたことは、旧来の装飾を批判し新たな工夫を付け加えることによって、因襲的生活様式に新たな形式がかぶせられただけである。機能とは何か、誰にも定義できなかった。更に悪いことには、環境秩序の新しい理念にふさわしい新しい建築原理は、ただの一つも考えられていなかった。 
 問題はスコラ学派風に提示された。すなわち、機能が形式に従うべきか、あるいは形式が機能に従うべきか、と。ここで建築は、鶏が先か卵が先かという昔からの謎の言い換えに他ならぬ問題を抱え込んだのである。そして、問題のまさに本質が看過された。その問題の本質とは、形式および機能の構造との相関、並びに発生的にこれら3つは思考の原形質に内包されているという事実である。
 もしわれわれがスコラ的アプローチを捨て去るならば、現代のデザイナーは鶏と卵とから貴重な教訓を学ぶことができる。1912年ロックフェラー医学研究所において、孵化過程にある卵があけられた。成長途上のひなが取り出され、その心臓の小片が切除された。そしてこの生きた組織小片は試験管内の溶液の中に移された。溶液中で、細菌、毒物、熱および寒さから保護され、絶えず酸素、砂糖およびその他の栄養物の供給を受けて、その組織小片は、生きているひなの心臓細胞よりはるかに活発に生き続けた。
 
この実験は、生命は生命体からしか発生しないが、それはまたおかれた技術環境にも依存しているという見識の確認である。物理的環境を変化させることによって、生命活動を促進したり遅らせたり、あるいは破壊したりすることができるかもしれない。
 ロックフェラー研究所での生命組織小片を使っての実験は、動物の個体を対象として行った場合には未だに成功していない。だが、計画的に用意された科学的環境は他の動物にとってと同じように、人間にとっても有益であることを実験は示している。同じように人間にとって重要なのは、適切に計画された技術環境なのである。
 ひなの心臓をめぐって考察された疑問とは、初期物質はどの限界点から、いかなる手段を経て、生命をもつに至るかということである。‘自然と人間の間を結ぶあの橋を見出すことが科学の大テーマとなった‘。同様に、人間と人間が造り上げた人工の技術環境との間の橋を見出すことが、未来の建築デザインの大テーマとならなければならない。

機能の新たな定義

 機能が何を意味してきたか、そして機能はデザイナーにかかわる場合、将来何を意味するようになるかを検討しなければならない。機能を静的なものと考えることはできない。さもなければ成長は停止するだろう。環境と人間の相互関係、およびこの相互関係の新たな可能性への展開は、環境の直接の結果ではない。それは、むしろ、生体内に生理学的に既に内在していたか何かが環境によって発達することである。
 機能は、自然環境の上だけでなく人工環境にも依存する。機能的デザインが人間の現状に依存するならば、それは決して発達することはないだろう。機能的デザインは人間の伝統的諸相にのみ留意することになるだろう。だが、人間の進化は、人間の可能性が環境の変化によって増大したり減少したりする事実を立証している。環境に働く力の複合体の一部分を占めている技術環境は、人間の内在的な可能性をより高度の秩序へ向かって抽出し、さらに発展させることに寄与するという自覚に立脚したものでなければならない。人間の内在的可能性は、それを想像し実現ずるデザイナー能力に依存している。
いかなる形態も、それ自体においては不完全である。形態はそれが見えるものであろうと、見えないものであろうと、自発性であろうと、非自発性であろうと、拡散してゆくものとして確認される。従って、新しいデザイナーは、機能を行動への特別の核として定義する。形式は機能にしたがうと想定するのはあやまりである。この概念は、(1)構造、(2)機能、(3)形式、という固有の進行として置き換えなければならない。すべての機能とすべての形式は、構造に内包される。




デザインと生技術の定義

電気の場合と同じように、分極は関連性の核を生み出す。これらの関連性は、より上位への発展のための潜在的可能性である。この点で、人間のあらゆる可能性必要は常時存在しているが、特定の必要は、特別の環境的刺激の要求によってのみ前面に押し出される。
 従って、‘形式は機能にしたがう‘という公式が不適当であるだけでなく、‘機能的デザイン‘がこの公式に立脚するということも同様に不適当であるように思われる。‘デザイン‘という言葉は定義し直さなければならない。建築デザイナーは、物ではなく力を扱うのであるから、私の定義によるデザインとは、団体をめぐって限定されるのではなく、種としての人間の目的に向けて慎重に、自然のもつ力に極性を与えることが出来る。
 このデザインの科学を、私は<生技術>と呼ぶ。それは、生命を望ましい方向へ導くために、人間が開発しなければならない固有の技能であるからである。パトリック・ゲデス卿が用いた生体工学という言葉は、自然界の建築手段を意味するに留まり、人間界の建築手段を意味するものではない。これら2つの手段の間に互換性はない。なぜなら、自然と人間は、2つの異なる原理に基づいて建築する。すなわち、自然は連続性の目的のために、細胞分裂することによって構築する。一方の人間は、連続性のない特別の構造の中に、さまざまな部分を接合することによってのみ構築することができる。にもかかわらず、人間の造りあげた接合体は、究極的に人間ではなく、自然によってコントロールされている。自然の力を受ける接合体には、出来上がった瞬間から、崩壊過程が切迫してくる。それゆえに、建築デザインは、より高い抵抗性、より高い剛性、より安易な維持、より低いコストによる接合の削減を目指さなければならない。こうした熟慮によって、わたしは<連続構造体>の開発をおこなったのである。
 人間が‘一生の間 ‘に可能な建築の限界を認識すればするほど、その構造はより妥当なものとなる。生物学者がいったように、‘百の部分に分離すると即、百の完全なエンジン化するようなエンジンを考えうるかは疑わしい。しかし、池の睡蓮に付着しているあの優美な淡水ポリプを取り出して分断してみよう。翌日には、分断された各断片が一個の完全なポリプとなっているだろう。‘
 新しいデザイナーは、自然がその目的に合わせて建築している方法を理解するようになるだろう(生技術)。しかし、彼は自然の方法を模倣するわけではない。彼は、ロンドンのクリスタルパレスを見舞った災害から必要な結論を引き出すだろう。
 生技術的アプローチは、人間の生理機能のあらゆる核に含まれている特定の活動の可能性を展開させようと試みるものである。(この事実と図2の概念との一致に着目せよ)。これらの可能性は当初は見出されないままでいる。時間の経過を待って始めてそれらは個々にもしくは集合的に展開され、ついには意識的に求められるようになる。その結果として‘人間の本性‘と考えられていた古い枠組みの内部に全く新しい機能が生じる。それは創意発明によって支えられているものだ。

目的:最小生技術基準

生技術的アプローチと機能的アプローチは、異なる源から展開し、異なる結果に至る。一方で、機能的デザインはすべての道具の伝統的な働きに起因する。一方、生技術的デザインは人間の進化の可能性に起因する。機能的デザインは、物体を発展させる。生技術的デザインは、人間を発展させる。機能的デザインは振動的である。生技術的デザインは創作的である。機能的なデザインは不活動的である。生技術的な物体は反応的である。
 生技術者は、疲労要素のコントロールと、再活性の力のコントロールを通して、より高い生活基準を求め社会を進化させてゆく場合の重要な要因として現れる。これは、人体のいかなる部分も単一機能ではないという発見に導き、各微細部分もまた複数の系機能から成る核に他ならないということである。
 そうした発展は生技術者によって促進され、彼は、生技術的最小基準を公式化し、その実現に寄与する。この生技術的最小基準はコルレアリズムに基づくものであって、低所得者層を、巨大なヴィラの委小化された複製に住まわせようとする単なる建築的派生物に基づくべきではない。生技術的最小基準とは、人間の健康の最適要求をみたすような家、職場およびそのコロラリーから成る技術環境のことである。
 必要をみたすすべての物は生きている。それは、必要を満たすことを停止した時、あるいは必要自体が消失した時はじめて死滅する。必要を満足させる自然の創造物はすべて生きている有機体である。同様に、人間の技術の創造物も、丸薬入れであろうと、家であろうと、モーターであろうと、すべてが生きている有機体である。生命の基準とは活動性にあるから、すでに活動性を失った人間は死んでいるものと推定される。その類推から、物が目に見える活動としての自己表現を停止した時、その物は死んでいると推定する。

建築:人間エネルギーの発生器そして非発生器として

 人間の歩く床、人間の座る椅子、人間の横たわるベッド、保護のための壁、風雨を防ぐ屋根、およびその他のあらゆる人工環境のユニットは、それ自身で意味を持つ。だがまた、それらは核の複合力をもつ。一般にそれらは、生命のない物と考えられている。現にそれらは物同士の間と、物と自然の間で働く力の相互関係を表している。それらは、それら自身の内での同化作用力と異化作用力との不断の交換に他ならず、人間との調整、および人間を通しての自己調整において、高ポテンシャルのエネルギーの中心を構成する。
 現代の物理学者は、地球に絶えずすりそそぐ目に見えない宇宙船、放射線および放射性元素について語る。それらは、知覚されないが、長い時間の中にあらゆる生命体に対して何らかの影響を及ぼす。このことは、家や町や都市の‘星間的な‘組織についても言える。但し、この場合の作動する力は生命物質と非生命物質のみではなく、技術的人工体によっても構成される。



活性力としての生技術

技術体(家であれ、機械であれ、その他のいかなる道具であれ)の活動の軌道、領域および機会は、未来の生技術者にとっての対象物である。未来の生技術者は、彼が築き上げた構造はどれも、その活性力に比例しただけの価値があることを知るだろう。
 健康を生み出す技術的道具に対する緊急の要求にもかかわらず、旧式の製造業は、いたずらに市場を騒がすだけである。建築デザイナーに関する限り、そうした反社会的生産を阻止するための彼の貢献は、生技術的アプローチを絶えず用いることであろう。
 生技術的アプローチは進化的デザイン手法へと導いた。この手法は、広くゆきわたっている
日常品から離反してむしろ、物理的技術の研究に従事する。これにより、生技術者は現象の単なる物語的観察に終始することを回避し、発展するプロセスの発生学的説明に依拠して、必要な施設を作り出すことが可能となる。次のページの<動く家庭用の本棚>は生技術デザインの妥当性を示す試みである。家庭用の本の貯蔵が、最初の実験室のテストの対象として選ばれた。その理由は、(1)それがすべての家庭での要求であること、そして(2)それが‘本棚‘というあまりにも標準化されすぎたため、その再デザイン化は当初無駄な企てと思われたこと、である。従って、<動く家庭用の本棚>は、次のような一般表明の傍証となる:機能主義は緊張を道具から人間へと移すが、生技術は人間から道具へと緊張を移す。デザイン・コルリエーション研究所は、1937年秋、ニューヨーク市のコロンビア大学建築学部の一部として、ディーン・レオポルド・アーノルドを長として設立された。その主要目的は、建築デザインへの新しいアプローチ手法を開発し、実際の建設行為によって、生技術の有効性をテストすることであった。その研究は‘専門デザイナー‘のみではなく、学部外の者で自分の専門知識を他の科学分野に生かしたいと望むものをも参加させることによって、促進された。‘生技術的な再居住化‘の最初のテストは、(a)毎日の生活のなじみ深い部分で、(b)確かな満足感を持って受け入られるものでなければならない、という了解の下で行われた。そして研究対象プロセスとして書蔵が選定された。
 残念ながら、この短いスペースで、1年半の研究と実験のあらゆる成果を説明し尽くすことは不可能である。この説明は、とう研究所として、近い将来に発表するつもりである。帰納的意味づけの方法を採用することにより、統合化が可能となる前に、全く新しい‘アプローチ手法‘が展開されなければならないことが明らかになったと言っておこう。なぜなら、本棚に現在用いられている全てのデザインの原理を要約すると一つの結論が出てくる。すなわち、道具にではなく、もっぱら利用者に緊張の負担が置かれている。


 西欧文化における書蔵の歴史を願みて気がついたことは、(本を読むかあるいは貯蔵している人)と、この目的のための特別の道具(この場合、いわゆる‘本棚‘)との間に見つけた唯一の一般に受け入れられていた用語はdwarf shelves という言葉である。すなわち、これは、中世図書館における本棚で、窓敷居まで達するか、もしくは約4フィート6インチの自立した方式である。我々は人間と本棚との生理学的関係を図にし、その結果を図12のような一覧表にした。
 帰納的な方法により、蔵書には4つの主要分類に分けられることが発見された:

(1)一時的所蔵 
(2)積極的所蔵
(3)消極的所蔵
(4)死蔵

これは発見であった。そして、この発見は家庭での蔵書のための新しい生技術的道具の最後の展開に大きな関連を持っていた。なぜなら、これらの4つの段階は、物理的、目的論的および経済的な廃港と密接に結びついているから。それはまた、新聞、雑誌、参考雑誌、小説、ノンフィクション、参考書といった各種の印刷物の供給にも大きな関連を持っていた。それらの要因は、家族構成員の年齢の変化によって影響された。現実の価格とサービス有効性に関する経済的局面が、最後(最小ではない)であった。これは明らかに、家庭の所得水準とその維持しうる居住設備とによって、影響を受けるだろう。
生産技術的には問題は6つの主な局面に還元された:
(1)空間技術 10インチから12インチの普通の寸法を、15インチの深さに増して、本の収容力を増加した。
(2)柔軟性 組み立て部分も、各部分ユニットも360度回転する(図13参照)。組み立てはいずれにしても容易に、ある位置から別の位置に移動することが出来る。各ユニットの取り付け、取り外しにより、収容量が増減できる。
(3)建設システム 利用可能な製造設備と、現在の価格水準が、デザインの中に認識されている。
(4)防禦コントロール 普通考えられている以上に、本は、人間と同じような外気条件のなかで最適寿命を保つ。扉を外すことにより、いつも換気が行われる。埃は、透明な遮断板によって防止される。
(5) 内容分類 この本棚のユニットは、本のサイズが違っても、内容に従った分類可能なデザインである。
(6) 疲労の軽減 人間の身体的限界を考えて、各ユニット及び組み立て部全体がデザインされているので、利用者のストレスは最小限に抑えられている。(図12参照)

我々はいくつかの基本的デザインを開発したが、これらはその1つである。それは新循環タイプと命名されており、これから社会経済の特別な要求にあった多くのヴァリエーションが開発された。<動く家庭用の本棚>は図3に示されている原理をもっている。それは、ヴァリエーション(特定の要求に合致するため)と改良(究極的に、新しい基準によって乗り越えられるため)とを受け入れる。更に重要なのは、本自身も同様の発展法則に従い、究極的にはより新しい‘コミュニケーションの道具‘すなわちマイクロフィルム、テレビジョン、光学判読、等によって置き換えられるかもしれないということが、認識されている点である。この要因は図9に詳細に示されており、そこでは移動式家庭用本棚は技術進歩と時間の中に正しく位置づけられている。



コルレアリスムとは環境における誕生と崩壊のサイクルのことを指す。


キースラーの建築論について

このキースラーの論文から分かることは何であろう?キースラーの建築論は原始の時代で生活の場として行われていた洞窟の回帰ということが考えられている。これはマジック・アーキテクトと呼ばれるキースラーが書いた建築論にも書かれているが、このキースラーのエンドレスハウスは原始への回帰というものが考えられる。

建築を考えたとき、四角、円、角、楕円というものが浮かんでくる。このエンドレスハウスを考えたとき楕円というような形だと感じる。

キースラーの建築に対する考えは間違えなくモダニズムの否定を表している。事実キースラーもモダニズムの四角い建築を非常に嫌っていた。そこからキースラーの建築論は始まると考えられる。

エンドレスハウスには円や楕円といった生物的な形態が謙虚に現れる。この生物的な形態はキースラーだけではなくガウディやアーキグラムのリビングポッドや近年ではジョン・ヨハンセンの建築の新種、伊東豊雄の展示会「新しいリアル」などでも取りだたされているし、黒川記章の新建築の建築思潮についてのコラムでも機械の建築から生物の建築へと言うコラムなど、近代の建築思潮でエンドレスハウスに見られる形態は建築のメディア等でとり立たされている。

そしてエンドレスハウスはキースラーの集大成とも言えるものである。これは2度の建設が試みられたが実際には作られることはなかった。

エンドレスの形態は建築の本質、というものが関係しているのかも知れない。ヴェルフリン著の「抽象芸術と感情」では抽象芸術というものは人間の本質的な感情を表したものであるとされている。そして建築にもこの抽象的とも言える円や楕円形態を利用するべきだということを私は推測する。だからこそキースラーしかり、またガウディしかり自然にあるような、ある意味で自然主義といっていい形態を建築に起こしたのではないかと推測する


エンドレスハウスに見られる構造、キースラーは殻体構造と呼んでいるがこの構造のメリットは

(1)照明の点で有利である。

これは四角いモダニズム建築と比較すると、殻体構造は途切れることがないため、光の反射が永遠に続くことから、照明において非常に効率がいいということを言っている。

(2)音響の点でも有利である。

これもまた照明と同じようにまんべんなくいくことから有利であるということを言っている。

(3)人工の宇宙卵である。

と言う点にあるそしてエンドレスハウスにはキースラーの建築理論が込められているのであるが、どうも科学的に不可解なことをキースラーは言っている。「この建築は人間が作り出す人工の宇宙であり、そしてこの宇宙は人間や生き物が最初に生まれ育った卵から始まる」とされている。これは科学的なものでは解明できづらいものである。そしてこの建築は洞窟をイメージして作られている。それは人間が最初に生活してきたのは洞窟といった自然形態そのままのものであり、この建築は人間の生活においてあるべき場所に帰るためにものであるとしている。そしてこの建築のリビングルームには宇宙の中心性を現すという火と水で構成された蜀台で出来ている。これは円でできている。
またこの宇宙卵という概念は宗教学的な要素で日本では忌み嫌われがちなものであるが、このキースラーの宇宙卵という概念をユング心理学をとうして後に述べてゆきたい。

(4)空間の連続性

空間の連続性というのはバウハウスを代表するようなモダニズム建築と比べて述べている。四角は空間の意味で途切れるが、エンドレスハウスの殻体構造は途切れることがない。そして全てのものは繋がっていなくてはならないというのがこの建築家の理論でもある。

(5)時間の連続性

近代建築は50年持てばいいと言われている。これはモダニズムの建築家でもあるエゴン・アイアーマンも語っている。確かにコンクリート建築は50年もてばいい方である。このキースラーの言っている時間の連続性とはまず建築が施工される。そのあとに竣工されてから生活空間として建築を利用したあと、次に建築が生活空間として利用できなくなったあとに、芸術としてモニュメントとして利用し、風化するまで利用するというものである。それにより、時間の連続性、終わりなき、永遠性がもたらされる建築になるのだとした。エンドレスには建築において3つの主要な段階があるのである。

(1)生活空間として

(2)芸術

(3)土に返る

そしてこれを繰り返す。それにより建築に永遠性が持たされるのだという。









エンドレスハウスでキースラーが最もいいたいことは、
この建築は「構造」「機能」「形態」の順に従って生まれた。
そして5つのメリットがある。

1.照明の点で有利
2.音響の点で有利
3.人工の宇宙である宇宙卵を表す
4.空間の連続性
5.時間の連続性


先にも述べたが3.人口の宇宙である宇宙卵を表すという利点についてはユング心理学のマンダラを踏まえて説明したいと思う。









建築とは何か

キースラーにとって建築とは機能を第一次とか第二次とかに考えるのではなくて(生機能)を実現することを目的としなくてはならない。人間の意識や精神世界も含めて変革を促すものであった。ヴェルフリンの言う抽象芸術に見られる人間の根本的なものを建築形態にもとめ、そして生活空間の充実を考えた結果。この殻体構造を持つ建築、「エンドレスハウス」が出来上がったのである。


キースラー語録

「キースラーほど建築を造らないで有名な建築家はいない」と、フィリップ・ジョンソンが言ったぐらいである。ちなみにフィリップ・ジョンソンの名作であるガラスの家の前にはキースラーが作った宇宙をイメージする彫刻があったが、何の因果か分からないが落雷にあい、壊れてしまった。

「世の中の建築家はみんな雄の建築を作っているが、俺だけは雌の建築を考えてきた。」

シーグラムビルのミースとは長い親友である。

キースラーは、箱型の建築を牢獄と呼んでは嫌っていた。箱は常に、端とか隅がある。建物が、天井とか壁とか床面によって分けられ、それぞれが境界をもって分割されていることが、人間の生きる空間として適切ではないといっている。

しかし、彼にとっては、女性の建築もまた比喩的に、四角い箱型の建築を「雄の建築」と呼び、<エンドレスハウス>を「雌の建築」として称していたのである。

アドルフ・ロースに強い影響を受けた。数ヶ月の間ロースの事務所で働いた経験がある。








キースラーのエンドレスハウスの概念にこの建築は人工の宇宙卵であるということを述べていたが、この概念は何処から来るものなのであろうか?おとぎ話の中で出てくるようなこの言葉は科学的に表せないだろうかと考えた。そこでユングの心理学にこのような人間の超越性や宗教学に見られる神秘性に関する論文などがあったのでそれらを踏まえて述べてゆきたい。


(2).キースラーと曼荼羅(建築形態について)

フレデリック・キースラーにおける円や楕円状の建築形態と曼荼羅の関係

1.ユング心理学と曼荼羅

2.建築における円や楕円

3.太陽と人間

4.宗教と建築

5.ユング心理学とマンダラ

6.エンドレスハウスと曼荼羅

7.参考文献




もしこの疑問点が事実であればこれはすごいことである。






1.ユング心理学と曼荼羅


このキースラーの研究をしている時に、次のような疑問が湧いて来たキースラーにおけるような楕円や湾曲した形はどうして建築形態に利用されるのだろう?・・・

またキースラーの言った、「人工の宇宙卵」とは何を表すのであろうか?

経済や合理的な機能を考えるならばモダニズム建築家達の作品でいいではないかと思わないだろうか?特に曲線や楕円と言うのは宗教建築でよく使われている。とくに抽象絵画などでは曲線や楕円が見挙に現れている。

またキースラーのエンドレスハウスにおける卵形の形態に類似するものとして、アントニオ・ガウディのカサ・ミラなどが似ていると言えないだろうか?ガウディのカサ・ミラもまたバルセロナの自然の岩石をイメージしてできた為か有機的な形態を持っていると言える。またガウディの場合もこのカサ・ミラの内部空間は恐ろしいほど非線形で平面図を見れば分かっていただけると思うが従来の直線や角を使う平面プランと違ってなんと湾曲していることか!そしてこの建築は集合住宅であるがひとつも同じ部屋の構成はないといえる。また湾曲を使うといった点では、また同じくバロックを代表する建築家であるフランチェスコ・ボッロミーニのサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ教会堂に見られる形態もまた湾曲など非線形的な形態をしている。平面図を見ても、卵の有機体の中にいるようである。またこのガウディとボッロミーニはどちらかと言うと建築を理屈ではなく、感性で、また精神性の強い建築であると言える。ガウディは「神の建築家」と晩年呼ばれていたがやはり学生時代から宗教学を熱心に勉強していたこともあり、宗教と建築が密接に関係していると考えられる。ボッロミーニもまた精神的によく考える人物であったらしく、晩年は精神病をわずらってか、自殺によりこの世を去っている。また宗教建築には建築の形態でよく湾曲等が良く使われる。これは何故こうなるのだろうと皆さん考えないだろうか?それは心理学的にも密接に関係しているらしい。世界的に有名である心理学者ユングによれば、人間は精神的にうつになるときや、宗教をやっているもの、また一般の人でも自分の心を描いてくれといわれ、実際にその場で絵画を描くと楕円や円を描くという。精神病院でこれを行った場合ほとんどの人物が楕円を描いたという。


この心理学的な要素は建築に関係しないだろうか?
いや少なからず影響を及ぼしているといえよう。


キースラーのエンドレスハウスを見ていて、何故キースラーのエンドレスハウスに見られる形態は実際にはどのような原理のもとに創造されるのだろうかと考えた。そしてこの円や楕円などの幾何学形態はやはり心理学の要素により共通した点が見られるのが判明した。ここではそれを具体的に明記して取り上げていきたいと思う。

建築とは人間を守るためのシェルターであり、住まうことであり、起源は原始の時代から始まる。心理学とは人間の行動に基づくものであり、古代の哲学者アリストテレスから始まるとされている。

そして建築の形態を作り出すのは人間でありこれもまた人間の行動に基づいているといえる。

そしてまずこの形態について調べる前に人間の行動について調べて行きたいと思う。人間の行動とは心理学と同義の意味として論じて行きたいと思う。

心理学とは、特に一般に知られていることは、人間の心を知りたいと思う心から発するものと私は感じる。人は生きていく上で人間と接するということを日常のものとして行っているものである(秘境などで修行僧のように暮らす人を除いて)。やはり人間社会を築いていく上で大切なことは人間関係であり、そして出来る限り仲良く、友好的に周りとの関係を築いていきたいと思うのは当然なことであるといえよう。私の見解ではそこから心理学の概念が発しているのだと感じる。

また建築とは人が偉大なる大自然たる自然環境から身を守るためにシェルターとして最初は洞窟を利用して、そこから石や木や土、枝などのありとあらゆるものを利用して自分を守るものを造り上げたことから始まると言われている。そこからただ建築を作るだけでなく、人間の欲というものが関わってきたことにより建築はより権力的なものや、利便性をもつもの、宗教的なもの、その他いろいろな用途を持つものとして枝分かれするかのように別れてきたされてきた。

建築形態というものは様々な要素により形成されるのであって、この論文で判明したことが、その部分だけで建築形態が形成されるとは言えないということは事実である。しかしこの建築形態に関する論文は形態の形成にまつわる要素をかなりの分量で占めている可能性を持っている。建築形態を形成する要素がわかるようになればその建築を理解する(なぜそうなるのか?という疑問点など)上で重要になってくるといえよう。建築形態の円や楕円というものに関する論文であるが、この論文が抽象的なものやあいまいなものになってしまうのが怖い点であるが、それらを物理的、客観的観点から論じるように心がけた。


キースラーのエンドレスハウスを考えたときに何故キースラーのような形態が建築として提案されるのだろうか?確かにキースラーの言うように原始の時代は洞窟から始まっているとされているが、この形態を人工で作り出すというのはどういうことなのだろう?現実の建築の諸問題を考えても、キースラーのエンドレスハウスにおける殻体構造は経済面を考えるとやはりお金のかかるものだし、機能的な設計がエンドレスハウスに施されているにしても大変不便な要素があるのではないか?事実、今の近代建築は四角というものが基調になっていて、もちろんそれは建築というものが規格化、工業化された結果だといっていい。家具はもちろん基本的には四角な訳だし、空間の統一性を住居に求めるならば、楕円と四角が入り混じるいやな空間になる可能性がある。だが何故このような建築においてキースラーだけでなく円や楕円というものが建築において使われるのだろうか?
それが科学的に論証するものとして心理学における曼荼羅というものがある。
なぜ急に曼荼羅というものが出てきたのか皆さん不思議に思うだろう。
ユングという著名な心理学者によれば、人間はある特殊な状況になったときに、宗教的な暗示なしに曼荼羅のような図形を見るものらしいという研究が、ユングが心理学の観点からそれを発表した。
こう考えてみるとどうだろうか?建築を形作るときに円や楕円などを宗教建築でおおく見られるのは、これが関係していないだろうか?
精神病患者が書いたもの
(図解・曼荼羅の全て  西上青曜 8頁 PHP研究所から引用)



ユングによれば多くの被験者が曼荼羅のような絵を描くという。


新石器時代の終わりごろ、巨石を土中に立てた遺跡があちこちに見られ、メンヒル(立石)と呼ばれている。

建築形態を考えた時に建築には宗教建築が多々あるという。旧石器時代に見られるストーンヘンジの形態もこの上の図に似ているといえる。ストーンヘンジ自体についてはまだ研究では定かになっていないが、ここで何かしらの儀式的なものが行われていた可能性が強い。人間は宗教的な状況に置かれた場合、円を描くことが多いのではないかという推測が取れる。


人間は潜在的な意識の中に円や楕円を描くのではないかというのではないか?



建築においての円や楕円が使用されるというのもこの心理学的な要素が考えられるのでは?



わたしの提起するこの諸問題は建築を人間が形作るといった点でこのユングの曼荼羅に見られる原理が建築形態にもたらされる可能性があるということである。


もしこの疑問点が事実だとするならば、建築の原理を追及する上で重要な要素となる

釈迦を祀る仏塔 BC3世

パテラ メソポタミアの聖なる円形文様(右)



明らかなのはどの時代、どの国土でも必ず円を描く文様が存在しているということ。

ユングの患者が描いた絵


日輪を取り巻く蛇(生命エネルギーのシンボル)太陽神の頭上に輝く

ユングもこの人間の曼荼羅の関係を調べるためにも自己で曼荼羅を描いている。

曼荼羅における円というのは心理療法においても良好的であるということをユングは言う。

そもそも、人間が住まうものというのは最初は洞窟や森林など直線や直角のない場所で長い歴史を歩んできたのだし、生まれたときにはいっているのは子宮の楕円形の器に入っているのだから、円や楕円において人間が心理療法で有効であるというのは当然のことなのかもしれない。


また洞窟や子宮という概念はキースラーのエンドレスハウスの形成する思考の中にもある。


サンフォード・ホハウザー 海辺の家(幻想の建築P78~79、章国社 ウルリヒ・コンラーツ、ハンス・G・シュぺルリヒ)


彫刻と建築の融合



2.建築における円や楕円

晩年というもの

建築における円や楕円を考えた時にいくつか建築家が浮かんでくる。ガウディやボッロミーニである。そしてもうひとつ疑問点が浮かんでくる。建築家でも機能主義を謳っていた建築家である偉大なるル・コルビジェも、晩年には楕円を使った。抽象的ともいえるロンシャンを晩年に設計している。また晩年になると建築家は有機的ともいえる楕円などを使う建築が多く見られる。フランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館等を見ると、直線や角を主に使っていた巨匠達が自分の死期が近い晩年にこのような円や楕円を使う建築を生み出して死んでいったのを考えると、やはり死を間近にすると、神の存在や生まれ変わりなど、現実的ではない考え、まさしく人間の根本的な精神性ともいえるものが晩年には強くなっているのではないかという疑問点が出てくる。フランク・ロイド・ライトの設計したグッゲンハイムはまさしくライトの建築家としての最後の作品とも言えるものであり、ライト自身もこの作品を作る時、自分の命が残りわずかなのを感じ取っていたはずである。ちなみにこの建築がオープンされる前に偉大なる建築家、フランク・ロイド・ライトはこの世を去った。

またロンシャンにおいてはコルビジェの晩年の作品であるが、これは近代建築の基礎を築いたコルビジェが自分の思想が世界に浸透していく中で機能や経済性だけを考えた建築を見て、自分の建築を通して伝えたかったのではないだろうかというのが考えられる。これは安藤忠雄の著書「建築に夢を見た」で同じようなことが語られている。
ロンシャン教会 
ル・コルビジェ(http://www.hasken.jp/tour01.html#から引用)
グッゲンハイム美術館 フランク・ロイド・ライト (CASABRUTUS誰にでも分かる20世紀建築3大巨匠)

また建築家で言うとガウディとボッロミー二が建築家として存在しているがこの建築家達の作品もまた円や楕円を色濃く使用している。円や楕円を使う建築家には宗教や精神的なことで追い込まれている人物が多い、これは円や楕円というものが人間の神秘的な面や潜在な部分で円や楕円を感じ取る性質がある.

キースラーのエンドレスハウスにはもちろんのこと楕円や円形とも言うべき、生体的な建築形態をしているが、このエンドレスハウスの生活の中心となるリビングスペースに、建築の中心性を現すために、蜀台(fire space)と呼ばれる円形火と水で構成される台を設置している。これはこの蜀台の意味は「水は、火と同じように、人間の源泉として、感覚の泉として、重要な役割を果たしている。そこで、洞窟の中での水の音が、人間の感覚を刺激することを望んでいる。」キースラーの思想には彫刻としての建築、そして人間の生活から出発した建築、人間が作り出した自然とつながったもの、宇宙としての建築を生み出そうと考えたのである。


このようにしてキースラーのエンドレスハウスを考えると、キースラーの殻体構造には
人間の神秘的な、超越的とも言えるようなものが混ざっているかのようである。



円や楕円を多用する建築家

サンカルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ ボッロミー二作(ボッロミー二、G・C・アルガン著P67 鹿島出版社) 

この建築作品はボッロミー二の建築の中でも特に有名な作品となっている。この写真は身廊の天井部分をとったものであるが、ボッロミー二は石工匠から建築家になった人物であるが、精神病に冒されていたといわれている。これはボッロミー二が最後に剣で切りつけて自殺して死んだ。特に自分の作品、エスキス等を人に見られないように燃やすなどしている。ボッロミー二はバロック時代の建築家だが、この時代の2大巨匠として名をなした人物でもある。ちなみに、もうひとりの巨匠はベルニーニである。ボッロミー二だけでなく宗教建築と言うものは神秘性を表すのに円や楕円を使用する傾向が多い。


サンティーボ・アッラ・サピエンツァ ランタン部分の平面図 ボッロミー二作(ボッロミー二、G・C・アルガン著P67 鹿島出版社) 

このボッロミー二の作成した平面図はまさしく、曼荼羅と類似するものといえよう。ユング心理学で人間はある特殊な状況に置いた時に円や楕円を描く性質があるというがまさにこれはボッロミー二が描いた建築においての曼荼羅でありうる。特に建築においては円状のプランは宗教建築、教会建築で見られるものである。


ガウディはキリスト教の信者であり宗教と深く関わりを持っている

アントニオ・ガウディ(1883-1955)に生まれた建築家で、一般にはアールヌーヴォの代表する建築家と言われている。バルセロナの建築家として有名なガウディであるが、特に重要なのはガウディはキリスト信者であり、特にガウディの建築というものは宗教との関わりが根強く残っている。「カサ・ミラは聖母マリアに捧げる建築である」とガウディが言っていることから、そしてまたカサ・ミラの建築の外観はバルセロナの岩山をイメージして形成している。晩年にガウディは神の建築家とバルセロナの人々に崇められていたが、宗教と深く関わったガウディは、モダニズム建築に見られる、直線や垂直をあまり使わずに、一般に生き物のような形、生態的建築というものとしてここでは語っていきたいが、やはりガウディは円や楕円はガウディの全作品に見られるものである。そしてガウディは建築がモダニズムの近代建築が国際的な建築思潮として起こりつつあることをいきどうりを感じ、自分の建築作品を世に出すことによって、建築の本質というものをガウディは伝えたかったのだと私は感じる。ガウディはまさに建築の精神性というものを建築をとうして世に広めて行こうとした建築家であると考えられる。

カーサ・バトリョー3,4,5階平面図 (改装)1904年~1906年 (ガウディ全作品 2解説と資料 P180 六潜社から引用)
カサミラ1階平面図 (ガウディ全作品 2解説と資料 P184 六潜社から引用)
上の平面図で見る限り、ガウディの建築の平面図を見ると円や楕円が中心の作品になっている。またカーサ・バトリョの建築においては右側にブラックホールのような円状のプランになっている。この形態はガウディが建築の中心性を出すために作ったと考えられるが、この神秘性、中心性を考えた時に、まさに曼荼羅の円に似ている.
カサ・ミラ (ガウディ全作品 2解説と資料 P180 六潜社から引用)、

ガウディは学生時代は落ちこぼれで知られているが、これには深いわけがある。これはガウディの家族の経済状態が悪かったせいもあり、学業と仕事を両立して行っていたことと、ちなみに学生時代に親が亡くなってから、大変な生活になったとされている。だが一方でガウディは大学の建築教育をまじめに勉強するよりも、哲学や宗教の授業に率先して出て、あとは図書館で建築の蔵書を読み漁っていたという。この頃からガウディは宗教というものに強い興味を抱いていたという。宗教は神秘的で科学では解明できない要素も多い。そしてガウディの建築自体も彼が著作などを書く建築家ではなかったので、その真意は定かではない。しかし、もし、建築の形態の形成において、人間の心理の中に誰でも円や楕円を無意識の中に抱くとするならば、ガウディの建築は人間の心をそのまま表現した作品なのかもしれない。

3.太陽と人間

ここで太陽と人間を書いたのは、人間が太陽をこの世の中心として、また象徴として考えているからである。そして太陽は円である。

太陽は人間にとっても生物にとっても書くことはできないものとなっている。それは生物のサイクルにおいてまず植物がなければ全ての動物は息絶えるだろう。何故なら酸素を吐き出すのが植物でありこれがなければ一部を除いて、動物は生きることが出来ない。そして植物は光合成というものを太陽光から受けることによってエネルギー物質を作り出し、自らの栄養としている。そう、太陽は私たちにとってなくてはならない密接なものなのである。

朝起きてというが、まず朝を確認する時点で太陽光がさすというのが大前提であり、これはまったくあたりまえなことであり、そして太陽が涼むと共に、照明なるものがない場合、古代の縄文人などは太陽がなくなると眠りに入るという生活を送っていた。太陽は時間を確認する時にも重要であり人間にとって密接な関係を持っているということにある。

ウィリアム・ブレイク(ヤコブの弟子)水彩1800年頃
フリーメイソン 儀式と象徴の旅 W・カーク・マルナルディ著

これはウィリアムヤコブの描いた水彩画であるが上部の月か、太陽をイメージした球体から神の死者が舞い降りるということを表している。

人間が自分の心を描いた絵画を描く時に曼荼羅のようなものを描くとき、関連性の強いものとして、太陽の存在をあげたかったのである。

もちろんのことだが、太陽は国籍、文化に関係なく何処にでもあるものである。これは地球が始まった時よりもずっと昔から存在している。ということは人間が猿だった頃から太陽というものをずっと見続けてきたならば、人間の遺伝子にその太陽の情報が、人間が何もしなくても、しゃべれるようになるのと同じように、ユングの言う潜在的な意識の中に太陽と言う存在、そして円としての太陽を描く性質があると推測できる。そして建築形態、絵画において神秘性を表すのに、円が使われるというのはこの太陽や月というもの、夜空に浮かぶ星が関係している可能性が高い。しかしこれは実際に人を例にして実験などをしたわけではないので、断定はできない要素である。

また(臨床的知の探求、上、山中康裕、斉藤久美子、編集、P93)で乗っている「太陽のシンボリズム」で太陽に関する人間の心理で興味深いことが書かれている。

「危機的な状況にあるとき、我々は内的な自分を空間的時間的な世界軸の中にどうにかして定位しようと試みる。」といわれるように、心的な危機的状況において、人は普段自分が生きている世界やその世界を成り立たせている様々な軸そのものを、改めて問い直さざるを得ない。 (金山由美から引用)

太陽と言うものは人類の精神史でもっとも古くからあるとされている。他の星と比べても比較できないほど重要なものであることは人類が生きることにあたっても重要なことであろう。

エリアーデ著の「太陽と天空神」の中で人間の太陽における神秘性について語られている。この本では太陽のヒエロファニー(聖の顕現)は知らず知らずの内に言語、習慣、文化といった媒体に運ばれて蓄積されてきて、太陽のシンボリズムが、無意識的動作や紋切型表現のための陳腐な手段にすぎなくなるにつれて、太陽はついには「漠然とした宗教経験」の常套句になってしまったとされている。

特に謙虚なのは従来の精神病理において、太陽がテーマとして取り上げられることは決してまれではなかった。精神治療で描画や夢、イメージを用いることが今増えている。
だとするならば建築形態にも太陽をイメージするもの(聖の顕現)として太陽の同じ形態である円を使うとするならば、宗教建築の平面プランに円が使用されることが多いことについて納得できる。



フリーメイソン 儀式と象徴の旅 W・カーク・マルナルディ著 フリーメイソン「ビーブル・モラリゼ」1250年ごろより


これは神が右手で宇宙の寸法を計り、宇宙を創造しているところである。ここでも赤い球体が太陽として宇宙の中に描かれている。


3.宗教と建築

宗教建築には円や楕円と言うものが非常に多く使われている。例えばゴシック建築に見られるバラ窓などはゴシックの寺院のシンボルとして使われている。ランスやアミアンなどの大聖堂で見られるものである。これもやはり建築において象徴的なものとして、また空間において、宗教建築であることを表すかのごとく存在している。
    
また特に際立つのは宗教建築における平面プランである。これはビサンチン建築でも有名なサン・ナビィターレ教会に見られるプランであるが、この時代の宗教背景が見られる建築であり、外部は質素なものとして簡単な構成になっており、逆に内部は鮮やかなフラスコ画などで埋め尽くされた、この時代の建築を代表する作品として現代に伝えられている。この平面は六角形の中に円を描くような構成になっている。ほかにも宗教建築において円状の平面プランを持つものは非常に大きい。

またアジアの仏教建築では特にシナ(中国の唐や宋)建築伝来の頃には屋根の高配に注意がしてほしい、仏教中心である中国の建築では屋根に直線ではなくて、楕円状の少しカーブした屋根になっている。また一方では日本独自文化となってからは日本建築では屋根が直線を作るようになる。これは建築史家である大田博太郎の日本建築史序説に記入されていたものである。

仏教において重要なことは仏像の神秘性を表すのに円が特に使用されているということである。

4.曼荼羅とユング心理学


ユングは人間の心理を様々な被験者に絵(曼荼羅)を描いてもらった。

ここでの曼荼羅とはある特殊なシンボル群のことを指す。

すると共通するものが出てくることが分かった。

(1)円ないし球、または卵の形。

(2)円の形は花(薔薇、水蓮-サンスクリット語ではパドマ)あるいは円として描かれること

(3)中心は太陽・星・十字形によって表現され、たいていは4本、8本ないし12本の光線を放っている。

(4)円、球、十字型しばしば回転しているもの卍として描かれる。

(5)円は中心を取り巻く蛇によって、円状に(ウロボロス)または渦巻状に(オルフェウスの卵)が描かれる。

(6)四角と円の組み合わせ。すなわち四角の中の円、またはその反対。

(7)四角または円形の城・町・中庭(聖域)

(8)眼(瞳孔や虹彩)

(9)四角の形姿のほかに、きわめて稀ではあるが、三角や五角の形姿が現れる。それは以下に見るように、「歪んだ」全体像と考えられる。

個性化とマンダラから引用 C・G・ユング著 p185




絵1
 (個性化とマンダラ C・G・ユング著 P150林道義訳 みすず書房 から引用)
(1~42まで同じものから引用)

曼荼羅とは何か?

曼荼羅はサンスクリット語で円を表すものであり、祭式に使われるもので、ヤントラと呼ばれる瞑想の道具である。それは中心に向かって円を描きながら、いわば心理的視野を狭めていくことによって集中を助けるのである。通常曼荼羅は3つの円を含んでいて、黒か濃い紺色で表されており、それらの円により外界と内界を分けている。外側は炎を表し、人間の欲望を表している。そして欲望の炎からは地獄の苦しみが生まれる。円の外側の淵は墓地が描かれており、すぐ内側には水蓮の葉が輪になっていて、全体でパドマ・水蓮の花・を表している。その内側ではたいてい4つの門がついており、この僧院は聖なる隔離と集中とを意味している。この僧院の内側では4つの基本原色、赤・緑・白・黄が見られ、それらは、4つの方位と、同時に4つの心的な機能とを示している。その内側にはたいてい魔法の円が描かれており、模倣の円によって仕切られたものがあり、瞑想の重要なものとして描かれている。(個性化と曼荼羅 J・ユング著P150みすず書房 を参照)


絵2

河図

中心にはすなわち天があり、そこから4つの流出が空間に広がる。

乾は自己産出的な創造的エネルギー
元は万物に浸透する力
亮は産出力
貞は不変の決定力

の周りに4元素を持った大地が広がっている。



絵3




チベットの世界観

中心には三の原理、鶏・蛇・豚がいる。
これは好色・嫉妬・無知をあらわす。

輪は死の神ヤマに抱かれている。

絵4

ユング直筆のもの


中心の薔薇はルビーを表しており、その外側の円周は輪と考えられており、また門のついた円形の城壁であるとも考えられている。

「夢み手は3人の若い旅仲間と一緒にリヴァプールにいる。夜であり、雨が降っている。あたりには煙と某が立ちこめている。彼らは山のほうから登っていく」

真っ暗な闇を、少ない街灯がわずかに照らしている。しかし池には小さな鳥が見える。そのうえ一本の木が立っている。赤い花の咲いた木蓮である。それは不思議なことに永遠の太陽の光の中に立っている。

絵5




分裂病の素因を持った中年の女性


彼女は曼荼羅を描くたびに彼女の混沌とした心の状態が秩序づけられるというので、たくさんの曼荼羅を描いた。この絵は薔薇の花を表している。

絵6


中年の女性患者

「私は裁繍の複雑な図案を解読しようとしていた。私の姉妹がどうすればよいかを知っているわ。私は、彼女が縁取りをしたハンカチを作ったことがあるかを聞いたところ、彼女は答える、いいえ、でも私どうすればできるか知っているわ。すると糸で図案されたハンカチが見える。しかし仕事はされていない。仕事とは何回もぐるぐる回り、そこからさらにいくつもの円を描いて、中心の四角に近づくことである」

渦巻きは特徴的な色、赤・緑・黄・青で塗られている。中心は四角であり、その表面は4原色を示している。内部の渦巻きは蛇を表している。

絵7







花がますます満開の状態になってきて、醜悪な顔を駆逐し始めている

絵8



この絵はずっと後の状態を示している。細かい丁寧な描写と、豊富な色や形とが、競い合っている。このことから書き手の異常な集中が分かるだけでなく、西洋的な知性主義・合理主義・道徳主義に対して東洋的なもの「花のような性質」を描いていることが分かる。それと同時に人格の新しい中心も見えてきている。

絵9



若い女性患者によるもの



4つの基点に奇妙な顔、鳥、羊、蛇、ライオンの顔が描かれている。内部はからである。
この絵は個人のマンダラと圧倒的多数と同じである。


絵10




一般の若い女性が書いたもの


蛇が4つの放射線状をもつ中心点を取り巻いているという意味では「正統派」である。蛇は外に向かっている。





絵11





ある中年の婦人

外的内的にひどく苦しんでいた時にぺネロペーの織り仕事のようにして仕上げたものである。この女性は医者であるが人生の苦難を和らげてくれるものとして、この魔法の円を何ヶ月もかけて毎日一生懸命に自分の周囲に織り上げていった。

絵12





中心から出ている4本の光が画面全体に放射されている。それによって中心はダイナミックな性格を与えられている。花の構造は4の倍数である。この絵には、ある種の芸術的資質を持っている描き手の激しい性格がよく出ている。また彼女はキリスト教神秘主義が深く感じながらこの絵を描いている。

絵13




初老の女性患者によるもの

花を上からではなく、横から描いたものである。しかし四角のなかの円の形は図案化された輪郭によって守られているので、この絵は描き方は違っているがマンダラと見なすべきである。花は女性的なもの、植物は成長ないし発達を表している。

絵14





ノイローゼの若い女性のものである

蛇が自ら中心にいて、普通蛇は内部の円の外にいるか、あるいは少なくとも中心点を取り巻いているものである。そういった点からもこの患者に異常が見られている。

絵15



中年の女性患者によるもの

四角と円の組み合わせを表している。ここでも植物は芽生えるもの、成長するものを暗示している。中心には太陽が見られる。蛇と木のモチーフが存在しているように、これは楽園のイメージである。

絵16




初老の女性患者によるもの

この絵は「内向的」である。蛇が4つの放射線をもつ中心をとりまいていて、頭を白い中心点のうえに置いている。それにより蛇が後光輪を持っているかのように見える。あたかも蛇が中心点を抱卵している、あるいは宝物を守っているかのようである。すなわち中心はしばしば「得がたい宝物」と呼ばれる。

絵17
中年の女性患者のものである。

彼女は下の網の目のような根にとらえられている。中央では彼女は本を読んでいる。 すなわち知性と知識を増やしている。このマンダラは6本の放射線状を持っている。

絵18




金の玉は金の胚芽に当たる。
玉は回転している
その周囲を回っているクンダリニー(蛇)は2匹になっている。
これは意識を表している

絵19




前の写真と同じ人物のもの

瞑想、すなわち中心への集中が彼女自身によってなされている。
彼女が魚や蛇のかわりに存在している。彼女自身の理想像が貴重な卵を取り巻いている。足は柔らかく曲がっている。

絵20



若い女性によるもの

中心には女性の姿があり、あたかもガラス球か透明な泡の中に閉じ込められているかのようである。まるでここでホムンクルスが生まれようとしているかのようである。

8つの黒い星が見られる。中心から根が囲うようにして4つの星と5つの星が形成されている。5は自然なもの(人間は一つの胴体と5本の突起物からなるから)であり、4は反省された全体性を現している。これは観念的な人間を表している。

絵21





これは前の絵を描いたのと同じ人物である

外側の円は欲望の炎を表している。マンダラの外は一般にチベットの世界観などでは、外側は欲望の炎を表している。この絵ではその炎が具体的に現れている。

絵22




ユング自身によるもの

ここでも中心が星によって象徴されている。何処にでも見られるこの表現は、これまで多くの絵で太陽が中心にあったのにあたる。太陽はまた星であり、この絵は混沌の中から自己が星として書かれているという意味において、重要である。

絵23



初老の女性患者によるもの

上は空であり、下は海である。中心は4枚の羽が回っている。そして中心は橙色で構成されている。

また中心からは4本の線が伸びている。これは一般のマンダラに見られる線の構成である。



絵24



中年の男性によるもの(ユングによるもの)

中心には一つの星がある。青い空には金色の雲が浮かんでいる。4つの基点には人間男姿が見られる。上には瞑想を取っている老人。下には寺院を手にもったロキまたはへパイストス。右と左には黒い女性と白い女性が立っている。ここでは、錬金術の両性具有体のように、「上」と「下」、また「男性的」と「女性的」が統合されている。

インドやイスタンブールの寺院建築では頭の部分などに玉のような形をしたものが使われている。トルコの大建築家であるミーマール・シナンのモスクは円や楕円を描く建築が多い。


絵25



この絵は女性によるものである。

回転する球体の中の乳児として描かれている。4枚の羽は4基本色で塗られている。この子供はヒラヒャルガルバに、また錬金術のホムンクルスに当たるものである。

仏像の神秘性を表すのに、仏像の周りに五光を描くことがよくある。この絵はそれに似ていると感じる。

絵26






回転するマンダラ。注目すべきことは放射線状の4枚の羽が、中心の心の周りを疾走している犬の三者性と対立している。犬に背を向けて走っているが、このことは中心が無意識のうちにあることを示している。

絵27





両親が離婚した11歳の少女の絵

古代のマンダラ模様に近似するもの、この形態は教会の平面プラン等でもよく見られる。

太陽の周りを眼のモチーフとウロボロスを伴った円が取り巻いている。多眼のモチーフは個人のマンダラにもよく使われる。

      絵28


     中年男性が描いたもの



  城壁と堀に囲まれた中世都市を描いたもの街路網と教会が4本の放射状に配置されてる。
  スカモッティのパルマノヴァに類似するマンダラである。このように町をイメージする     マンダラはよく見られる形式である。


絵29・その1

60歳の女性患者によるもの

火の魔神が闇の中を一つの星に向かって飛び上がっていく。その星と結びついて、混沌とした状態から秩序だった堅固な状態へ移行するためである。星は超越的な全体性を現している。



この女性患者は錬金術と言うものを何も知らなかった。

3人の人間が炎の中で同じ格好で星に向かってはしっているのが見える。

絵30・その2





魂が泳ぎながら浮かび上がってくる。

右側に星が見える。火の魔人がその星を目指して魂は動いているのだろうか?


絵31・その3






同じ女性患者が描いたものであるが、これは人間が火の中をもがき苦しんでいるかのように見える。


絵32・その4







これもまた火を表しており、その中から魂が泳ぎながら浮かび上がってくる。

絵33


若い女性患者によるもの



中心を三角としてマンダラが描かれている。

この絵画では女性のジレンマが現れている。

絵34




若い女性によるもの

ノイローゼによって乱されたマンダラ。

この絵は未婚の女性によって、大変葛藤な時期に描かれた。彼女は2人の男性の間でジレンマに陥っていた。外側の縁は4つの異なる色を示している。5個の劣頭を持った星は、すでに述べたように、単に自然的な・地上的な・無意識的な人間を表している。

絵35









これは絵画ではなくゴシック建築のパーダーボルン大聖堂のゴシック様式の窓飾りである。この場合は中心ははっきりしていない。ゴシックの薔薇窓でもそうだが、装飾においても円をシンボルとした建築はよく見られる。

絵36


分裂病の素因をもつ若い女性患者のものである。

病的な要素が、中心の「折れ線」ないし分裂病現象に現れている。折れ線を示すような鋭い形は、傷つけようとする邪悪で破壊的な衝動を暗示している。

花の形で全体的に構成されている。花というものは特に水練などがよく仏像などでも使われているが、蛇に並ぶぐらいよく使われているものである。建築においては花と言うものは装飾においてよく使用されるものである。


絵37





ナヴォア・インディアンのマンダラ。

彼らはこのようなマンダラを長い間骨を折った末、色とりどりの砂を使って治療のために作り上げる。

その仕事は、病人の為に行われるものである。
絵38





ナヴォア・インディアンの砂絵

「男たちの狩猟の歌」の儀式の一部である。4方位が角の生えた4つの顔によって表されている。それらの顔は4方位を表す色で塗られている。


絵39







この絵は中年女性のものである。


彼女はノイローゼになることなく、精神的に成長しようと努力しており、そのために「能動的想像」を応用した。その試みからこの絵が生まれた。これは無意識の海から、新しい眼(意識性)の誕生を表している。



絵40








これはモクニン(チュニス)の古代ローマ時代の床のモザイクの中にあったもの

悪しき眼差しに対する魔除けである。

眼や蛇といったものは人間にとって神秘性を表すのにどうやら重要な役割を持っているようである。

絵41



女性の描いたもの

この女性は影の問題を抱えている。絵の中の女性像は彼女の影を、暗い地価的な側面を表している。彼女は4本の矢を持った車輪の前に立っており、それと一緒になって8本の放射線を持ったマンダラを構成している。上部の4つの蛇は彼女の破壊的な考えを表している。



絵42




エジプトの天母の絵を示す。

彼女は身体を曲げて、丸い地平線をもつ「陸地」を覆う虹の女神のようである。マンダラの背後には魔人に似た空気の神が隠れている。眼のモチーフをもち礼拝する形をしたカーの腕がマンダラを支えている。マンダラは世界を表しているのであろう。


5.エンドレスハウスとマンダラ

エンドレスハウスを考えた時、不可解なものは

・ エンドレスハウスのリビングルームにあるこの建築の中心性を現すという円形の蜀台

・ 人工の宇宙卵を表す

というものである。これはユング心理学のマンダラをとうしての結果

(1)円ないし球、または卵の形。

(2)円の形は花(薔薇、水蓮-サンスクリット語ではパドマ)あるいは円として描かれること

(3)中心は太陽・星・十字形によって表現され、たいていは4本、8本ないし12本の光線を放っている。

(4)円、球、十字型しばしば回転しているもの卍として描かれる。

(5)円は中心を取り巻く蛇によって、円状に(ウロボロス)または渦巻状に(オルフェウスの卵)が描かれる。

(6)四角と円の組み合わせ。すなわち四角の中の円、またはその反対。

(7)四角または円形の城・町・中庭(聖域)

(8)眼(瞳孔や虹彩)

(9)四角の形姿のほかに、きわめて稀ではあるが、三角や五角の形姿が現れる。それは以下に見るように、「歪んだ」全体像と考えられる。

(個性化とマンダラから引用 C・G・ユング著 p185)



宇宙卵とはユング心理学でも見られるように、人間の心理的なものを表す時に円ないし、卵形の形を描く傾向があるということが出ている。これはキースラーはこの建築は人工の宇宙卵であるといった言動は人間の潜在的なもの、心を建築に表したかったということなのだろう。またキースラーの弟子である山口勝弘はキースラーはエンドレスハウスを神秘的なもの、宗教的なものとして捉えているのではなくて、機能的なもの、実際に住まうことを考えて考えているといっている点からも、宇宙卵という概念もまた、人間の心を建築に投影するといった意味で語ったのかもしれない。

次にエンドレスハウスの図面を見てみよう。


エンドレスハウスのリビングルームに建築の中心性を現す蜀台が設置されている。
これもまた、人間は中心性を((2)の3.太陽と人間)星や太陽の象徴性で語ったとうり、一概には言えないが円ないし太陽に近い形態で表す性質があるという。
キースラーが語ったとうりにこの建築は人工の宇宙であってその中心性として蜀台を置き、火を灯すというならば、この蜀台は人間の心理学における太陽の象徴性を表しているのではないだろうか。このように心理学的にこの現実社会では非機能的ともいえるキースラーの言動もまた、意味のないものとはいえないようである。







キースラーのエンドレスハウスに限らず、人間は誰でも、どんな人種でも、どんな文化でも潜在的な意識の中に、また神秘性を形作る時に、円や楕円を描く性質がある可能性が高い。

バウハウスに見られる機能主義、合理主義における建築においては円や楕円は近代建築には不経済なもの、不合理なものとして扱われていたということを私は切実に感じる。

しかし、今一度考える必要性がある。人間の中に神秘性感じ、または心理療法において円や楕円は良いものとされているのは事実である。

円や楕円状のものが人間の無意識的なものとして人間に必要なものであるならば、キースラーのエンドレスハウスの形態をキワモノとして扱うのではなく、住居形態や都市計画として具体的に取り上げるべきである。

アドルフ・ロースの言う装飾というものも人間にとって必要なものであるからこそ、存在していたわけであって、パプア人を装飾をしているからといって否定するのは少し違う。

古代の装飾ではとくに円や楕円というものを使って人間が自分を魅せる為などに利用している。この装飾においても、宗教建築においても、円や楕円は必要不可欠なものとして存在しているのである。


そして一度建築とは何かということをこの論文を通して理解していただけたら光栄である。










円や楕円の建築のメリット


1.円や楕円は照明において有利である。


2.音響においてもミュージアムなどでは有利である。


3.心理療法に適している。


4.人間は丸いものや卵型のものに愛着、または安らぎを感じる。


円や楕円の建築のデメリット


1.規格化された四角い家具や建築設備などを利用することが難しい。


2.四角や直線の建築よりも施工費がかかる。


3.円や楕円の形態を持つ部材の規格化、工業化を行うことが重要である。













(3)直線と直角の皮肉

1.はじめに
2.直線と直角の期限
3.直線なるもの























1.始めに

直線とは何か?直角と何か?そうそれは私たちの日常に当たり前にあるもの。全ての人々にとって当たり前の事物となっている。日常における考えや、効率性や合理性はこの二つのものに支えられているとも言える。しかし、今この合理性と、効率性というおきまりの言葉を再度考える為にも直線と直角の起源を探っていきたいと思う。建築家にとっても、工場主にとっても、そして人々に一般の人々にとっても必ずといっていいほど直線は使われている。そして直角も同じである。この論文では建築における直線や直角だけでなく、私たちに当たり前にある物質や事象、または歴史を用いてこれらを語っていきたい。

これはこの論文を作るに至ったことを語ろうと思うが、私が少しおかしな者なのかも知れぬがずっと社会の常識に疑問を持っていた。
何故、人は人であらねばならない?
何故、人間は生きている?
何故、人間は恋する?
何故、狭い事象の中で生きているのか?
この絶え間なく続く何故は私の事象の中で何ものにも変えられぬほどこれらの探求をほっしていた。

そして私は建築家である。そして今はまだ建築を建てぬ建築家である。そしてまだ旅をしておらぬ

この論文は本の中、狭い日本という国だけの中で研究した結果を語るが、この論文はこれで終わりではない、私が旅をして建築家として独立し、建築を手がけるようになってからこの論文を再度書こうと思っている。

そして本当に建築にとって何が必要で、何が不必要なのか?

建築とは何か?

この雲を追うようなことが少しでも梯子のような役割を持つことが出来たら光栄である。

そして本当に建築は機械でありえるのだろうか?




2.直線と直角の起源

そもそも直線や直角というものは何処から起こったのであろうか?
ルネサンスの頃からもちろんあったし、ギリシャの時代からもあったし、ミケナイやティリュンスにおける先史時代にもあったし、エジプト、メソポタミア文明からもあった。直線というものは数学手法から始まったとされる。人間が生きていく上で、移動をし狩猟していくことから始まり、そしてその土地に在住してから農耕していく中で、経済社会が出来、効率性を持つ中で直線や直角というものは必要なものとして必然的に現れた。

直線というものは建築にとって必要なものであることは確かであるが、どういうものをここでは直線というのだろうか?

直線と直角とは合理化、数学的手法により生まれたもの。

そしてモダニズム建築の原点とも言えるもの。

かのモダニズムにおける巨匠、ル・コルビジェは建築において新たな建築手法、ドミノシステムを提案し、建築において壁で支えるのではなく、柱と梁で支えることにより、この建築のあり方を追求した。そして建築を機械と唱えることにより、建築の規格化、合理化を提唱し、直線や直角はその建築においての主役として扱われるようになり、今、私たちにとって一般的、常識的なものとして扱われている。

これら2つのものを歴史的観点から述べてみようと思う。

まず数学手法、これが第一に考えられる。

近代化、合理化を考える上で数学的考えというものは非常に重要になってくる。

1+1は2なわけであって、3になることはない。

そして建築で考えると、合理的なものや経済的なものは1+1は2というような考えがふさわしいのは一般論である。またベルナール・チュミなどは機能主義を完璧に否定する考えなどを持っているし、アントニオ・ガウディなども合理主義とはかけ離れている建築家であるが建築においてはまぁ、合理性を考えた上では1+1は2的なものが好ましい。

合理性や経済性が示すものは何か?

それは四角である。四角は煉瓦を積むときでも、構造体を考える時も簡単である。柱と梁の構造は古くから私たちの周りに存在しているが、中でも橋などは木が倒れればそれは橋となり、そこが崖であれば柱と梁の構造体となる。そしてこの基本的なものは四角をもってすればさらに安全なものとなる。そして自然の有機体は人間にとって合理性を考えると不都合なものとなり、四角が規格化、合理化され、様々な様式を経て、近代建築、モダニズムへと路を遂げた。

合理性だけを考えると直線や直角というものは非常に重要なものとなるが、建築家にとって建築はなんであるか、それは人に住みよいものを提供するものであるのは間違いない。

しかし、コルビジェらが近代建築運動によって規格化、合理化された建築に建築の未来はあるのだろうか?確かにガウディの言うような、建築は神が創ったのだからそれに従わなくてはならないというのは合理化や経済性を考えるとかけ離れている。だからこそ、この新古典主義が衰え、モダニズム期が全盛になろうとしていた時代のガウディは異端児として見られ、偉大なる巨匠であるにも関わらず、さげすまれてきた感がある。もし建築様式がインターナショナルスタイルではなくて、地域主義を含む、ヴェルフリンが言うような自然主義でに近い様式であったならば、ガウディは世界中で尊敬され、コルビジェらが異端の存在になっていたかも知れぬ。

今、建築は変わろうとしている、そして、新たな時代がやってくる。

建築におけるモダニズムは終わり、ガウディのような円や楕円形態、そして直線と直角を融合させた建築となるはずである。そして前の論文で私はフレデリック・キースラーについてユング心理学をとうしてキースラーの建築論の解明を行ったところ、円や楕円形態、特に楕円では卵形の形が、人間の感情を表現しているものではないかというものを研究した。

そもそも抽象芸術などは人間の感情を表したものといわれている。

そして私自身も自分の感情を表す時に円や楕円を多用する。

抽象主義の絵画、またはデッサンを私は感情の赴くままに描く、時に建築は感情のままに描きすぎると、機能をもたなくなり、その正当な理由性がなくなるため、返答する時に良い言葉が見つからない時がある。しかし、それが人間の感情の表現として、どんな人物でも感情を表現する時に直線や直角よりむしろ円や楕円形態を描くのであれば、建築形態もまたそのような形態を利用するべきなのではないかと感じる。

建築は変容する!

個体から液体、そして気体へ変わるだろう。

自由な造形、自由な形、自由な機能、そして感情を抱くものへ!!

建築とは人間の感情を表すものでなくてはならない、

何も感じぬ機能だけの箱型の建築は終わりを告げるであろう。

そしてコルビジェは偉大だ、この箱の建築に世の中が当たり前になる内に、自らの建築理論を覆してまで、未来への建築へのテーゼとしてロンシャンを描いたのである。

コルビジェはきっと建築の未来への言葉としてこれを描いたのだと私は感じた。そしてこのロンシャン教会とキースラーのエンドレスハウスに私は建築の未来像を感じた

しかし、一方でこの私の未来への建築の推測は私の生きている間では、全ての形態が感情を司るものへと変容するには、まだ多大な壁がるのも事実であるし、建築思潮で自然主義的な考えがもてはやされているが直線や直角というものはこれらとうまく調和して、均等に使われるという時代が来るはずである。直線と直角、そして円や楕円形態の調和こそがこれからの社会に求められているのである。

建築は箱ではならない。

建築は感情を表すものでなければならない。

わたしはまだ建築を建てぬ建築家である。しかし、建築家として生きると決めた上で、事務所を構えた、といっても、今はまだ仕事も来ぬ、意味のない木馬のおもちゃのようなものである。そして執筆をもってして、自らの建築論を語っていこうと思っている。

建築はなんであるか?

解らぬ、しっかりと理解しようとしても本当に正しい答えを導きだそうとしても人間の寿命ではそれらを導き出すことは難しいのは事実である。しかし、私は自分の信念を曲げぬ建築家になりたいと考えている。強情かもしれぬが、これらの信念と忍耐と行動力こそが建築家にとって一番必要なものであると思っている。私は自分の真理が世界中の真理であるということを考えてこの論文を書いている。

直線や直角に使われる建築物はモダニズム建築と一般に言われている。これはミースのファンズワース邸やシーグラムビルなどモダニズム建築を代表するものとして挙がるが、ミースはこの直線と直角を極限なまでに結晶化し、そして美しいデザインとして利用した偉大な建築家である。

モダニズムといえばバウハウスという建築学校が出てくるがこれは近代建築の最先端的なものを世界中に広めた場所として素晴らしいところである。

様々な建築家はここで学びまたは教え、それらのバウハウスの思想が世界中に広まっていった。そうそれはインターナショナルスタイルと呼ばれ、世界中に普及していった。

また、これらの普及は社会情勢が関係していると考えられる。

アメリカの経済恐慌、第一次世界大戦、第二次世界大戦、らが重要なまでにこれらの建築思想、建築思潮に関係している。

建築家はこれらの社会を読んだ上でバウハウスを開いたのであった。いやバウハウスがないとしてもモダニズムは花開いたであろうと考えられる。

しかし、時代は変わったのだ。大戦はない平和な時代へとなった。

そして日本にいる私は名に不自由のない生活をしている。これは私だけではなく日本人全体が経済格差はあるとしても一般にいう、パンを食うには困らないのである。

日本だけではなく世界が平和な時代へとなりつつある、しかし一方ではまた資本主義との格差により、内戦や紛争が絶え間なく続いているのは理解できるが、一方で大国同士が戦争を起こすようなことはなくなったのである。

平和な社会となり、機能主義、経済主義を考えるだけでは、建築はあるべき姿ではなくなってきた。建築は変容するのではなく、変わるべくして変わるのである。幼虫からさなぎへ変わり、蝶へ変わるようにして建築もまた社会に反映して変わらなくてはならない!!





私はフレデリック・キースラーを研究することによって彼の大いなる考えを理解した。人間の潜在的な意識をも含みうる建築を彼は求め続け生涯戦い続けた。この偉大なる建築家は社会的に見れば、モダニズムに勝てずに終わってしまったかもしれないがその建築理論は神秘的というよりも、機能主義的な考えがある。

人間の潜在的な意識とは感情のことである。例えば、建築に入った時に、理屈では表せないような感動をもたらすことがある。これが感情の一部である。真たる建築はこれらを十分に持ち合わせていないといけないのである。

これから書くのは私の建築思想でもあり、これから建築家として戦い続けるものとしてよりよい社会を目指すことを誓う。

人間が心安らげる建築を目指して私は生涯闘い続けようと思う。








3.直線というもの


交差点と連なる町並みで使われる直線

交通路でも、連なる町並みでも直線は使用される。

しかしどうだろう?

人間が作り出すもの意外にこれらは使用されるであろうか?

水平線でも直線のように見えて丸みを少し帯びているし、木や植物などはこれら直線は使っているだろうか?人間の視覚から見れば使われていないことに気がつくはずだ。



しかし、原子レベルで見るとこれらはまた違ってくる。

例えば水はHが2個とOが一個で成り立っている。





(A)、(B)の構造式を見れば、原始のレベルでは直線が使われている。これは間違いない事実である。

建築家にとって、人にとっては建築は視覚のレベルで考えた時にはこの原始レベルの直線と言うものは決して見ることができないものである。

建築は人間の為のものであるならば、視覚で見ることの出来ない直線、自然界に見ることがでいない直線は人間が合理化、経済性を考えて生み出したものであり、原始の法則に従って必然的に生み出されたものであると考えられる。

しかしわたしは直線と直角というものに疑問を持っているのは事実である。直線や四角に人間の心安らぐ建築はできるのであろうかと私はいいたい。

しかし、人間が心安らぐ建築に直線や直角は関与しているのだろうか?

本当に幸せといえる、心にとって落ち着きを与える空間を生み出すにはどうしたらよいのか?

ある建築家は言う。「直線に神は宿らない」と。

またバルセロナの建築家は「自然は神が作ったのだから建築はそれに従わなくてはならない」
と言った。

ここでは2人とも神を述べている。直線や楕円を求めない建築家は神の存在を信じている人物が多い。

直線は合理性と経済性がもたらした人間の為の機械である。
しかしまた人間の為の機械は人間にとって非常に重要である。
合理性を考えた時に楕円形態というものは建設業者からしたら意味嫌われるものである。しかし一方でこれらの不合理性を解決できればどうだろうか?

もしこの自然界で使われる形態が規格化、合理化できるものだとしたら建築の世界は変わるのではないだろうか?

今日私たちの町並みは直線と直角、または鋭角なものが支配している世の中である。しかし、万が一人間の心を表すものが円や楕円形態として形成されるろいうならば、建築の形態もまた箱ではなくて、円や楕円形態の自然界に見られる形態へ変容するべきである。

しかしここで経済性という問題が発生する。これらの自然形態は非常にコストがかかる。これらの問題は建築様式の形成に多大な影響をもたらす。
































(4)人間の本能、そして建築

1.本能なるもの
2.光
3.経済
4.宗教なるもの
5.富なるもの、貧めるもの
6.本能の建築

















1.本能なるもの

建築の世界は人間の視覚から見出されるもの、都市も風景も山も海も丘も全ては全ては人間の目線から放たれている世界である。

建築を創造するということは社会を創造することである。

人間の内なる感情、そう精神世界なるものは夢の世界や人間の無意識といった潜在的なものへと変換するものである。

建築は社会を映し出すと同時に人間の心を表すものでなくてはならない。

そして美しさとは何か?それは人間の視覚が映し出すものである。人間が五感によって感じる世界こそが建築の世界なるものであり、他なる生物とってはまた違う世界となるのである。

建築は人のために創造するのであって他なるもののことを考えて創造するというのもまた、人間の本能ともいうものが働いているのである。それは慈愛の本能でもある。

全て行き着く先は人間による人間の為の建築こそが建築にとってもっともふさわしい姿なのである。

かの有名な近代建築は確かに人間にとって利益をもたらすものであった。

特に経済性という点を考えればそれらはすばらしいものを生み出したのである。

そして規律や厳格さを考えれば、パルテノンがごとくきらびやかさを与えた。

それは1900年代初頭の話である・・・・・

建築にとって社会を描くことは頭の中で考えることはあっても行動するということは実は簡単なようで難しいことなのである。

有名な言葉がある。

「建築は社会を写し出す鏡である。」  ミース・ファン・デル・ローエ 建築家
そう建築は社会性や歴史などから逸脱するものではけっしてありえないということをいっておきたい。どんなに創造性豊かであって誰も考えないようなことを行ったとしてもその人物の独創は夢の構造であるかのごとく、諸所たる現実の産物のパーツを集まって形成されるものである。であるからして、現実の自然の摂理、または社会の構図などを考えていないものは全くもってないと言える。どんな創造も現実の世界で起こるものである。ニュートンもアインシュタインも、現実世界のパーツから新たな創造を生み出したのである。従って社会性や歴史性を完璧に無視するということは完全にありえない世界なのである。

ミースのいったこの言葉は建築というものを切実に表現しているものと言える。

そして社会に選ばれるべき形で、近代建築、モダニズムなるものは世界中に普及していった。

そして直角の詩のごとく、軽やかなメロディのように近代建築の螺旋は広まっていった。

建築は社会性を生み出すものであるというのと同時に、人間の本能に忠実でいなくては建築を創造するということは自然の摂理に歯向かうということをなしているのである。

人間の本能は3大欲求、睡眠欲、食欲、性欲で基本構成をされている。そして支配欲、社会欲、や慈愛に対する欲求などで人間は構成されているのである。ちなみに私は睡眠欲と社会欲や慈愛に対する欲求が強いといえる。24時間ある一日の中で人と言うものはこれらの欲求のもとに生活しているのである。

建築は日本で言う、衣、食、住の中で住と呼ばれるものであるが、このことからも建築というものは人にとって重要な位置を占めているのである。これらのことを考えた上でも建築家は自らを厳しい眼で見る客観的な思考が必要である。

住はどこにでもあるものであると言える。基本、人間は住がない限り生活するということはありえない、衣服を着ないということもありえないし、ましてや食べるということをしない限り、生きてはいけないのである。そして睡眠をするのも住居が必要でもあり、愛を確かめ合うのも住居なくしてはありえないのである。


使いやすさ、そして経済性といったものは建築からとってはきっては離せないものである。

建築家はこれらを考えて創造しなければならない。
本能のままに生きるということは現代社会の人間にとってありえない。

理性なくして人間形成、社会形成は成り立たないのである。

そして理性とは人間にとっての工業をつかさどるもの、

知識、または抑制、そして法のもとにある権力などによる、人間の本能の抑制!!

そして直線や視覚は人間の理性とも言える産物である。

近代建築にとって直線や直角といったものは空間を構成するものとして普遍なるものとなっている。そして直線や直角は工業化、規格化を生み、社会において経済性、合理性という産物を生んだのである。これはすばらしい建築革命であるとえよう。

しかし、人間は動物であるということもまた事実なのである。

そしてこの欲というものによって人間が縛られている限り、(またこれらがないものはすぐに死に絶えているのだが・・・)

そして理性とともにある本能を司ることが人間にとって最も必要な建築なのである。

理性の建築革命から本能の建築革命へ!!

理性とまさに感情を統合する建築こそが建築の新たな姿なのである。

そして本能をあらわすものとは何か?

それは抽象芸術にその姿のヒントが隠されているといえよう。そして仏教に見られる曼荼羅といった形態にもこれらの潜在的なものが隠されている。

建築には隠されたものが未だに発見されるまま残っている。そして従来の近代建築のルートからはこれらは見つかりはしなかった。
私はずっと建築を独学で模索してきた。そして自らの強き意志とブルファイターのごとく闘いを挑むことによって建築の新たな道を切り開きはじめたのである。そして新たな道を開拓していこうと思っている。
私は理性を近代建築に例えてこの著述を行って生きたいが、感情を表すものとは何か?

それは先にも述べたように曼荼羅や抽象芸術にそれらが隠されている。

抽象芸術は人間の心を表現するものといわれている。これはヴォリンゲル著の抽象と感情で語られている。

抽象芸術は根本的な人間の生、人間の感情を表すものであるといわれている。

そして曼荼羅、これはサンスクリット語であり、インド語の中のひとつであるが

曼荼羅は仏教にとって重要な位置を占めるものである。

仏像の後光を指すもの、仏像の後ろにある円形のものやまたは天井に壁画として描かれる場合やまたは都市計画として使われるものなど、様々な場所で曼荼羅は使用されている。

そして曼荼羅は医学療法でも使用されているが、この曼荼羅の性質もまた抽象芸術と同じように建築に使用されているものなのである。


曼荼羅 インド



曼荼羅 チベット

また、これらは人間の潜在的な意識を表している。そして建築にとっても特に円というものは美しいものとして見られているのも事実である。また、曼荼羅というものはアジアだけのものではない。欧州ではアミアン大聖堂に見られるバラ窓も曼荼羅と一部として考えられる。かの有名なユングは曼荼羅に見られる形態を人間の心を表すものなのではないかということを示している。

人間の感情を曼荼羅というものが表しているならば、この円というものは建築にとっても重要なメソッドであるということを示している。上部のチベットの曼荼羅は円の中に人間の欲望と、また、外側に地獄の業火を表現しているものである。これらからは人間の欲望渦巻く社会が描写されているといえよう。

ほかにも曼荼羅というものは様々な形で発見されている。

そしてユングが曼荼羅について調べたところ、以下のような結果が出ている。
ユング心理学のマンダラをとうしての結果

(1)円ないし球、または卵の形。

(2)円の形は花(薔薇、水蓮-サンスクリット語ではパドマ)あるいは円として描かれること

(3)中心は太陽・星・十字形によって表現され、たいていは4本、8本ないし12本の光線を放っている。

(4)円、球、十字型しばしば回転しているもの卍として描かれる。

(5)円は中心を取り巻く蛇によって、円状に(ウロボロス)または渦巻状に(オルフェウスの卵)が描かれる。

(6)四角と円の組み合わせ。すなわち四角の中の円、またはその反対。

(7)四角または円形の城・町・中庭(聖域)

(8)眼(瞳孔や虹彩)

(9)四角の形姿のほかに、きわめて稀ではあるが、三角や五角の形姿が現れる。それは以下に見るように、「歪んだ」全体像と考えられる。

(個性化とマンダラから引用 C・G・ユング著 p185)
このようにして建築に見られる曼荼羅もまたこれらの条件からなっているものといえる。

また、これらの結果はユングが50人の被験者に自分の心の絵画を表現することによって発覚したものである。

まさに曼荼羅は人間の心を表現しているのである。

ユングやヴォリンゲルの言うようにこれら二つの事象は人間の心、本能とも言えるものを視覚の中にあらわしたものなのである。

わたしは一つの実験方住居を提案する。

経済性、合理性も確保しつつ、人間の精神と理性をも含みうる建築、新たなる建築を・・・・

パルテノン神殿に広がる青い空に私は建築の新たな姿を見たのである。

自由な空、そして無限に広がる雲・・・

風のように軽やかに動く建築、

そして規律と均等の調和がなされた建築の新たな定義を

建築の軽やかな流れはパルテノンだけではなく、私たち、世界中の人間を包み込む、

時に激しく、時にやさしく、そして夕焼けの美しさを教えてくれる空に建築の新たな世界が待っているのである。

建築は今、機械時代からそれらを超越しようとする時代にいる。

機械時代、そして生命の時代への変容期、ルネサンスからバロックへと変わる時代に似たまさにマニエリスム的な時代から新しい時代への変容期にいるのである。

しかしまた、この第二次建築革命期は数代に渡って続くことであろう。生時代へ変換するのはまだ近代建築以前に技術的な問題が多々あるのである。

わたしもこの技術的な問題を取り組んで行こうと思うが、この問題解決は非常に困難であるということを行っておこう。

しかし人間は創造するものであれば現実に成すことができるのであるから信念を持ち闘い続けていれば必ず成し遂げられると信じている・・・

本能をつかさどり、そして眼前たる人間の理性を含みたる建築をここに記していきたい。

次のものはひとつの実験的なものである。
以下のものは可変可能な部材からなされる無限の機能の提案である。

これら建築システムをインフィニティと呼ぶ、これはミースのユニバーサルスペースとはまったく違う観点から構築されている。ドミノシステムにより柱と梁の構成が形成され、近代建築に多大な影響をもたらした。そして自由な間取りを形成することを可能にした。しかし、一方で一度決定された間取りを変化させることは非常に難しいし、可能ではあるが資金がいるのが現実である。

そしてユニバーサルスペースはこれらの間取りといったものをまったくといっていいほど排除することによって年代が変わっても使えるという、普遍なる空間をユニバーサルスペースはもたらしたのである。その中でless is more という名言をもたらした。少ないものはより良いことである。

インフィニティは機能的なもの移動が不可能であると一般に言われているものである。水周り、配線等にも従来の固定されるというものを排除するものとなっている。固定されるのではなく、オープンシステムを採用することによってスラブの下に配線や水周りを全て収納し、いつでも好きなときに好きな場所に水周りを指定できるということ考えて使用されている。

機能は固定されるのではなく、いつ何どきも自由に変化する、そして建築は液体のようになる。

機能革命。そして自由な空間の形成がなされるのである。

自由な機能、自由な空間、自由な光をもつ建築こそが新たな近代建築の姿である。
そして人間の本能をも含みうる建築、これが新たな建築の姿になる。

そして本能を考えたもの、人間が動物の頃にあった洞窟、自然への回帰、これは現在の建築家である伊東豊雄などがこれらを行っている。しかし、固定された自然形態というものは、建築にとって不自然さを生み出すのである。それは経済や合理といったものが関係してきてしまう。

ある非線形で、鋭角な建築(国際フォーラム)は芸術として考えればすばらしいものといえるのかもしれない。しかし、一方で機能の不便さを訴えられるのである。機能および、不便さによって住民から督促状がくるであろう。

自然形態を考えたとき、不合理や機能性を考えなくてはならない。それがなければ普遍なる建築としては左右されなくなるであろう。精神と合理性を融合させるということは、経済、コストの上昇を抑えることなくしては成り立たないのである。

しかし建築は本能だけでは成り立たぬ。建築は総合芸術なのである。

本能のままに従う建築は住宅としてはむいてはいない。だが美術館やある特定のものとしては役に立つであろう。A・ポルトマンの言うように7000人のコミュニティに1つそのようなシンボル的なものがあったほうがよいのである。

周辺環境に準じないものは確かに畏敬の念を人々に与えるかもしれない。しかしまた際立って周辺環境と異なるものは人に興味をもたらすものとなるのである。興味を持たすことは人を集める効果をもたらす。まさに例に出すとゲーリーのグッゲンハイム美術館などはまさにこれの成功例であるが、人間は少なからず何かしらのストレスがないと生きていけないのも事実である。

ある人物は言う。東京は混乱した町並みであり、ヨーロッパにおける調和がある町並みがふさわしい。奇抜なものはいらぬ。・・・そこにいたる不思議。

ある人は言う。こんな混沌とかした町並み、ラビリンス的な都市はすばらしい。

個々にいたる諸意見。ありがとうございます。

しかし、刺激あるだけがふさわしいわけではなく、また刺激ないだけではまた不可なのである。

必要最低限、都市に必要な要素を伴うものこそ都市は輝きを増すのである。

人間の価値観は経済、機能性、合理性などに特に開発者、デベロッパーは重きをおくものである。建築を創造するということはそれらも含むのは当然であるが、人間の本能的なものを含まなくてはならない。都市を作るというのは人間を創造することと同義ともいっていい。

本能という人間の生の為の欲求を満たす都市のあり方を模索することこそが建築家にとって必要なことであり、次代の社会に適応すべき建築なのである。

現在は多様な時代、情報化社会である。情報を辿っていけば上には上がいるということを思い知らされる。しかも、自邸の床の上で少しウェブを見るだけでそれを理解してしまうのであるからすえ恐ろしく感じる。

しかしまたこの多様な情報化社会であっても人間の普遍なる意思、変わらぬものというものは絶対的にあるのも事実である。

建築は社会を映し出す鏡であり、そして本能を満たさなくてはならない。

















2.光

建築創造において芸術と建築を別のものとして考えるのではなく、今一度ひとつのものとして考えるべきである。コルビュジェの死後建てられたフェルミニの教会というものは特に重要視すべきなのが光がもたらす空間である。天井からくる2つの光は円と四角の2光である。これは男と女性をあらわしているように推測できる。これはコルビュジェの墓でも表現されていることからこの可能性は高い。コルビュジェが四角、妻のイヴォンヌが円の墓に眠っている。

光を創造するべき才能は天から与えられた天撫の才である。
凄然たる光を操る建築家は人間の潜在的な本能を満たす崇高なる建築家であるといっていい。

これをもっている人間は世に言う大建築家たる素質を持っている人間である。
ルイス・カーンの創造的光に支配された建築は、建築の崇高な理念を再現したものである。
光の織り成す崇芸たる建築。

光とは人間が視覚より認識するものである。可視光は電磁波であり、人間の見える電磁波は380~780mの範囲のものである。他は紫外線や赤外線と呼ばれるものである。

光がないと人間は実社会の物体や現象を認識することができなくなる。

視覚から情報を得るというのは7割がこれを占めるという。

光なくして美しき夕日も、美しき女性の裸体もながめることなどはできはしないのである。

建築家は光を創造する非常に崇高たる職能である。が・・・

実際には光を操れている建築家はごく一部しかいない。

この光の才能なくして建築を創造したとしても落胆する建築ができるばかりである。

これは非常に由々しきことであると感じる。

特に日本において設計の資格を持っているものは非常に多い。

この嘆かわしい自体は改正されるべきである。
建築創造において大事なことは美しい、人間にとってすばらしいと言える普遍なる要素を持っていなくてはならない。

建築社会における諸意見の数々、人間の価値観は近代において違うのだから光の美しさについても違ってくる・・・

確かにそうであるが、近代科学においても自然の世界は絶対に変えられない規律があるのと同時に、人間の美についても絶対に変えられないものがあるのである。都市計画家のケヴィン・リンチは都市のイメージとして社会を一般の人から見た、諸所の意見をもとにして研究したところ、人間の認識するものにおいて共通する項目がいくつか出てきたという。例えば、マンハッタンの都市計画を見れば碁盤の目のように区画されていることが分かるが、これは自動車の効率的な移動などをもたらすことができるが、しかし一方であまりにも均一化しすぎることによって一般の住人から見たら、地元民であれば迷うことはないが、新参者などは都市にシンボルとなるようなもの、道の目印となるようなものがない為に道を迷うというケースがあるという。

均質化したもの、まさに均質化した光というものは普遍なるものを生み出すと同時に合理化、材料の経済効率といったものを生み出す。

しかし一方でまたある程度刺激をもたらすようなものがなくてはいけないのも事実である。

美においても美しいと呼ばれるものは普遍的なものと同時に、そこに住まう人々や、その諸地域の価値観などを知ったうえで模索しなくてはならない。

光において参考にしたいのがシトー修道会が作った建築、ル・トロネである。このヨーロッパで作られた修道院はル・コルビジュエ、ルイス・カーンなど様々な巨匠が言語においても建築においても多様しているものである。

ル・トロネの生み出す、光の空間はまさに建築造形において、機能以外のことを考えるならば、もっとも美しい建築であるといえる。また、ル・コルビュジェ設計のロンシャン教会などはル・トロネを参考にしていると考えられる。

ビサンチン時代のキリスト教の閉鎖的な流れがこのような暗闇の中に漏れ出す、美しい建築を作り出すことができたのであろう。

特に20世紀初頭の近代建築家にとってこの建築は質素な外観をとってしてもモダニズム、近代建築の崇高たる流れをもたらすのであろう。

ル・トロネ シトー修道会



光のおりなす建築は崇高なる建築である。また色彩の実験等によっても普遍なる光のバランスなどが発見されているのも確かである。調和を生み出す青と白、対比を生み出す白と黒、または赤と青などは実験等により証明されているものである。建築はこの限られた色彩の中で形成されるものであるが、色の使い方によって様々に変化する。赤と白と青などはホラー映画のゾンビなどのい多々使われる。これは人間にとって死者のイメージが青みを帯びて血反吐を吐いているという普遍なるイメージがあるからである。このように原始の頃から記憶はないにしても遺伝子の記憶は確実にあるわけであって、青と白がバランスが良いとされるのは、人間がホモサピエンスの頃からある大空が関係しているといえよう。また象徴性として円が美しい形として使われるのも、人間にとって太陽や星空といった古代からある神秘的なものは全て円で構成されているからであるということは人類にとって普遍なる価値を生み出す要因とも言える。

また建築だけでなく、美においても人間の美について出せば分かりやすいと思う。

人間は男と女に分かれる。これは動物が種を残すための自然の摂理でもある。

男にとって重要なことは男は女の価値観を視覚という点で見出すことが多い。

半分が視覚、そしてまた半分が匂いである。なぜ匂いになるかというと、人間の遺伝子形態が匂いにより把握するという事実があるからである。また視覚が半分であるというのは男は女に良い子孫を残せるかというのを判断するために視覚から入るのである。

そしてまた女は男に匂いと権力や地位をもとめる。これは男の強さが社会的な地位に反映されるからである。また経済力があるということはよりよい子孫が安全に残せるといった点で有利であるからである。こういった点からも人間の本能的な意味で普遍なる価値観はあるのである。

そして光の美しさにおいても普遍なる価値をもつもの、本能がおりなす共通の美しさというものは存在するのである。

建築は社会を映し出す鏡であると同時にその鏡はまた、夕焼けのように美しいものでなくてはならない。

イクティノスによるパルテノンの美しき均等と調和、ファンズワースに見られる規律、ル・トロネに見られる光のフォルム、キンベルに見られる厳格さ、そして美しき建築は光において祝福を受けているものである。

私は本能の赴くまま、建築を独学で勉強している。

大学というものに所属していながらも、ほぼ大学では勉強せずに、コルビュジェやガウディや安藤忠雄の生き方に憧れて、独学で建築を学んできた。

独学のつらいのは正しいのかが分からないことと、何よりも一人である。孤独であるということ、人のやったことのないことなのだから、普通の人が考えないようなことを生み出せる。

結果的に独創性というものを生み出すのだが、一方で、闘い続けなければいけないというのが必然的に生まれてくることである。

私は建築を独学で勉強しているが、建築を学び始める人に独学は薦めない。

こんなにきついものであるとは考えもしなかったからである。

もう遅いのでルビコン川を渡るごとく闘い続けるしかない。

闘わなくして自らの意思も、そして社会との対話も続けるというはありえないということをいいたいのである。

自らの未来を切り開いていくのはやはり自分なのである。

誰かに何かを言われてあきらめているような軟い意思では社会の荒波に打ち勝つことはできない。

















3.経済

経済・・・富と貧を象徴するものであるし、社会において人間になくてはならないものである。

経済は建築家だけではなく、全ての人類に共通して重要な事項であるということは免れない、そして経済を持つもの、富をもつものは人間の世界において様々なものを手にすることができる。

経済大国日本において経済を考えるということは近代的な日本人の文化であったといってもいい。

「欧米に追いつけ、追い越せ」とスローガンを掲げた明治以降の日本の社会は世界大戦や戦後の高度成長期をもとにして経済の発展を重視して建築が建造された結果、東京という町並み、そして日本という町並みは江戸の町並みとは打って変わり、コンクリートや鉄やガラス、工業化、規格化された町並みへ変化した。

しかし、都市計画の調和など、バランスを考えるよりも経済成長を考えすぎた結果、都市の町並みはラビリンス的な都市へと変容してしまったのである。

それだけ人間をとりこにする経済、金という人間が物渉の為に生み出したものは人間の欲望なるものの最上位を位置することを表している。

建築家は個性なくしては成り立たないと私は思うが、個性が強すぎると、だいたいの作品が経済性を完璧に無視した作品になる。

その独創的な建築自体が実験的なものであればいいかもしれない、また人の集客を最大の目的にするものであれば、多少の建設費用がかかったとしても建築として成り立つであろうが、住宅においてそれをやりすぎると、まさに個人規模のラビリンスを生み出すこととなる。

私においては個人的にラビリンス的な東京が好きである。と、このように人によっても価値観はまばらである。


建築は社会を生み出すものの生き写しであるから、美しさだけではなくて、調和だけではなくて、経済性を考えていかなくては、人々の為になるものとは言いがたいだろう。

経済を重要視するということは結果的に個々の人の財政的な心の富を生み出すのである。

特に社会において不動産の価値、日本においての価値はやはりシンプルモダンなるものが高い価値を生み出している。そして軽くて滑らかなファッション的な建築を言えるものが近年の建築で流行あいているものであろう。

これらの流れの建築をそつなく作るこができれば市場の建築の価値はその建築を価値の高いものとして評価されることであろう。

経済の運用の効率の高いものとして例えば間取りにおいて玄関をすぐに出て、広がりを持つ住宅の方が売買契約において行い易いという事実もある。

また奇抜性、を持つ空間というのは大抵が建築の施工において困難が予想されることや、また伊東豊雄に見られるもの、ガウディに見られる建築形態は非常に建築においてのコストを生み出す。直線よりも自然形態的なもの、スプロールされる形態の方が人間にとっては行い易いが、機械において大量生産する、合理化を求めることを考えると非常に扱いづらいという事実がある。

また有機的な形態、特にHPシェルなどで構成される建築は従来のコンクリート建築と比べて、施工費が高いのもこれらが普遍なるものとして普及されることへの妨げへとなっている。

事実ガウディは思想や建築に対する考えは建築で合理的なものがあるが、経済性を考えた上では非常に扱いづらいものであるといえる。

自然は神が創ったのだからそれらに従わなくてはならない

という思想は共感を持てるが、視覚だけを考えるだけでは建築にとって果たして合理的なものと言えるかは疑問になってくるところがある。

建築家は様々な要因を考慮して建築創造を行わなくてはならない。
しかし、ガウディの果たした功績は非常にすばらしいものであるといえる。

わたしは尊敬する建築家にガウディを必ず挙げるし、コルビュジェと同じように尊敬すべき存在である。

自然形態の一番の問題は施工費に関するものである。これらを解決することができれば建築の世界は変容するようになるとわたしは思っている。

経済発展の中で犠牲となるもの、それは人間の感情なるもの、抽象芸術に見られるものである。

人間を機械なしに考えてみると人間は自然界を同じスプロール的な面を持つ生き物である。

経済偏重によってもたらすものは工業化、規格化された部材による均質な空間、直線と直角の支配する世界である。

規格化された工業寸法からは規格化された建築、建築空間をもたらすであるだろう。

しかしまた人間は様々な個があるように、均質された空間もまた必要であるが、また様々に対応するものでなくてはならぬ。

建築創造において一方で個を偏重しすぎると経済は反するものとしてあなたに帰ってくるであろう。

しかしまたスプロール的空間、人間は直線には動かないで紆余曲折して動く傾向がある。これは心理学でも証明されている事実である。

この経済と人間の本能的な問題はインフィニティをもってして解決することであろう。

自由な機能こそ建築おいて重要な要素である。メタポリズムのように建築を次から次へと壊し、創造していくのではなくて、建築を残しながらも変容を重ねる建築、それが私の言う建築である。

であるからしてこのインフィニティの研究を更なるものをもってして進めていきたいと思う。

ミースのように均質な空間でもなく、ガウディのように有機的で使いづらい空間でもない・・・・

それがインフィニティ、無限なる空間である。

私は独学で建築を学んでいるが、この確信は今後、更なる進展をもってして人々に寄与していくこととなるであろう。

自由な機能、自由な光、自由な空間をもたらすものこそ近代建築に必要なものであるということを私は言いたいのである。

まだこの研究は発展途上であるからして、様々な実験をしていかなくてはならぬ。























4.富なるもの、貧めるもの

建築創造において経済を必ず考えて建築を創造しなければならないのは当然のことであるが、
必ず出てくる現象がこの富裕層と中流層、そして下流層である。

建築創造においてこの経済格差から生まれるものの影響は非常に大きい割合を占める。

貧困、中流、そして富裕層!

現在の日本社会において中流の占める割合は非常に多い。そして中流という欺瞞に満ちた言葉に犯されている日本人は自分が中の上であるという基本的な勘違いを一部の特権階級に支配された人々により洗脳されているのであるがそれに気づかない・・・

日本において建築というものは日本独特の調和、そして中流層が富裕層により支配されている基本概念により日本は支配されている・・・支配されきっているのだ・・・

建築創造においてこの格差がもたらすものは何であるか?

そして貧困者は何を建築に求めるのか?

生まれながらにして貧困となるものは何をすべきであるのか?

そして社会を生み出すもの、富裕層達は何をしなくてはならないのか?

確たる腐敗、確たる権力者たちによる建築支配。

貧困者達から出る一部の成功者たちの成功秘話。

しかしそれは現実を紡ぎだしていないのである。

能力の高いものは能力の高いものと繋がる。そして権力をもつものは権力をその子供に残す。

それらから生み出される。無限なるスパイラル・・・

建築社会によってもこれらは変えようのないものとなっている。しかし変えようとするものがなくては絶対に変えることができないであろう。
貧困者の建築はスラム街などに見られるバラックなどであることが多い。これはまた日本ではホームレスのビニールなどのダンボールハウスなどであろうか?建築は資金がかかるものである為、貧困者にとって建築を作り出すというのは至難の技に等しいものである。

資金力を持つ人々は資金にものを言わせ著名な建築家に家を頼んだり、また豪華な材料を使用して、建築設計において資金たるものは欠いてはいけないものであるが、貧困者はこれら考えることなく、決められた、そして限られた建築を創造するかもしくは創造することもできないのである。

日本において飢餓などは起こることなどほぼありえないが、貧困と建築の関係は飢餓と死者の関係に似ている。飢餓が激しければそれに比例して死者数が多くなるように、貧困もまた建築に比例するようにして減っていく、もしくは劣化していくものとなる。

現実には飢餓を解決することは困難であるが、事実飢餓を解決できるほどの食料はあるにもかかわらずそれらがなされていないように、建築もまた住宅供給がなされていないのである。

建築を持たないもの、また住居がないものは全世界で11億人にも及ぶ、そしてこれが何を表しているのか?

そして建築家は何を考えなくてはいけないのか?今一度考える必要がある。

日本において飢餓や貧困といったものが深刻ではない国にとってこのような現状を知るということは難しいのかも知れない。

しかし、人間の創造は社会を変える力となるのは事実である。実際に様々な不可能といわれたものは人間の創造によって現実の物となったのである。

建築創造において、そして社会の新たな創造によって社会がよりよくなるというのならば、私はこの不可能と一般に言われることに賭けてみたいのである。だからこそ建築家という職業を選らんだのかもしれない。

日本において格差社会と現在はもてはやされているが、2007年5月31日の現在の所得の平均は530万円程度である。これは少し減少しているが、これはまた一方で社会の格差を生み出す象徴となっている。

事実、日本において景気自体は上向きになっているのである。このことからも格差が広がっているのは事実である。





























4.宗教なるもの

「ああ、神よ、私をこの世から救いたまえ」

神を信じるものは救われる・・・

宗教社会の現実、しかし日本において神を敬うということはほとんどないといってもいい。

むしろ宗教に何かしら所属していると変人の目で見られる。

しかし、昔から何故人は神を信じるのか?何故何も助けてはくれない神という人間が作った産物を崇めるのか?そして宗教建築に見られるものとは?

精神と建築を考えたときに宗教建築というのは密接に関係している。

仏教に見られる類似した形態。そしてキリスト教に見られるバシリカ建築、そしてヒンドゥー教に見られるモスクなどである。

しかしまた日本において宗教なるものは現在では忌み嫌われるものとして扱われているそれは何故か?宗教を信じる文化は特に日本においては皆無に等しいといっていい。

人間は大昔において豊作を願うために神を敬い、貢物を納めてきた。

そして災害や地震などによる天災も、神によるものとし、生贄などによりそれらを沈めようとした。

特にマヤ文明において生贄は古代の頃は人間が捧げられる場合などもあった。
それほど人間にとって神というものは非常に強い影響を与えてきた。

心理学において神を信じるものは何かしら強いものがあるという、これは支えとなるものがあるからそれを信じることによって人間の能力が向上するためだろうか?

建築においては宗教建築というもの、または権力建築なるものはシンメトリーを基調として形成されたきた。これは中心における象徴性を現すためと考えられる。


また日本においての建築は特に仏教伝来などによって広まっていったが、法隆寺などは構成がアシンメトリーとなっている。

また平安時代に建造された平等院鳳凰堂などはシンメトリーの建築である。

住居形態に見られるものは寝殿造りにおいて初期はシンメトリーが見られたが、アシンメトリーの構成として形成されるようになり、今の住居形態というものはシンメトリーというものが全くといって良いほどないと言える。

むしろシンメトリーを表すものといえばビサンチンを代表とするサン・ナ・ビィターレ教会堂やフィッシャー・オン・エルラッハのウィーンのザンクトカール教会堂などであろうか。

宗教と建築・・・これらが紡ぎだすものは何か?

キリスト教の信者であったガウディの自然形態的建築、カタロニアヴォールトと呼ばれた工法や逆さ吊りの工法による建築はまさに宗教建築の代表的な作品を作り出した建築家であるといえる。

そしてガウディは「自然は神が創ったのだからそれに従わなくてはならない」と・・・

ヒルベルザイマーはこう言う、「直線に神は宿らない」と・・・

宗教において密接に関係する直線や直角にないもの、そして自然形態、スプロールなるもの!!

特に抽象芸術が人間のありのままの造形を生み出しているといえるが、精神性に関係しているものはまさに直線や直角ではなく円や楕円形態なのである。

直線と直角を否定する建築というものは人間の精神を写し出すものなのかもしれない。



5.本能の建築

本能の建築とは何か?

そして新世界の建築とは?

人間の合理性と精神が緊密に結びついたもの・・・

それが新たな21世紀の建築である。

合理的で、快適で、そして人間の潜在的な意識をも含みうる建築こそが建築の新たな定義であり、それにしたがわなくてはならない。

建築社会を創造するということは人間にとって最もふさわしい形、そして建築でなくてはならないのに、近代建築は合理だけを考える建築となってしまった。

人間の個性があるように、その人、その人に対応する無限の可能性を持った建築こそが建築なのである。

機能主義者、経済崇拝主義者達は今一度建築について再考すべきである。

そして人間が創造することを可能にできる能力があるというのであれば、

私は闘い続けたい。

全ての人間が快適な家に住める建築を目指して。

精神性と合理主義を含む新しい時代の国際様式を研究していきたいと思っている。

建築家は人の為にあるものであり、自己満足の為に建築を創造してはならない。

命ある限りここに人々の未来を信じて闘い続けようとここに誓う。

建築は人の為にあるべきである。


感情を赴くままに建築を創造するということは、抽象芸術をそのまま建築に表現しようということであり、経済や合理を考えた上で、非常に醜悪なものができてしまうのは疑いの余地がない。

7000人のシンボルとしてはいいかもしれぬが、やはりシンボルもまた、機能を考えなくては建築とはいえぬ。

グッゲンハイム・ビルバオもまた形態だけではなく、機能もしっかりと考えられているものである。

「形態は機能に従う」というモダニズムの伝説的言葉はかの有名なフランク・ロイド・ライトの師匠であるルイス・サリヴァンが提唱したものであるが、これは近代建築において合理性、経済性なども考慮したうえで間違いとは言えない。

そして「住宅は住むための機能である」という言葉も近代において正解であったからこれを発言した巨匠は偉大なる建築家になったのである。

住宅は住むための機械という言葉はこの巨匠の言いたかったこととは少し曲がって伝わってしまった。機械という言葉は合理性や機能性、そして経済性だけを考えた建築ととらわれ易い言葉であった為に、少し冷たく伝わってしまった。

住宅供給において建築というものは合理的、大量生産的であればあるほど有利である。だがもし自然形態、ガウディなどの造形、抽象芸術に見られるものに人間の精神が関係しているというならば、これらを含みえて大量生産でき合理的な建築こそが建築の新たな定義であり、建築家、建設家、またはゼネコンなどはこれらをもとにして建築創造を行わなければ、都市は冷たい建築となっていくだろう。

これらの解決はまだ何十年先となるだろう。

そして合理性+精神性こそが今の都市に求められているものである。

都市を創造することは正直容易ではないが、誰かがやらなければこれらは変えることはできないであろう。

そして何度も言うが、建築は経済の為にあるのではなく、人の為にあるのである。

インフィニティなる建築システムはこれらを解決できればと考えたもの、合理性を保ちつつ機能が機能でなくなる建築を考えた。

機能の固定ほど建築を制限するものはない。

そして時が経つにつれて変化するのが建築であるといっていい。

家族が出き、そして子供が生まれ、その子供が独立していくように機能もまた変化しなくてはならない。

建築においてこれらは増築によって解決されるが、それらでもまた規制、建築として縛られてしまう。特に、土地のない空間ではこれら増築によっての解決は非常に難しい。

それを解決するのがインフィニティという建築システムである。

まだこれらは研究の余地があるが、これらができるようになれば建築はより自由なものとなるであろう。

建築家という職能はまず第一に言えることは、厳しいということであるといってもいい。

建築家を志す学生は、第一にあのデザイン誌に載っているあの建築写真を見て建築家を志すが、そして現実に建築を始めて3年目ぐらいに知り、あきらめていく。

しかしそこであきらめるようなら建築家には向いてはいないといえる。

建築家の資質としてあげたいのは何よりも打たれ強さであると言える。

そして何よりも若い頃は多年島の航海をするべきである。

これは穏やかな海を行くよりも、嵐の中を行った方が人間として非常に成長できるのはいうまでもない。人間は苦難が多いほど成長する生き物である。

成功者は建築の分野でなくても、たいていが死を賭した努力をしているものである。
私も21の頃からこれらを遂行しているがこれほどきついことであるとは思いもしなかった。
建築を学ぶものはこれだけは覚悟がいる、特に建築家として生きていこうとするものは建築というものが人の為にあるということ、そして何よりも建築の世界において未来を切り開いていく素晴らしい職能であるということをいいたいのである。

建築家は建築、建設、デザイン、不動産の世界の最上位であるということは間違いがないが、これらの世界にはみんなが望むわけであり、競争も熾烈であるが、まず一つ言えることは建築の空間、三次元化する能力がないものは建築家には向いていないといえる。

もしこれら天蕪の才を持たないものには建築家はお勧めしない。

これほど建築家という職能が厳しい職業であるとは思いもしなかったからである。

そして何よりも建築史を勉強するべきである。

過去を否定するという運動もあるが、まず過去を知らない限りそれらを否定することもできないのではないかと私はいいたい。

私は建築において建築史を学ぶことに3年を費やした。
崇高な建築家達は全て建築史についても長けていることは疑いの余地はない。

そして建築家も建築の中で生きるだけではなくて様々な社会を知るべきである。

私は建築家は経営者でもあるのだから、もっと経営学について学ぶべきであると思うし、経済学についても学ぶべきである。

日本において建築家があまり欧米においての高い位置を示していないのはまず建築士が多いのと、経営においてのスキルが非常に低いことが一番の問題でないのかと思う。

建築は一番高価であり、経済効果をもたらす効果が非常に大きいのに、それらを創造する建築家のなんたる無知さであろうか?

これはなげかわしい事態である。

建築家として建設家としてこれら諸問題に対して取り組んでいこうと考えている。
6.人間の本能について

食がなくして建築はありえないものである。

そして家がなくては自分を守れないし、睡眠を行うこともできない。

そして愛をはぐくむこともできないのである。これができなくては人類は滅んでしまう。

そして何よりもこれら全てに関係しているのが建築であるといえる。

キッチンも建築であるし、ベッドを作る空間も建築である、そして風呂場も建築であるということは疑いようがない。

私は実験の要素としてある敷地に人間の本能のみで構成される図書館を考えた。

この建築の中で表されるのは本のみが理性であるということである。

そして機能は深く考えるのではなく、人間の感性を持ってして作り出したものである。

感性のままに描くということは、建築が抽象芸術のように形を形成されることとなることが判明した。

そして感情のままに建築を創造するとやはり、使い勝手が悪いという点も判明した。

そして抽象芸術がそのまま建築になることによって、周りの空間とは逸脱した空間構成となり、人を集める効果がある。

しかしまた、構造において、施工費において非常に困難であることが予想される。

この建築を設計したことによってこのようなことが判明したが、やはりこのような建築は7000人のコミュニティに1つぐらいあればよくて、この感情のままに作る建築が普及するのは大変困難であることが予想される。

やはり多くの場合、近代建築が普及する過程の中で経済というものが深く関係していくのであろう。

構造体はクロード・ニコラ・ルドゥーやル・ヴォーの計画案に見られる球状の建築である。球というものは非常に安定している構造体でもあり、非常に丈夫である。
耕作の番人の為のシェルター

そして円というものは人間にとって最も美しいとされている。これらは心理学でも人間が生まれる前から太陽など、円体なるものは存在していて、人間の潜在的な意識の中に円や球状のものが象徴的なものとして写し出されるという。

絵画や造形においても球や円というものは人間が心を表すときに用いるものである。
         
円が象徴として描かれる絵画
そしてアール・ヌーヴォに見られる建築も注目すべき点がある。

これらは20世紀初頭において、欧州で起こった芸術活動であるが、これらは(またユーゲント・シュティールとも呼ばれる)人間の本質的なものが非常に密接に関係している。そしてギリシャ寝殿でも見られるようにカリマコスが発案したコリント式のカリマコスの葉もまた植物を模した装飾がなされているが、これらは人間が行動するときに直線に動くのではなくスプロールして動くように、人間が美しいと思うのも、フラクタル幾何学と呼ばれる楕円形の形態、そして黒川記章が設計した新国立美術館もまたそのような樹木のあの形態、スプロールされた形態に沿って構成されている。

そしてこれらは人間が基本的に美しいと感じる形態でもある。

やはり、あらかじめある形態、昔からあるものに人間は落ち着きを求めるのであろう。

その点を主張してモダニズム期に異端児としてエンドレスハウスを提唱したのがフレデリック・キースラーである。現在においては伊東豊雄が建築造形においてこれらの形態を設計している。そして少しではあるが建築に対する理念もキースラーに似ている所がある。

エンドレスハウス・終わりなき家 フレデリック・キースラー作
魔術的建築宣言 1947

19世紀は黄昏を眺めた。そして20世紀始めの25年間は、建築―絵画―彫刻の統合の解体を眺めた。ルネッサンスは、この統合の上に栄えた。人々の信仰が、翼のついた未来の幸せを運んだのである。

われわれの新しい時代は(1947年)は、社会的良心を再発見しようとしている。新しい統一への直覚的な要求が、ふたたび生まれようとしている。この統一への望みは、来世に求められるのではない、ここに、今、求められている。

造形芸術の新しい現実は我々の五感の許容力の他に、精神の必要にも答えられるような、具体的事実のコルリエーションによって明かされる。

建築における「近代機能主義」は死んだ。人間の肉体の宿る身体の王国について、名にひとつの検証なしに、「機能」が唯一の生存者である限り、それは痛手を受け、神秘衛生+審美主義の中で滅亡するであろう。(バウハウス、ル・コルビジェのシステム等)

「迷信の間」は、われわれの時代の表現方法を使いながら、連続建築―絵画―彫刻を目指した最初の貢献を示している。問題は二重であり、一つは、統一の創造であり、二つは、それにより絵画―彫刻―建築の構成要素が、お互いの中へ変更してゆくであろう。

私は、空間的構成をデザインした。私は画家のデュシャン、エルンスト、マッタ、ミロ、タンギーを、また彫刻家のヘアとマリアを招いて、私のプランを実現するように頼んだ。みんな熱心に協力した。私は、それぞれの作家にとって、形態においても内容においても、全体のすべての部分が彼らのためのものであるように計画した。そこには、一つの誤解も生じなかった。もし総体がうまく活動しなかったとしたら、それはすべて、私の失敗に帰するのである。というのは、彼らは私のコルリエーションのプランを、強く信じていたからである。

ある専門領域の芸術家たちの集まりではなく、一組の建築家、-画家―彫刻家に、テーマを司る詩人が加わって創造されたこの共同制作は、たとえ不成功に終わったとしても、我々の造形芸術の発展に、もっとも強い希望をもたらすものとなるであろう。

私は、衛生の神秘主義に反対する。それは「機能主義的建築の迷信に過ぎない
魔術的建築の現実性は、人間自体の総体性に深く根ざしている。そして、それは人間の祝福される部分や、呪われる部分に根ざしているのではない。
(Frederick Kiesler ,Magical Architectureで発表されたものである。)
マジック・アーキテクトと呼ばれたキースラーの言葉である。

キースラーの考えには人間の潜在的なものを含みうる建築というのがエンドレスハウスに込められている。そう、彫刻と建築を一つにするという概念がここに出てくるのである。しかし、彫刻と建築を一つにすると、合理性や経済性ということを考えると非常に不利な点が出てくる。だからこそモダニズム期には直角と四角で構成された立方体が建築の基盤となったのであろう。また原始においても合理的なのは四角い形態であるのは疑いの余地がない。ロージェの原始の小屋でも柱と梁の合理的な建築として描かれている。

魔術的なこの発言はキースラーを魔法の建築家と言わせた由縁なのかもしれない。
1945年に日本での第2次世界大戦終結によって戦争はほぼなくなり、現在はテロの時代である。そしてキースラーが提唱した建築は社会に反映し始めているのも事実である。






















(5)機械から生なる時代へ(結論)

フレデリック・キースラーの建築理論をもとにしてこの最後の章に行きたいと思う。

機械から生なる時代へ

20世紀初頭のモダニズムが機械の時代だとするならば、これからの建築はどうなるだろうか?現在の建築思潮で見られるのは幾何学的というよりは生物的といったものの方がもの珍しさかも知れないが取り立たされている。モダニズム・ポストモダンという順番が建築様式として成り立っているが、ポストモダンといっても様々な呼び名がある。非地域主義だとかダーティ・リアリズムだとかネオ・モダン、スーパーフラット、スーパーサーフェスとか様々な呼び名が使われるようになってきている。

もし、万が一の場合、人間が幾何学的形態(直線や直角)を使う前の時代に、円(星)や楕円(自然)しかなかった時に、そして人間が心を描く時に円や楕円というものを多用するならば、

建築においても同様に円や楕円を使用するべきではないだろうか?
しかしここで問題となってくるのは経済性と効率性の問題である。

そもそも何故直線や垂直が使われるようになったのかというのはエジプトの数学的要素やまた効率よく建築物を建造するために、四角が最適であったからだと推測している。

建築とは人間が住むためでもあり、シェルターでもあり、財産ともなりうるべきものであり、そして経済性や効率性は生きる上で人間にとってなくてはならないものである。

しかしもし円や楕円というものが規格化・工業化できるとするならばどうであろうか?
今の工業技術からすればできない話ではない。肝心なのは誰がそれをやるかである。
そして建築は人間の心を映し出すものでなくてはならない。機能や経済性に直線や直角が根本にあるとするならば、円や楕円には人間の本質が隠されている。それらの形態を均等に利用することこそが建築にとってあるべき姿なのではないだろうか?
最後に宣言しておこう。




(6)感情の建築

最後にこれらの理論を元にして人間の感情のみで構成された図書館を設計した。
これは機能性や構造的な問題を一切考えずに設計したものであるから、計画案といっても過言ではない。これはある種のル・コルビュジェへの挑戦状である。

建築が合理化、経済性を重視した建築を産業革命時代からすることによって
人間そのものが機械になってしまったのである。

何を言うでもなく社会の流れに乗って生きていく人間達、工場の生産ルートに乗っている人生。狭く、限られた常識の中でしか生きることのない人間達、それらを見ることによって自分はその生き方が嫌で常に常識外のことをあえてしてきたつもりである。

それがこんなにもつらいこととは思わなかったが、世界中の人間がまさに機械化している現実をふまえて、それらを解決する方法をずっとかんがえてきた。

人間が本当に快適に住める建築とは、大量生産された機械的な建築に住まうことではなくて、人間の理性と人間の精神的なものを併せ持つことが真たる建築のあり方だと考えているからである。

現在の産業社会のあり方は合理性や経済性を考えたものがベースとなっているがそれによって人間もまた大量生産化された機械となっていることを認識しなくてはならない。

だからこそこれらの研究をする必要があると思ったのである。

新しい時代の建築は人間の理性と感情を併せ持つ時代のものであると信じたいのである。

都会の人間は田舎の人間と違ってまた輝きもなく、また希望もなくしてしまっている。

この実験的な建築は現実のものとして作られることはないだろうが、私の最初の設計であり、これから死ぬまで建築家として闘うしょぶんである。

















建築は社会を写し出す鏡であり、建築はまた機械ではない。

そして人間の心を映し出す建築、機械と精神を統合する

生時代が到来することを信じている。

そしてル・コルビジェもそう最後にそういいたかったからこそ最後にロンシャンを描いたのだと私は信じている。














終わりに

芸術家・山口勝弘先生へ

この論文を書くにあたって非常に参考にさせていただいたのが山口勝弘先生の環境芸術家キースラーです。この本は1978年2月20日に発行したものであり、もうかれこれ30年が経とうとしていることもあってか、本の数時代が少なく、この本の存在を知ったときもないのではないかと思っていましたが、偶然にも図書館で検索したところ見つかったので幸運でした。この本がなければキースラーについての論文は書けなかったといっても過言ではないです。もしくは勘違いしたままこの建築家について語っていただろうと思います。フレデリック・キースラーという建築家について知っていますかと建築の学生に聞くと知っている人は全くいないというぐらい皆知らないのが現状であり、現在の日本ではキースラーという建築家は全くの無名な存在であったのは確かです。自分はこの論文を書いた理由はこのキースラーを少しでも認知してほしいという願いもこの論文を作成する理由のひとつであります。そしてキースラーのエンドレスハウスのように何故人間は建築形態を作り出す時に円や楕円を使用するのか?というのが自分の中で常に疑問にありました。

そして簡単に山口勝弘先生を説明しますと1928年に東京に生まれて、1951年に日本大学法学部卒業し、同年に「実験工房」に参加して、絵画・彫刻・舞台装置・実験映画などを手がけた芸術家であり、後にキースラーのアトリエで働き、キースラーの元で芸術を学ぶ。キースラーを最も知っている日本人であると言えよう。環境芸術家キースラーは全585ページに及ぶものであり、キースラーの数々の作品がこの本に収められている。

またこの論文では最初のキースラーの説明では日本を代表する建築家である前川國男の東京帝国大学卒業論文「近代建築ル・コルビジェ論」を参考にしました。この論文を見る際にお世話になった大学図書館の司書の方々にお礼を申し上げます。またコルビジェ、ロース、伊東忠太の書き方を参考にしてこの論文を仕上げました。









参考文献
建築をめざして ル・コルビジェ著  鹿島出版社
ユルバ二スム ル・コルビジェ著 鹿島出版社
輝く都市 ル・コルビジェ著 鹿島出版社
モデュロール1 ル・コルビジェ著 鹿島出版社
モデュロール2 ル・コルビジェ著 鹿島出版社
装飾と犯罪 アドルフ・ロース 中央公論美
東京帝国大学卒業論文 「建築哲学」 伊東忠太著
東京帝国大学卒業論文 近代建築「ル・コルビジェ」論 前川國男著
環境芸術家キースラー 山口勝弘 美術出版社
個性化とマンダラ C・G・ユング 林道義著 みすず書房
建築のアポカリプス もうひとつの20世紀精神史 飯島洋一 青士社
抽象への意思 モンドリアンとデ・ステイル H・L・C・ヤッフェ著 朝日出版社
デ・ステイル 1917―1932 art and environment of neo plasticism  河出書房出版
臨床知的の探求 上 山中康裕 斉藤久美子 編 創元社
曼荼羅の神々 仏教イコノロジー 立川武藤 ありな書房
(図解)マンダラの全て 西上青曜 PHP研究所
イメージの博物館  フリーメイソン 儀式と象徴の旅 W・カーク・マクナルティ著吉村正和訳 平凡社
イメージの博物館 死者の書 スタニスラフ・グロフ著 川村邦光訳 平凡社
きらめく東方 サン・ヴィターレ聖堂 六曜社
抽象と感情移入 東洋芸術と西洋芸術 ヴォリンゲル著 岩波書店
日本建築史序説 大田博太郎著 
3人の革命的建築家 エミール・カウフマン
環境としての建築 建築デザインと環境技術 レイナー・バンハム
建築心理学序説 ヴェルフリン 中央公論美術出版社
都市と建築 a+u 417 2005
Frederick kiesler endless house 1947-1961
Frederick kiesler whitney Museum・Norton
ガウディ全作品 2解説と資料 P180 六潜社
ボッロミー二、G・C・アルガン著P67 鹿島出版社


筆者
香月真大
2006年10月27日~2007年11月15日

アドルフ・ロース(1870~1933年)
ウィーンの建築家、新古典主義の時代に装飾を一切なくした外観により、モダニズム近代建築運動におけるパイオニア的存在。著書「装飾と罪悪」は数々の後の巨匠たちに影響を与えた。

モダニズム(20世紀初頭)
20世紀初頭における近代建築運動のことを指す。一般には装飾を排し、直角と垂直の幾何学形態が目立つ。

ル・コルビジェ(1887-1965)
巨匠の中の巨匠。現在の近代建築の基礎を築いた人とも言われる。近代建築の5原則や都市計画ではヴォアザン計画などが有名。

フランク・ロイド・ライト(1867-1959)
近代建築における3大巨匠と言われるうちの一人。師匠であるルイス・サリヴァンの思想を受け継ぎながらも、独自の有機的建築と呼ばれる建築を数多く生み出した。

伊東豊雄
日本の世界的な建築家。東京大学建築学科を経て、菊竹清訓に師事したあとに、事務所を設立。
数多くの若手建築家を輩出する。作品ではアルミニウムハウス、シルバーハットの家や仙台メディアテーク、などが有名。

アーキグラム
1960年代の建築界を賑わせた建築グループ。またの名を建築界のビートルズ。アンビルドアーキテクトとして作品を雑誌などをとうして広め続けた。ピーター・クックやロン・へロンを中心としたメンバーである。

ジョン・ヨハンセン
建築家。建築の新種として建築と自然形態の融合を試みた案をARCAという雑誌をとうして提出。

クロード・ニコラ・ルドゥー(1736-1806)
新古典主義における建築家。教職建築家であるブロンデルを師にもつ。新古典主義にありながら、モダニズムの系譜ともいえるものを晩年に残して死去した建築家。名言では「新たな宗教を作ることほど大変なことはない」



アントニオ・ガウディ(1852-1926)
バルセロナ生まれの建築家。異端の建築家ともいえる建築の造形はまさに天才的とも言える。
バルセロナを生涯拠点とし、カサ・ミラやサクラダ・ファミリア等を建造した。

ボッロミー二(1599-1667)
バロックにおける建築家。バロック時代の建築家であるベルニーニのライバルとも知られている。
建築は曲線や楕円といったものを多く使用する。サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ教会堂は非常に有名である。

ミース・ファンデル・ローエ(1886-1969)
モダニズム近代建築3大巨匠の一人。バウハウスの3代目総長であり、鉄とガラスで作る建築は後の近代建築に影響をもたらした。シーグラムビルやファンズワース邸等が有名である。

CIAM 
近代建築国際会議。エレーヌ・ドマンドが設立した。ルコルビジェやグロピウス、など様々な建築家がここで近代建築の旗揚げを行った。

ウォルター・グロピウス
バウハウスの設立者。初代校長でもある。インターナショナルスタイル(国際様式)を提唱し、後の近代建築に多大な影響をもたらした。バウハウスの設計者でもある。

バウハウス
近代建築運動が思想になっている芸術学校、ここでは様々な芸術家がまねかれ、教育を行われた。やはりモダニズム運動の色濃い学校であった。

プラグインシティ
アークグラムの計画案。都市をユニットでつなぎ合わせるという提案をしたもの。

ウォーキングシティ
アークグラムの計画案。都市が歩くというもの。これにはその時代の建築家達は衝撃を受けたに違いない。

メタポリズム 
アーキグラムよりあとの日本の建築家集団。菊竹清訓、黒川記章、川添登などを中心としたもの。
メタポリズムは新陳代謝を表す。都市もまた新陳代謝するように変容するべきだと唱えた。

オットー・ワーグナー
ウィーンの建築家。近代建築を提唱したパイオニア的存在。ウィーンの郵便貯金局などが有名。

ウィトゲンシュタイン(1889―1951)
オーストリア・ウィーンの哲学者である。言語哲学、分析哲学の創始者であり、またストロンボロウ邸を作るなど建築家としての一面もあった。

ルドルフ・シュタイナー(1861―1925) 
ハンガリー生まれの思想家。霊学の創始者で建築ではゲーテアヌムが有名である。神秘思想家、建築家、教育学者であり、ゲーテの研究の第一人者となった。

ハインリッヒ・ヴェルフリン(1896-1945)
スイス生まれの美術史家。美術史の基礎概念を作った人物。

ルイス・サリヴァン(1856-1924)
シカゴの建築家。フランク・ロイド・ライトの師匠でもある。

C・G・ユング(1875-1961)
心理学者。本名はカール・グスタフ・ユング。世界的に有名な心理学者である。ゴシックに見られる薔薇窓をユングはマンダラの一部ではないかと推測した。

マンダラ
サンスクリット語で円を表す言葉。これは仏教などでよく見られるものであるが、世界中でこれと類似する形態をもつものは多数存在している。

ヨゼフ・ホフマン(1870-1956)
アドルフ・ロースのライバルでもあり、オットー・ワーグナーの弟子でもある。ウィーン分離派を作った。

ハプスブルグ家
欧州において強い勢力を持っていた貴族。

フィリップ・ジョンソン(1906-2005)
アメリカの建築家。キュレーターから一新して建築家を志す。ミースの共作であるシーグラムビルやまたガラスの家などが有名。

アール・ヌーヴォ
スペインで20世紀初頭に起こった芸術運動。曲線や楕円を使用する傾向にある。

アーツ・アンド・クラフツ

キュビズム
パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどの代表される芸術運動。

ダダイズム
戦争による皮肉的なものを芸術運動としてとりだたされる運動が起こった。

ウォートルス
明治のお抱え建築技術士

ジョサイア・コンドル
日本に西洋建築を取り入れたきっかけとなった第一人者。弟子には金野辰吾、片山東熊、曽根達蔵などがいる。

シュルレアリスム
超現実をさす芸術運動。画家ではサルバドール・ダリなどが有名。

ハンス・ホライン(1930-)
オーストリアを代表する建築家。ハースハウスなどが有名。